6.蕾綻ぶまでは(天恵7年5月上旬)
翌日。
今日は、北海道インカレに出場する選手を先行するためのタイムトライアルが行われる。希望種目がロングの者が五千メートル、ミドルの者が千五百メートルを走り、今の実力を見るのだ。――つまり、一万メートル、五千メートルを希望する真平は、今日は五千メートルを走る訳だ。
「五千メートルが四人、千五百メートルも四人……か。りょーかい了解。じゃあアップ後に五千メートルからいくよー」
いつもの如く行われる、練習前の集合。けれど、今日は久蓮の言葉に続きがあった。
「五千メートルはオレが二分五十五秒-三分-三分十秒-三分-二分五十五秒のトータル十五分ジャストでペースメイクするよ」
「ダメだけど」
久蓮のその言葉に真平が期待を抱く間もなく、範昭がいつもの塩対応でさっさと否定した。その唐突な否定に集合の場が軽く凍りつく。いつも久蓮に厳しい態度を見せている範昭だが、そのやり方に面と向かって否定を突き付けることは、ほとんどない。だからこそ、この言葉には、一同が驚いているわけだ。
「え?」
「え?」
何故止めるのかときょとんと聞き返す久蓮に、何故許可すると思ったのかと、これまたキョトンと聞き返す範昭。二人はそのまま暫し無言で見つめ合い……。
「ちょっとノリちゃん集合」
久蓮が範昭を引き摺って後ろに下がり、小声で言い合いを始めた。
――――"試合は六月からって言ったろ" 。
――――"えー、これは練習だし……" 。
わりと聞こえるボリュームのその言い合いは、すぐに決着したようだ。
「えー、コホン。タイム計測は任せてねー」
「正選一枠空いたぞ、気張れお前等」
――――残念、一緒に走れるかと思ったんだけどなー。
若干残念そうに告げる久蓮に、にやりと笑った範昭。ともかく、これで久蓮のインカレでの復帰はなくなったわけだ。けれども、これは予定調和にも感じられる。久蓮は、元々それほどこのT.T.を走る気はなかったのではないか。いやにあっさりと引き下がった久蓮に、真平はそんなことを考えた。
まあ、果報は寝て待て、という言葉もあるのだ。真平は自分のできることをして、久蓮の復帰を待てばいい。
*
「それじゃあ、位置についてー」
パァン!
久蓮の言葉と、スターターピストルの合図で始まったタイムトライアル。真平は合図と共に飛び出すも、それに蒼が食い下がってくる。
――――そうそう、こうでなくちゃ、ね。
ペースは一キロ二分五十秒ペースだ。二人の実力からすると、そう速すぎるというものでもない。今日の調子は、普通。疲労を抜かずに挑んでいるのだから、むしろ良い方だろうか。背後の気配を意識しながら、ペースを作る。
現状、久蓮を除いたメンバーで帝北大上位の選手達と勝負ができるのは、真平と、蒼くらいのものだろう。つまり、自分と蒼が、彼らにどれだけリードできるかが、勝負の明暗を分けるといっても過言ではないだろう。蒼には、ブランクがある。全盛期の力を取り戻すには、まだ少し時間がいるだろう。――ならば、自分が引っ張るのだ。
*
しかし、そんな真平の想いとは裏腹に、中盤。蒼の呼吸が急に乱れ始めた。それは、ここ最近の彼と同じ症状――そして、いつもより酷い症状だ。そのまま徐々に遅れていく蒼を、真平はちらりと見遣った。
――――まだ、ダメか。
で、あれば仕方がない。蒼との競り合いが望めないのであれば、真平はそこに拘ってはいられない。蒼を置き去りに、ペースアップをしていく。反応できていない蒼を置いて、真平は一人記録を求めて走り始めた。
*
びゅん。そんな効果音がとてもよく似合う、そんな飛び出しに、真平は目を丸くした。
五千メートル組のゴールから二十分後。再びの久蓮の合図と共に、中距離希望組の千五百メートルが始まった。その号砲と共に、短距離走と言っても過言ではないトップスピードで駆け出した翔太。それが、真平を唖然とさせた理由だ。
――――そういえば、初心者だったね。
入部当初の球技競技者然としたあの腰の低い走りから、劇的に変化した翔太のフォームに、スピード練習での圧倒的なスピード。陸上選手がすっかり板についてきたその様子に、すっかり忘れていた。翔太は、陸上を始めてまだ一か月だった。
スピードがあり、自分も皆のように走りたいと意気込んでいた翔太が、千五百メートルという中距離で、突っ込んでいくのは自然な流れだ。ここまで、タイムトライアルというものを経験したことがないのだから、長距離をきっちりと走りきるためにどのように走ればよいかなど、知る由もないだろう。
このスピードと、思い切り。上手く生かすことができればとんでもない武器になる。
――――でも、それはまだまだ先のこと……だろうな。
一週目の後半に、早くもペースが落ち始めている翔太を見ながら、真平は考えた。この走りをしている翔太に、長距離の走り方を教えるのは、なかなかに難しそうだ。久蓮には何か考えがあるのだろうけれど。
――――僕が、頑張らないと。
期待の新人たちがその真価を発揮するのは、まだまだ先のことになりそうだ。それが、勝負の時に間に合うといいけれど――まあ、久蓮が導いていて、そのタイミングを外すとは思えないけれど――それでも、万が一ということもある。
例えそうなっても、良いように。自分にできることは、走ることだ。一秒でも記録を縮めるために。真平は決意を新たにした。それが焦りだとは気付かないまま――。




