14.露呈と衝動(天恵7年6月上旬)
昴と久蓮の対決があったその週、土曜日。嫌になるほどの、綺麗な快晴だ。
アップを終え、メニューを始めるために皆が集ったそのタイミングで、険しく眉を寄せた久蓮が真平の名を呼んだ。その固い声色に嫌な予感がした真平は、びくりと肩を揺らし怯えるように久蓮を見遣った。
「……真平、お前。今日は、帰れ」
「嫌です」
「脚。痛むんだろ? 直ぐに病院行ってきな」
「嫌です」
「……真平」
的中。声色は変わらないものの、いつもより強い久蓮の言葉。即座に拒否すれば、僅かに低くなった声が……尚も言い募る。
「なんとも、ありません。走れます」
「それは、脚庇うのをやめてから言いな。お前、オレに隠れて練習してたろ」
その瞬間、真平の中で、何かに皹が入った。俯いて呟いた言葉は、掠れて上手く音にならなかった。
「……のに?」
「え?」
「四年前、あなたは走ったのに?」
そう告げた瞬間、久蓮が目を見開いた。その瞳に、痛みが走ったのを見てしまった。ああ、こんな顔をさせたいんじゃないのに。そう、冷静な自分がどこかで思う。けれど、同時に。一度堰を切った言葉は止まらなかった。衝動のまま、真平は悲痛な声で告げた。
「蒼と昴さんがいるから、もう僕はいらないの?!」
「お前がそう思うなら、――そうかも」
「久蓮!?」
視線が絡み、無表情の久蓮が温度のない言葉を返した。何を言い出すのかと驚愕に満ちた範昭の悲鳴じみた声が響くが、これは明らかにこちらが悪いだろう。先に地雷を踏み抜いたのは真平だ。
「お前、何の為に、ここまでのしあがってきたのさ。予選会の先に、何もないとでも?」
固まった空気の中、僅かに怒りを含んで尖った声色で溜息混じりに久蓮が言葉を続けた。その言葉は、ぐっさりと真平の胸に突き刺さった。その通りだった。北海道大学駅伝――それはあくまで、全日の予選会であり、最後のチャンスではない。でも、それでも――。
反論の言葉を探す真平は、けれどそれを告げることは出来なかった。
「それくらいにしましょう、主将。――僕は今から病院なのですが……真平さん、ご一緒してもいいですか?」
硬直した場に、柔らかい昴の声が割って入り、蓮の硬い空気が瓦解した。昴に穏やかに微笑まれ、真平は無言のままに頷いた。
*
「ありがとうございました」
「いえ」
久蓮に謝罪を残して早退した真平は、隣を歩く昴に礼を告げた。あのまま言い合いを続けていたら、真平はもっともっと久蓮を傷つける言葉を吐いていたに違いない。
そのまま静かに歩き続け、二人は楠木整形外科へと到着した。
*
診察室から出た真平は、待合の椅子にどさりと座り込んだ。目の前が暗くなり、立つ気力が沸かない。俯いた真平の視界の外で、誰か――昴が近付いてくる気配がする。
「おい、昴。お前……まさか、やっちまったのか?」
「え? 佑介さん? ……ああ。――いえ、俺は付き添いです」
昴に話しかけられそうな気配がしたその時、佑介の驚愕の声が響いた。昴は予想外の人物の登場に驚いた様子だったが、すぐに納得したように否定した。昴が整形外科に居れば、それは驚くだろう。
「どうでしたか?」
「……、……。疲労骨折。全治二ヶ月半……だそうです……」
「……」
口に出すと、それが現実だということを否が応にも突きつけられた。唇を嚙み締める。沈黙が辛かった。
「そう、か……。予選は諦めるしかねぇな……」
「ダメです……かね。ギリギリ……」
「オレはお薦めしないね」
佑介の言葉に、真平は一縷の望みをかけて食い下がった。佑介は、無理だとは言わなかったが、眉を下げて首を振った。その言わんとするところは、真平も解るのだが。そうしても、諦めがつかないのだ。そんな気持ちを知ってか知らずか、昴も口を開いた。
「全日に合わせるのが賢明ですが……直ぐに割り切れるものでもないですよね」
真平は、昴のその言葉に拳を握り締めて頷いた。
「君は、僕や範昭さんと同じで、久蓮さんの役に立ちたい、と思っているのですよね。今も昔も」
「その……通りです」
「なら、どうするのが一番久蓮さんのためになるのかを、よく考えることです。無限ではないですが、まだ時間はある。君が悩み、納得して出した答えならば、僕は応援しますよ」
「昴さん……」
昴の言葉は、優しく響いた。ささくれ立った真平の心を包み込むようなその言葉に、真平は眉を寄せた。不甲斐ない自分を、支えてくれる先輩たち。その優しさを、無下にするわけにはいかない。の、だけれど。まだ、心の整理がつかなかった。
昴と二人、病院からの帰り道を歩く。
「それでは、僕は病院に行きますね」
「はい……手間をかけてしまいすみませんでした」
「いえ。おかげで想定外に佑介さんにも会えましたし……。久蓮さんには、報告だけはしてあげてくださいね。気を揉んでいるでしょうから」
「わかりました」
昴にとって本来の目的であった呼吸器内科へ向かうという彼に、真平は深く頭を下げた。昴には申し訳ないことをしてしまったが、傍に居てくれて本当に良かった。もしも独りきりだったら、どうなっていたことか。
*
夕方――いや、もはや夜といって差し支えない時間帯。悩みに悩んだ末、ようやく真平は携帯の通話ボタンを押した。
「お疲れ、真平」
「久蓮さん……」
途切れたコール音の先、久蓮の声は普通だった。朝のあの冷たい雰囲気は一切感じられない。あんなことを言ってしまったのに。真平は、久蓮の名を呼んだ。自身の想像よりも、数段暗い声が出てしまった。
「うん」
「だめ、でした。……疲労骨折、全治二ヶ月半……だそうです」
「そ……か」
何とか絞り出した報告に、久蓮の声は掠れていた。久蓮が罪悪感を覚える必要はないのに。久蓮は止めてくれた。それを無視して無理をしていたのは、自分の方なのだから。
「……連絡、ありがとう。とにかく、休め。皆には、明日言う――いいね?」
「はい。……すみません。おやすみなさい」
「……ん」
久蓮の声は優しかった。思わず泣きそうになるのを何とか堪えて、通話を切る。不甲斐ない自分に、吐き気がした。




