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夢の続き【番外編】  作者: 灰猫
【正に"天恵"とも言うべき】岩本真平
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16.まだ、道半ばだから(天恵7年6月中旬)

 それから一週間近くが経った。

 とある昼下がり。午後いちばんの講義が休講になった真平は、構内南側――経済学部のある文系棟の正面にある、食堂横の池を訪れていた。三限目の講義が始まった今、人通りはややまばらだ。畔に設置されたベンチに座り、見るともなしに池を眺める。さわりと揺れる草が、視界の隅で踊っている。

 真平は溜息を吐くと、LINEにメッセージを打ち込んだ。


――――"今、時間ある? " 。

――――"3限なし。何? " 。

――――"電話してもいい? " 。


 送ってすぐに既読が付いて、返信が来た。さらにメッセージを重ねれば、すかさず着信が入った。驚きながらも、そういえばこういう奴だったな、真平は少し心が晴れた気がした。僅かに口許を緩ませて、真平は通話ボタンを押した。


「どうした」


 鼓膜を揺らしたかつての同期の声に、真平は一瞬声を詰まらせた。久蓮以外で、真平の弱さも情けなさも、一番知っている彼――。


「ごめん……紫吹」

「何、どうした」

「僕、やっちゃったよ……」

「まさか――」


 声を落として、開口一番に謝罪を告げた真平に、電波の先の相手――奥村紫吹は訝し気に問うてきた。それはそうだ。あまりにも唐突な切り出し。けれど、言葉を重ねた真平に、紫吹はその言わんとするところを察して息を呑んだようだった。


「……怪我、しちゃった」

「……」


 先日激励をくれたばかりの紫吹に、こんな報告をしなければならないことが申し訳ない。黙り込んだ紫吹に、真平の視線は下がる。暫くの沈黙の後で、紫吹が息を吸い込む気配がした。


「久蓮さんは何て言ってるんだ?」

「予選は外す……って」

「そうか」


 静かに問うた紫吹に、真平は正直に答えた。久蓮の言葉――そして本当は、そうすべきだと自分でも解っている最善策を。紫吹は、淡々と言葉を続けた。


「なら、こうも言ったろ? "本戦ではお前の力が必要だ "……って」

「なんで……」

「事実だからだよ。なあ、真平。何を迷ってんだ? まだ何も始まっていないのに。お前、そんな程度の覚悟で久蓮さん(あの人)についていったのか?」

「――違う!」

「なら。解ってんだろ」


 あまりにもあっさりと紫吹が久蓮の言葉を当てたので、真平は驚きに言葉を失った。

 諭すように続けられた紫吹の言葉は、真平の心に沁み込んで、その水面に細波(さざなみ)を立てた。反射的に、言葉を返す。中途半端な気持ちで久蓮を追いかけたつもりなどない。実力を伸ばすための研鑚の日々は、そんな覚悟で乗り越えられるほど生易しくはない――まだ、道半ばだけれど。

 ふ、と笑って、紫吹は告げた。


「……言ったろ? ――まだ、時間はある」


 その声は、真平の再起を本心から信じてくることが伝わってくるもので。真平は目を見開いた。

 やっぱり、紫吹は凄い。この同期は、悩んで立ち止まるということなどないのではないか。きっとそんなことはないのだろうけれど、そんな夢想をしてしまうほどには、頼もしく現実を見つめている。


「ごめん。……ありがとう」

「ああ」


 会話をする前よりもかなり晴れやかになった心で、真平は感謝の言葉を告げた。返された言葉はいつも通り淡々としていたけれど、そこに含まれる安堵と喜びの感情に、真平は確かに勇気づけられたのだった。


   *


 通話を切って顔を上げた真平の視界に、よく見知った顔が映った。真平の現在の同期――富樫裕也がそこに立っていた。


「悪い……偶然見かけて……」


 盗み聞きするつもりはなかったんだ、と心配そうに眉を下げているその姿に、罪悪感が込み上げた。ここ暫くの真平の様子は、端からはどんな風に見えていただろうか。きっと、酷く心配をかけていたのだろう。そんな周りが見えなくなるほどに、自分はずっと焦りに駆られていたのだ。

 この時間にここに居るということは、裕也も今日は三限目は開きコマだということだ。立たせたままというのも申し訳なく、真平が少し横にずれると、裕也は礼を告げて真平の隣に座った。


「ごめん。裕也は止めてくれてたのに……」

「……俺には、お前の想いとかきっと全然汲めてないんだろうけどさ。まだたった二年だけど、お前のこと、ずっと隣で見てきたから」


 罪悪感のままに謝罪を零した真平に、裕也はそう言葉を紡ぎ始めた。その意図するところがわからず、真平は静かにその言葉に聞き入った。裕也は真っ直ぐ前を――池を見つめて話を続ける。


「俺が怪我したときも、励ましてくれて、助けてくれて、補強にもウエイトにも付き合ってくれてさ」

「当然だよ、そんなの」

「そう。お前はそういう奴だ」


 前に裕也が怪我をしたとき、確かに真平は傍にいたし、補強だって一緒にやった。大切な同期でチームメイトなのだから、そんなことは当然だし、補強だって別に裕也のためだけではない。やればやっただけ、真平自身の力にもなるのだ。そう頷けば、裕也はあっさりとそう告げた。


「だからさ」

「うん」

「たまには、俺たちにも――俺にも助けさせろよ」

「――!」


 裕也の言葉に、真平は言葉を失ってただ目を見開いた。


「俺が信じられなくてもいい。俺はお前みたいな実力はないからな。でも、久蓮さんを信じてさ――」

「違う!」


 その様子を、信じていないと勘違いをしたのかどうか。言い募る裕也に、真平は首を振った。


「……違うんだ、皆を……君を信じてない訳じゃない……。ただ、自分が情けなくて、不甲斐なくて……それだけなんだ」

「そんなの。でも、その分全日では今より凄い走りを見せてくれるんだろ?」

「――っ、当然だよ……っ!」

「なら、それでいいじゃんかよ。怪我のことなら俺の方が()()だからな。()()()一緒に乗り越えようぜ」

「裕也……」


 理解している。けれど踏ん切りがつかない。それは、(ひとえ)に自信の不甲斐なさ故だ。そう言った真平に、裕也は笑った。その笑顔は常になく熱く燃えているようで、真平はまじまじとその顔を見つめた。頼もしい笑顔。

 本当に、裕也の言う通りだ。悔やんでも、怪我はもう起こってしまった現実だ。真平に出来ることは、そのうえで、これからで出来ることを精一杯やること。それは、走る皆を精一杯サポートすることであり、自分が復帰した時に最大限の力を――今よりももっともっと早く、強く走れるようになること。


「そうだね。ありがとう!」


 真平は、裕也に笑顔を向けた。多分、心の底から笑えている。

 

――――もう、迷わない。だって、迷っているだけ、時間の無駄――でしょ?

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