23.衝突する想い(天恵7年7月中旬)
久蓮の去ったグラウンドには、漸く普段の雰囲気が戻ってきた。停まっていた時間が動き出したかのように、真平たちは息を吐いた。
「お前、どうしちゃったんだよー蒼?」
久蓮の背を見送ったまま独り立ち尽くす蒼のもとに、そんな声をかけながら翔太と真矢、大介が近付いていった。真平は、裕也と共に少し離れたところでその様子を見守ることにした。
蒼のもとに集った彼らは、皆一様に心配そうな様子で眉を下げている。それはそうだ。いつからか――あの記録会の日からだ――久蓮の後を追ってばかりいたこの後輩が、突然久蓮に反旗を翻したのだから。
「どうもこうもない、言葉の通りです。久蓮さんは甘すぎる」
「お前、大丈夫か?」
「そうだよ! ちょっと前まで、久蓮さん信者だった癖に。どうしちゃったんだよ」
そんな先輩たちに、蒼は毅然と告げた。なおも心配そうに問いかける言葉に、蒼が揺らいだ様子はない。
「別に。……ただ、僕はどうしても、帝北に勝ちたいだけです。あのチームに、――心の底から」
強く強く言い放った蒼の気迫は中々のものだった。囲んでいた彼らが気圧されて押し黙ったのが、ここからでも判った。蒼の言葉を噛み締めるようにして、真矢と大介がこちらへと戻ってくる。
「久蓮さんに、任せるのが……吉?」
蒼の反抗が、その場の思い付きではないということは、その表情を見ればよく解った。きっと蒼は、様子がおかしくなったあの頃から、ずっと考えていたのだ。そして、久蓮に反旗を翻すという結論に至った。そういうことだ。
「いいのかね、これで」
「んー。とりあえず、怪我だけは気を付けないとですかね」
「だね」
真平と裕也のもとまで戻ってきた真矢が問いかける。真平自身も、正解は解らない。けれど、あの久蓮の様子を見るに、この展開はもしかすると久蓮も望んでいたものなのかもしれない。
真平は悩みながらも、そんな言葉を返した。皆で頷き合いながら、真平たちはこの事態を見守ることにした。
*
その日からの蒼は、今まで以上に何かに取り憑かれているかのように練習を重ねていた。確かに、あの久蓮に挑むのだから、真平としては蒼の気持ちはよく解る。とはいえ、そろそろ流石に限界だろうか。
真平がそう危機感を募らせたのは、勝負の時が翌日に迫った土曜日のこと。けれど、真平が声をかけるよりも前に、裕也が動いた。
「お前、そろそろホントに怪我するぞ」
裕也は、ずっとずっと蒼のことを心配していた。それだけ、怪我の辛さを知っているからだ。真平の時にも、真っ先に気付いてくれたくらいに。オーバーワークを止めるための裕也の言葉は、蒼を案じてのそれだった。だが、勝負前にして、いつも以上にピリピリしていたらしい蒼はその言葉に噛みついた。
「ほっといてください。僕は、どうしても勝たなくちゃいけないんです!」
「お前……何で、そこまで」
「むしろ、なんであなたは、そんなに冷静でいられるんです? 裕也先輩! もっとがむしゃらになってくださいよ」
叫ぶように裕也の言葉を拒否した蒼は、自身の周りに集まっている面々を強く睨みつけている。その意思の強い瞳には、裕也の言葉も、皆の心配も届いていない様子だ。カッとなった様子の蒼が、がしりとその肩を掴んで捲し立てた。
「蒼?!」
「落ち着けって!」
「別に、俺だって真剣だよ」
流石に驚いた真平は、真矢と共に蒼を制止する。けれど、そんな真平たちを手で制して、裕也が静かに告げた。ひやり、と裕也の周りの空気が冷えた。
「何も考えずに突っ走ることだけが、成長の道じゃないだろ。ただがむしゃらに頑張れば、速くなる? ――そんなの俺は御免だね。……言っただろ? 皆がお前と同じだと思うなよ、蒼」
――――裕也……。
裕也の声色は淡々として冷たい。確かに、蒼の主張はいわゆる出来る側の意見だろう。誰もが蒼や久蓮のように走れるわけではない。裕也は静かにそう非難しているのだ。
じりじりと冷たい火花が散る、主張のぶつかり合い。最大まで高まった緊張感。空気が悪い。
「やめろって、お前ら!」
鋭く止めに入った真矢に合わせて止めようとした翔太を、振り払った蒼の手が突き飛ばしてしまった。
「――っ」
「あ……」
「蒼!」
「お前、いい加減にしなよ!」
それが、引き金だった。まるで殴り合いにまで発展しそうな険悪な雰囲気が漂って、場は紛糾の様相を呈した。どうしようか、と真平は逡巡した。このままでは、取り返しがつかないいざこざになりそうだ。その瞬間――。
ぱんっ! と全ての空気を冷やす、乾いた音が鳴り響いた。反射的に振り向けば、その出所は昴。いつもと同じ柔和な笑顔で佇むその姿は、けれど、どこか異質だ。
「ヒートアップしすぎですよ、皆さん。今日はここまで。――全員、頭を冷やしなさい」
いつもどおりの筈の声色。だが、その言葉には有無を言わせぬ強さがあった。毅然とした態度は、この場を収めるためのものだ。まさに鶴の一声。皆が煮え切らない思いを抱えながらも、解散していく。真平は、グラウンドに独り残って空を睨み付けている蒼を見て、そして部室へと戻ることにした。蒼は、今はそっとしておいた方がいいだろう。
雲が、厚くなっていく。きっと、明日は、雨だ。




