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夢の続き【番外編】  作者: 灰猫
【正に"天恵"とも言うべき】岩本真平
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24.豪雨の決戦、そして(天恵7年7月中旬)

 翌日、日曜日。ついにやってきた勝負の時は、豪雨と呼んで差し支えのない稀にみる悪天候に出迎えられた。集合した面々を待っていたのは、我らが主将の作る張り詰めた雰囲気だった。


「蒼。……申し開き、ある?」

「……」

「そうか」


 表情の抜け落ちた顔で問いかけた久蓮の声は冷たい。指しているのは昨日のいざこざについてだろう。その追及にただ無言を返した蒼。ぴりりと緊張が走る中、久蓮はそんな蒼をじっと見詰め、そしてもう一度溜息を吐いた。

 そうして久蓮の口から零れ落ちたのは、価値観を押し付けるな――という非難。諭すように告げられたそれを、蒼も、皆も固唾を呑んで聞いていた。


「そんなことのために、オレは君と話をしたんじゃない」

「久蓮さん……。それでも……。僕は、これが間違ってると思わない!」

「……そ」


 怒りさえ伝わってくるその言葉に、けれど蒼は毅然と立ち向かっている。自身の主張を言い切った蒼に、久蓮は素気(すげ)なく一音だけを零した。冷めたその瞳に、一抹の悲しさが揺れている。真平は眉を寄せた。久蓮は何故また、()()()()()をするのだろうか。

 硬い表情をしていた蒼に、久蓮は「それで楽しいのか」と問うた。それは、()()()からずっと変わらない、久蓮の方針だった。二人の視線が絡み合ったまま、時が過ぎる。蒼が鋭く睨む先、久蓮の瞳に、僅かに混じる後悔の色。真平がそれに目を細めたとき、久蓮が溜息と共に口を開いた。


「つまり、そう簡単に揺らぐ決意じゃないワケだ。――方針変更。今日オレ、お前潰すわ。見せてやるから、死ぬ気で来い。――簡単に、ヘバんなよ」


 空気が、凍った。一瞬の空白の後、久蓮の不穏な発言に一同は騒然とした。驚きと制止の声が飛び交うなか、蒼との久蓮の周りだけが切り取られた別世界であるかのように静寂だ。

 冷たい怒りを揺らめかせて言い放った久蓮は、皆に解散を告げたその足でサークル棟へと去っていった。慌てて後を追った範昭を除いて皆が驚きに立ち尽くすなか、激しい雨だけが変わらず降り続いていた。


   *


 準備を終えて、ただ二人だけが並んだスタートライン。メンストのアスファルトを叩きつける、大粒の雨が激しい。傘をさしていても水の粒が飛び散ってくる。勝負の時でありながら上下ジャージという出で立ちで淡々と立つ久蓮と、そんな彼に苛立ちを隠さない蒼。始まりの時を待つ彼らの周りには、冷たい焔が揺れているようだ。

 そんな雰囲気の中、範昭の合図で始まった勝負。スタートから、久蓮は容赦ない飛び出しを見せた。即座に追いかけた蒼に視線を投げると、さらにスピードを上げた。その走りは、まるで()()()のように圧倒的に強く、真平はただ目を瞠った。


「速ぇ……。あいつ、本気(マジ)じゃねぇか……!」

「二十キロですよね……このレース……」


 範昭の驚愕の声と不安そうな真矢の呟き。それをどこか遠くに聞きながら、真平の視線は久蓮に釘付けだった。たしかに、正気を疑うほどのペース。けれど、久蓮は走り切る。そんな姿を、真平は何度も何度も目にしてきたのだ。

 

 あっという間に道の反対側に戻ってきた二人のレースは、相変わらず久蓮が引っ張っていた。久蓮の作るペースは容赦なく乱高下をしている。本気で蒼を振り落とすつもりの、あの頃ですら稀に見るほどの攻めの展開だった。

 やがて五キロが過ぎ、蒼の上体がブレ始めた。足並みも乱れている。一方の久蓮は、スタートしたときと何も変わらない。そんな姿に、真平は背筋に電流が走るのを感じた。少しは追いついた気でいたけれど。それは、勘違いだったのかもしれない。久蓮は依然孤高で、そこにはまだまだ埋められない隔絶があるのだ。


   *


 七キロ過ぎのことだった。苦しそうに、けれども必死に喰らい付いていた蒼が、まるで足を痛めたかのように突然バランスを崩した。

 驚きに声を上げた翔太を、昴が制止した。範昭も静観の構えだ。共に走っている久蓮も、レースを中断するつもりはないようだ。もし、蒼が怪我をしていたら――そんな真平の不安は、そんな皆の反応で和らいだ。今は、とにかく勝負を見届けるのだ。


――――蒼……!


 減速しかける蒼に、久蓮が何事かを話しかけたのが見えた。瞬間、蒼は瞳に焔を燃やして必死に久蓮に喰らい付いた。未だ粘り食らいつく蒼をちらりと見た久蓮は、無表情の中僅かに笑みをのせ、また一段とペースを上げる。そこで燃えられることこそ、蒼の強さだ。もうとっくに折れてもおかしくない。だって、それはもう酷いフォームなのだ。それでもなんとかペースを維持している。

 真平がそう考えた瞬間、目を疑う光景が視界に映った。久蓮がぐんとペースを上げ、それについていこうとした蒼が――電池が切れたかのようにアスファルトの上に倒れ込んだのだ。


「あお!?!?」

「範昭さん、タオル! 部室まで運びましょう!!」

「っ、ああ! 翔太、昴さんと一緒に蒼頼む!」

「は、はい!!」


 驚き、不安、心配――。昴の一声で一斉に動き始めた皆は、サークル棟へと急いだ。


   *


 意識のない蒼を翔太や昴がサークル棟に運んで、冷えきった身体をタオルで包む。十キロ近く走っていたとは思えない冷たさだった。

 酸欠で倒れただけだ、と告げる昴にほっと胸を撫で下ろしたものの、アスファルトに打ち付けたのだろう、擦り剥いた頬は痛々しい。乾いた服に着替えさせて、部室にストレッチマットを敷いて蒼を寝かせた。そうすれば、あとは気が付くのを待つだけだ。ちょうどそのとき、範昭と久蓮が館内に入ってきた。二人ともとっくに濡れ鼠だった。


「ノリ先輩! 久蓮さん! ……久蓮さん?」

「真平……」

「冷え切ってるじゃないですか!! 早く乾かしましょう」

「……ん」


 真平は慌てて久蓮にタオルを被せた。風邪をひいてしまっては、目も当てられないだろう。

 範昭と昴が、蒼と久蓮について会話をし、昴は久蓮を抱えシャワールームへと消えていった。そして、そんな彼らが、すっかり乾いた服に身を包んで戻ってきた時、漸く真平は人心地着くことができたのだった。


「こーら、翔太! いつまでも濡れたままで居ないで、僕たちも着替えるよ!」

「え、は、はい!」

「そうだぞ。俺達が風邪引いたら、馬鹿みたいだろう?」


 自分たちの事を棚に上げて声をかけながら、真平は着替えを取りに部室へと向かった。

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