22."エース"の反抗(天恵7年7月中旬)
それが起こったのは、いつも通りの終わりの集合でのことだった。久々に全員が揃った集合。久蓮が解散を告げるその前に、蒼が口を開いた。
「久蓮さん。……あんた甘すぎですよ」
「うん?」
唐突に久蓮を批判した蒼の言葉に、真平は驚いて蒼を見つめた。驚いたのは真平だけではなく、皆が息を呑んで凍り付いた。張り詰めた雰囲気の中、ぱちりと目を瞬かせた久蓮は緩く笑みを浮かべている。
「どうしてそう思う」
「もう七月も半ばです。あと一ヶ月……。今のままで、帝北に勝てっこない」
「本当にそう思う?」
「火を見るより明らかでしょ」
真剣な表情で言葉を紡ぐ蒼を見つめ、久蓮はただ黙して聴いている。必死な蒼の言葉を聞いても、久蓮はただゆるりと口の端を吊り上げただけだった。真平には、その真意は読めない。そんな久蓮に構わず、蒼は更に言い募る。
「あんたも解ってるんじゃないですか? このままじゃダメだって」
「さあね。君くらいかもよ。そんな弱気なのは」
「――っ! なんであんた、そんなに余裕なんですか」
「逆にさ、慌てたとして。一朝一夕でどうにかなるものなの?」
「それは……。……でもっ!」
熱を帯びた蒼とは対照的に、久蓮は静の雰囲気を纏ったままだ。食って掛かる蒼の様子を楽しみと共に見つめている久蓮の返答は、あくまで冷静で、淡白だった。
「ばぁか、蒼。このチームには、オレがいるだろ」
「――!」
更に言い募る蒼に、久蓮は不敵に笑んで言い切った。瞬間、蒼は言葉を失っている。傍から様子を見守っていた真平も、目を見開いた。だって、その瞬間の久蓮の様は、あまりにも頼もしく見えたから――。
「何言ってんだ! その、あんたが――」
「蒼」
けれど、蒼は尚も久蓮に喰ってかかった。その様子にどこか不穏なものを感じた真平は目を細めた。そして、真平がそう思うのと同時に、久蓮が突如、強い調子で蒼の言葉を遮った。その瞳は鋭く輝く。皆が二人の出方を探りながら静まり返ったその中で。諭すように語りかける言葉は、平淡だ。淡々と、けれど意志をもって届けられる言葉。
「オレはね。やり方はいくらでもあると思ってる。けど、オレのやり方はコレ。もうずっと前から、そう決めてる。――そしてオレは、コレが一番正しいと思ってる。だから――」
そして久蓮は、言葉を切って口角を上げた。
「刃向かうつもりなら、いいよ、おいで。――ただ、それなりの覚悟を決めて、ね」
「――!」
にっこりと微笑んだその表情は凄みさえ感じさせる、"上に立つ者" の久蓮だった。蒼は息を呑み、俯いた。魅入られたように真平はその光景に釘付けになった。
そして、蒼がゆっくりと息を吸い込んだ。
「覚悟なら。もう、とっくの昔に決めてます」
「そう。――それで? お前の望みはなあに?」
あくまで、意思を貫き通すと。そう告げた蒼に、久蓮は驚くでもなくただ笑みを浮かべた。問うた言葉はむしろ、蒼の反抗を喜ぶかのように喜色に揺れている。
「僕が。あなたの代わりに八区を走ることです」
「蒼、それがお前の考える最善策?」
「ええ、そうです。僕達が勝つためには、――あんたに八区は走らせない……!」
何を、言い出すのか。真平は耳を疑った。現状、八区には久蓮が適任だというのは、実力的にも皆の総意だと思っていたのだが。けれど、蒼の表情はとても冗談を言っている雰囲気ではない。目の前に立つ久蓮を、強く強く睨みつける蒼は大真面目だ。何故、急に――?
「でも、オレはオレが最適だと思ってる。だから――タダで譲ってやるワケにはいかない。解るよね?」
「譲ってもらえないなら、奪い取ります」
そんな蒼の言葉を聞いた久蓮は、けれど驚く様子はなかった。相変わらず笑みが浮かべる久蓮は、待ってました――なんて言葉が聞こえてきそうな程にいつも通りだった。
そして、強気な蒼の宣戦布告を聞いた久蓮の変化は如実だった。瞠目して動きを止めた、その数瞬後。
「あはっ、はははっ」
心の底からの笑い。それは、蒼を馬鹿にしているのではなく、この状況を本気で楽しんでいることが明らかな響きだった。
「あー。お前サイコーだよ、蒼――いいよ。相手してやる」
少しして、漸く落ち着いたらしい彼は、涙目を擦りながら告げた。纏っているのは、凄みを感じる気迫。対峙している蒼は、はっと息を呑んでいる。それは、傍から見ている真平たちとて同じだった。
「でもまぁ、君はレース走ったばかりだから。すぐにってのはフェアじゃないやね。今週末とかどう?」
「なんでも構いません」
「最短区間すら十キロ近くあるんだ。八区を走るとなると、五千メートルじゃ、話にならないよな。――二十キロとかにしとく?」
「お前、さすがにそれはやめとけ」
口を挟むことすら憚られる、そんなぴんと張り詰めた雰囲気。けれどそれは一瞬で霧散して、またいつもの久蓮が戻る。皆を置いてきぼりにする勢いで切り替えた久蓮は片目を閉じて、「二十キロとかにしとく?」と、まるで悪戯でも囁きかけるように問うていた。
二十キロ、という言葉に、今まで黙して成り行きを見守っていた範昭が口を挟んだ。二人の視線が絡み合い、数瞬の攻防。先に口を開いたのは、久蓮だった。
「や。ダメ。二十キロだね。アンカーやるなら、たかが五キロや十キロ速く走れたって意味がない。――いいよね? 蒼」
「敗けません――絶対に」
「ん。本気でいくから、覚悟しといて」
否定を許さない――そんな雰囲気さえ感じさせる、久蓮の問いかけ。瞳に決意を揺らしながらに頷いた蒼に、久蓮は満足気だ。そしてそこで蒼から視線を外すと、ただ息を詰めて様子を見ていた皆を見回し、口を開いた。
「そういうわけで、解散!」
はきはきと告げる我等が主将は、さっさと踵を返して部室へと戻っていった。その最中も変わらず浮かべられていたその笑顔は、早くも今週末に思いを馳せているかのようだった。




