20.心配無用?(天恵7年7月上旬)
そんな騒動の翌日。真平は、北海道網走市に足を運んでいた。今日はここ網走市営競技場にて、「キョクノウDC」が行われるからだ。本来は真平もエントリーしていたのだが、怪我によりDNSとなってしまった。今回は、久蓮の代わりに目となるべくここに居る。
真平の他に極北大からは、出場する蒼、見学・付き添いを兼ねて昴、範昭、そして翔太が足を運んでいる。そして、蒼のレースは最終組――夕方、陽も傾いてきた今から、各実業団チームのトップさえもが集まるそのレースはスタートするのだ。
いま、蒼は他校の選手たちと共に、スタートラインに立っている。
「よお、昴」
「監督……!」
「とりあえず一回目な~。遊びに来たぜ」
トラックを見下ろしていると、背後から軽快な声が聞こえてきた。て振り返ると、ふらりと片手を上げた男性が立っていた。大きめの背を丸めて、片手はポケット。そんな出で立ちの彼は――。
「すみません、お二人とも。この人は、僕が学生時代にお世話になった監督の、」
「どーも。青谷学院大学駅伝部監督、保科圭介でーす」
苦笑しながらの昴の紹介を受けて、保科は緩い自己紹介をした。にこにこ……いや、ニヤニヤと笑いながら。
真平は驚きながらもぺこりと頭を下げて自己紹介を返した。同じ動きをした翔太を見ながら、そういうこともあるか、と考える。キョクノウDCには箱根の常連校も参加しているわけだし、昴は青谷のOBなのだから。
「――On your mark.」
「あ、始まる……」
眼下では、コールがかかり、軽快なピストルの音とともに、レースが始まった。真平はビデオカメラを片手に、ストップウォッチのボタンを押した。
*
レース初めから、二人の外国人選手が競り合いながら飛び出した。そこから少し間を開け、他の皆が続くという展開になった。蒼は、第二集団のいちばん後ろ辺りを走りながら、零れてくる選手を拾っていた。
「六十四か。十三分二十秒ペース。誠司の奴、攻めるねぇ」
「流石深松さんですね……やはり安心感が別格だ」
「それにしても……青谷の奴ら、も~少し攻めてもいいんじゃないか? 記録会だぞ?」
「ははっ」
保科が誠司――ムーンベルクの深松誠司について口にした。第二集団先頭を走る彼は、果敢に攻めのレースを作っている。また、保科は不服そうだが、青谷の選手たちにしてもかなりのペースだ。
真平は思わず眉を寄せた。全日に出たら、真平たちが相手にするのはこういうレベルの人たちなのだから――。
「あおーーー!!! 頑張れーー!」
翔太の声援が響く。
レース中盤に差し掛かる頃には、第二集団から遅れたメンバーで形成された第三集団の中に蒼はいた。しかし、なかなかにきつそうな表情。このままついていくのは苦しいかもしれない。
「あ~。ウチに欲しかったんだけどなぁ、如月蒼。湍水のヤツも欲しがってたぞ」
「でしょうね」
保科がそんな嘆きを零しているのを、真平は耳だけで聞いていた。箱根常連校が注目していた逸材。それが蒼なのだ。そんな事実を再確認して、真平はその"偶然" の重みに目を見開いた。
「絶賛、迷走中……ってか?」
「最近、色々とありまして……」
「ま、こんくらいなら大丈夫だろ。高校の時より、よっぽどイイ眼してるよ」
「ええ」
蒼の走りを見ながら、保科は昴とそんな会話をしていた。真平は目を見開いた。確かに、その通りかもしれない。だとすると、最近の蒼のあの焦りや葛藤は必要なもの――成長の過程?
からんからん、と鳴り響く鐘がラスト一周を告げた。ただ前へ前へと必死に走る蒼からは、「一秒でも速く」という意志が滲み出ている。
「やった、すごい! あお、十四分切った!!」
そんな嬉しそうな翔太の声が響いた。
*
「よう! お疲れさん」
「おかえりー」
ベンチに戻ってきた蒼と付き添いの範昭を出迎える声を上げたのは極北部員――ではなく、保科と、いつの間にか来ていた宮田悠だった。因みに、弟の晃も一緒にここに居る。
部員たちを見るなりどこか安堵した表情を浮かべた蒼は、一体下で何があったのだろうか。……なんとなく予想が付く気がする。深雪の同期や先輩たちを思い浮かべ、真平は苦笑した。そんな真平たちを余所に、保科は青谷の部員たちのところへと戻っていき、宮田兄弟が蒼に歩み寄っていく。
「如月クン。お疲れさん」
「悠さん……晃……」
「お前、調子出てきたな」
「どこが。全然足りない」
二人の言葉に受け答える蒼は憮然としているが、彼等は全く気にしていなかった。
「蒼、お前……。人間らしくなったな」
「何? バカにしてる?」
「そういう所だよ」
からからと笑う晃に、蒼は目を細めていたけれど、当の本人は嬉しそうに笑い続けている。
「なんか皆、お前のことを心配してるみたいだけどさ。俺は全然心配してないぜ。気付いてるか? お前、初めてだろ。"誰かのために走る" なんて考えたの」
「!!」
しっかりと蒼を見つめて告げられた言葉に、蒼は目を見開いた。その言葉は、蒼の心に強く響いたようだった。そんな蒼に、高校の時よりずっと良い顔をしている、と、晃は笑う。
「突き進めよ、信じるままに。俺も、負けない」
そんな言葉をかけた晃に、蒼は立ち尽くしているけれど。同時に、真平も。その言葉に衝撃を受けた。高校時代の蒼の事を、真平はよく知らない。知っているのは、その記録くらいだが。
やはり、蒼は変わろうとしている、のだろうか……?




