25."目標"の先に(天恵7年7月中旬)
「おーい、気がついたぞー」
部室の外に待機していた面々にとって待ち望んだその声が響いたのは、それからしばらく経ってのことだった。その時を首を長くして待っていた面々は、我先にと部室へと雪崩れ込んだ。その勢いにやや出遅れた真平も、皆に続く。
「大丈夫? 蒼!」
「痛いところないか?」
「あー……ほっぺた?」
「お前、よくやったな」
「頑張ったよね」
ややぼんやりしているものの、すっかり元気そうな蒼に、皆が安心している――もちろん、真平もだが――が伝わってくる。そんな皆にもみくちゃにされている蒼は目を白黒させているが……当然だ。大事な仲間なのだから。
「――ま、なんにせよ」
「そうだよ! 水くさいぞ、蒼!」
「おれ達、もうチームじゃん?」
「協力するって! ちゃんと話してくれれば、さ」
「お前がそんなに帝北に勝ちたいってのも、言ってくれなきゃ、解んないからさ」
「久蓮じゃねぇからな」
「俺ら、頑張っちゃうよ」
しばらくして、ぱっと語調を変えた範昭に、真平は乗っかった。そしてそれに続いて皆が怒涛に畳み掛ける。蒼が目を見開いて、そして嬉しそうに、けれど恥ずかしそうに目を細めた。
範昭が"俺の予想"として前に語っていた、蒼の想い。それは、久蓮が帝北に勝ちたいのと同じように、蒼も勝ちたいのだということだった。蒼の高校時代の同期である、那須伊織が帝北学園大学にいるのだという。その彼とどんな関係だったのかは知らないが、独りで抱え込むことではないのだ。けれど――。
――――"とにかく、今の状態は駄目だ。あの人さえ潰せば終わる、今の極北大じゃ――"。
紫吹の言葉が、頭を巡る。真平は、ふと心に影が差すのを止められなかった。目標に向けて一致団結したかのように見える、極北大――本当にこれで、大丈夫なのだろうか。
*
「楽しまなきゃダメだ。義務感と使命感だけじゃ。――結局、それが一番強いんだって、教えてくれたのは、蒼……他でもない、久蓮さんなんだ。皆に、走ることを……レースを、心の底から楽しんで欲しい。それが久蓮さんの心からの願いで、僕も同じ気持ちです」
皆の話が一段落ついたタイミングで、真平は気付けば口を開いていた。考えるより先に口をついて出た言葉。内心驚きながらも、真平は真摯に皆を見つめた。
「でも、僕には僕の目的もある」
「目的?」
「ええ。僕は、久蓮さんにあんな顔をさせないために、此処に居る。僕は自分の目的のために、久蓮さんが絶対に言わないことを言います」
皆に告げるこれは、皆には関係ない酷く身勝手な話だ。関係あるのは、せいぜい全日に出るという目標の上辺の部分だけ。それでも、今度のレースを自分は走れないから。この想いは、皆に託すより他ないのだから。
「今の極北は、帝北にそう負けてるとも思わない。……けど、それでも。このままでは勝てない。――絶対に」
「お前、それ……いつか言ってたことと矛盾してるじゃねぇか」
「ええ。まあ、……正確には、このままだと久蓮さんの負担が大きすぎる、ですかね。……勝つか否かは久蓮さんの脚次第。――天才だって、壊れない保証はない。……蒼が恐れる通りだ」
真平の言葉に、範昭が眉を寄せている。そう、これはまさに矛盾した感情だ。このままでは勝てない。それはきっと、最近の蒼も感じていたことなのだろう。だからこそ、蒼はアクションを起こした。
勝つ。その絶対条件を前に、今のチームレベルでは久蓮の負担が計り知れない。――例え、昴や蒼が居ようとも、そのレベルはまだまだ全盛期には及ばないうえに、この駅伝は八人で競うのだから。
「このレースは、蒼にとってそうであるように――いや、それ以上に。久蓮さんにとっても、重要な……意味のあるレースなんです」
「それは、帝北が篠崎監督を擁してることと関係があるのか?」
「そゆこと」
「"あの人"は久蓮さんにとって、越えなければいけない壁だ」
真摯に告げる真平に、裕也が問いかけた。
久蓮は、詳しい事情は絶対に明かさなかった。そして、何かの拍子にその事情を知ったらしい紫吹もまた、どんなに問うても決して教えてはくれなかった。けれど、久蓮と監督との間には、絶対に何かがあった。高校時代の久蓮の様子を見ていれば、それは疑いのない事実だ。
「久蓮さんは、絶対"助けて"なんて言わなかった。けど。僕は――僕らはもっと求めて欲しかった」
真平が深雪ヶ原高校に進学しようと決意したときの久蓮は、心の底から輝いていた――真平にとって久蓮が輝いていたのはいつもだけれど。それでも、時が経つにつれて影を背負う彼に、だから――。
「けど、独りで焦って……結局、このザマだ。……僕はまた、久蓮さんにあんな顔をさせてしまった」
言葉を紡げば紡ぐほど、沸き起こる感情は後悔ばかりだった。
「情けないけど、ダメなんだ。独りじゃ……ダメなんだ……!」
「真平……」
情けないことに、結局自分は、あの頃から変わることができていないのだ。そんな想い共に絞り出した言葉は、自分が思っているよりも暗く苦かった。
「そんな顔するなって。俺だって、勝ちたいからな。予選会は俺達に任せて、どっしり構えてろ」
「俺だってやれるってこと、見せつけてやる!」
「やってやろうぜ! 全日出場!!」
真平の背に衝撃が走った。範昭がその背をどんと叩いたのだ。頼もしい、大きな手。そうして告げられた言葉に、皆が続く。口々に告げられる言葉は頼もしく温かく、真平は拳を握り締めて眉を寄せた。




