4.おれたちのライバル(天恵7年4月下旬)
「すっげーーー」
良く晴れたきれいな青空の下。先輩達が、各々アップに散っていった、閑散とした極北ベンチで、翔太は声を上げた。
第一回月例記録会――それが、今日の大会の名前らしい。眼下に見える大きな赤色のトラックを映して、翔太は瞳を輝かせた。期待感で胸が一杯だった。ぴりりとした緊張が支配する空間を、思い思いに身体を動かす陸上部員達が行き交っている。
「お前……自分が走るわけでもないのに……」
呆れたように溜息を吐く蒼だったが、翔太は気にしない。確かに、今日は、翔太たち一年生二人は見学だ。でも、そんなことは関係がないのだ。
「だって! 大会だよ! ワクワクするじゃん」
「大会じゃねぇよ、記録会だろ」
「えー?」
「練習試合だ、練習試合」
「練習試合もワクワクするじゃん!」
「……」
陸上の大会にどんな種類があるのかは、よくわからない。でも、大会だって練習試合だって、応援だってなんだって――わくわくするものはわくわくするのだ。けど、そうか。これが、蒼には普通の光景なのだ。
――――やっぱり、すごいや。
「いいねぇ、その意気だよ」
変わらず瞳を輝かせていると、背後から主将の声がした。
「あんたはアップしなくていいんすか?」
「まあまあ。今日のオレは、解説要員だから」
蒼の問いに、ニコニコと笑みを崩さないままの久蓮。どうやら今日は走る気のないらしい久蓮に、翔太は少し残念な気持ちになった。だって、見てみてみたかったのだ。あのキレイな走りが、この競技場の中でどのように輝くのか。
――――ま、いっか。これからいつか、絶対に見られるハズなんだから。
久蓮は言っていた。"今年は、オレも走るから"と。だから、慌てなくてもいいのだ。ただ、そのときを待つだけで。
*
「おぉー、帝王サンやん」
先輩たちが出場する五千メートル、そのスタート時間が迫ってきたそのとき、やや掠れた柔らかい低音が、そんな言葉を告げた。振り返ると、声の先には、茶髪に糸目――狐のような青年が立っていた。彼の視線の先には、我らが主将。
「帝王?」
聞きなれないその呼び名に、翔太は首をかしげて問うた。久蓮は困ったように笑って、口を開いた。
「それはちょっと……みゃーちゃん、おひさ」
「嘘ゆーてないやん」
ニコニコ――というよりはニヤニヤという表現が似合いそうなその笑みは、いたずら心に揺れているようだ。そこに悪意の色はなく、故に翔太は、この青年を味方だと判断した。そして。
「みゃーちゃん?」
おそらくは目の前の青年を呼んだのであろう、久蓮の言葉に、翔太はまたしても首をかしげた。
「どーも、初めましてやな、わいは極教の主将やっとります、宮田悠言いますねん。よろしゅう」
――――宮田、みやた……あ。みゃーちゃん、か!
こてこての関西弁で告げられた名前に、翔太は納得した。つまりは、かなり久蓮と親しいひとなのだ。
「桃谷翔太です」
「如月蒼です」
ペコリと頭を下げながら挨拶をする。
「ほぉ……。久蓮クン、またごっつエラいの引っ張ってきよったなぁ」
「オレじゃないよ。偶然さ」
「今年は走るんか?」
「……」
翔太は二人の先輩たちのやり取りをぼんやりと眺めながら、首をかしげた。純粋な期待を向ける"みゃーちゃん"に、久蓮はただ困ったように笑うばかりだ。その笑みには、複雑な感情が絡んでいる。
――――なにか、あるんだ。
きっと、久蓮は、なにか事情を抱えている。そしてそれは、軽々と踏み込まれたくない何かなのだ。"みゃーちゃん"がそれをどこまで知っているのかはわからない。けれど、いいのだ。
――――きっと、ひとつも事情のないひとなんて、いない。
*
「岩本クンも中々仕上がってるやん」
「そうね」
スタートの合図が鳴って、レースはスタートした。一番先頭の集団の中にいる、範昭と真平が速いのだということは、わかる。
「みゃーちゃんのとこも、良いのが入ったね」
「せやねん。ごっつ生意気やけどな」
二人の主将の言葉は、翔太の頭の中を滑っていった。
先頭集団は十二人。そのうち二人は極北大の先輩たち、もう二人は、"みゃーちゃん"率いる極教大だ。そして、先頭集団の残り八名。それは、黒紫色の集団ー――帝北大学に染め上げられていた。そしてそれだけではなく。先頭集団のさらに先、頭一つ抜けている選手と、それに追いすがる選手がいる。いずれも帝北大の選手だ。
――――つまり、あのひとたちが、倒すべき"ライバル"だ。
そんなことを考えているうちに、先頭がゴールした。十四分九秒。堂々とした風格の彼が、速いということは翔太の目にも明らかだ。次いでゴールした二着は十四分十九秒。
きっと、彼らは自分たちの大きな壁になる。けど、それでも――。
――――久蓮さんのほうが、上だ。絶対に。
根拠はない。けれど、翔太のハナは告げている。"おれたちは負けてない"――と。超えるべき壁は、高いほどいい。壁が高いほど、乗り越えたいと思う意志は強く、乗り越えた時の喜びもひとしおなのだから。
「いまのおれは――」
ぽつりと、呟いたのは、漏れ出た思考の言葉。いまの自分は、あのひとたちとどれだけの差があるのだろう? そして、その差を埋めるためには、何をすればいいのだろう。
――――なんでもするぞ!
に、と口角を上げた翔太の心の中では、既に彼らに勝ちたいという闘志の焔が燃え上がっていた。




