5.それでも停まることなど(天恵7年4月下旬)
「おい、真平。お前。なに焦ってる」
裕也にそんな声をかけられたのは、練習後、独り居残って走り続けていた時のことだった。陽が落ちてきたグラウンドは薄暗く、自身が速くなったようにさえ錯覚させる爽快感がある。
「別に、いつも通りだよ?」
「嘘だね。お前、気付いてないのか? いつもよりフォームが荒いよ」
「……」
誤魔化して笑んで見せるも、裕也は騙されてはくれなかった。フォームが荒い、などと。全く、自覚なんてなかった。
「"久蓮さん" か――」
「……」
いつもは久蓮のことを"主将" 、と呼ぶ裕也が、敢えて久蓮の名前を呼んだ。真平は、焦りの理由――図星を突かれて黙り込む。
「やめとけ、とは言わんけどさ。あまり、入れ込み過ぎるなよ。こんな無茶続けてたら、いくらお前でも、怪我するよ」
久蓮に入れ込み過ぎるなと言われても、それはとっくに手遅れだ。久蓮のために――久蓮とまた走るためだけに、真平はこの極北大に進学したのだから。共に駒河大に行こうと言ってくれた紫吹の誘いも断って。
それに、こんな程度は無茶のうちに入らない。無茶、とは、かつての久蓮のような振る舞いを言うのだ。
「そんなの、……」
「無理、――ってか」
「……」
ぽつりと口を開いて、けれども結局黙り込んだ真平に、裕也は呆れたような声を出した。その中に、心配の色を感じて、真平はなんだか申し訳ない気持ちになった。
「ま、良いけどさ。とりあえず、今日は終わり」
軽く溜息を吐いた後、裕也はそう言って真平の練習を強引に中断した。
「ダウン行ってこい。見てるからな」
「う、ん」
有無を言わせないその言葉に、真平はのろのろとダウンを始めた。
*
「ほら、冷やせよ」
「……ありがと」
サークル棟に戻るや否や、裕也は氷を差し出してきた。部室前のスペースには、既にストレッチマットが敷かれており、真平がケアをするための体制が整えられていた。
自身は隣に敷いたマットで補強を始めながら、裕也は口を開いた。
「俺は、嫌だよ。お前が怪我で躓いてる所なんか見んのは」
「ごめん……」
裕也は、いつも練習で無茶をしない。それは、彼が理性的・理論的であるからというのも大きな理由だけれど。裕也は、よく怪我をする。去年一年間でも、思うように練習ができず悔しそうにしている彼を傍でよく見てきた。そんななかでも着実に記録を伸ばしている彼には恐れ入る。それに、怪我の期間、補強や筋トレを徹底して、ここ最近はその怪我もない。
そんな裕也だからこそ、真平のこともこうして心配してくれているのだろう。怪我の苦しみが、よく解るから――。
ストレッチ、マッサージとケアを施していく。いつもよりも硬く凝っている身体に、想像以上に負荷が蓄積していることに気付いた。
「……ありがと」
きっと、今日は潮時だったのだろう。止めてくれた裕也に感謝だ。その心をそのまま言葉にした真平に、裕也は片眉を跳ね上げた。
*
土煙を巻き上げ競う集団を、フィールドからの声援が追う。白樺の黄緑が映える、快晴だ。雪解け水の湿度を含んだ風から、乾燥した春風に変わる季節。あの反省会の翌週土曜日。今日も今日とて、インカレに向けて追い込みをかけるための本格的な練習が続いている。
基本は蒼と二人、スピード練習のみ翔太も加わった三人でメニューを積み重ねている真平の調子は、良い。けれども、真平には、ある懸念があった。それは、蒼のことだ――。
メニュー終了後。翔太と連れ立ってダウンジョグをする蒼の背を、真平は遠くから眺めながら、自身もジョグをしていた。二人で何かを話しながら走る蒼に、おかしい所はない。
「なんなんだろうなー?」
ぽつりと疑問を口にする。そう、おかしい所はないのだ。――今は。
新入生二人がジョグのみの準備期間を終えて、メニューに本格的に参戦してきてから、徐々に違和感は強まるばかりだ。日を追うごとに、蒼の動きが悪くなってきているのだ。久々の強度の高い練習に疲労が蓄積しているとか、そんな印象ではない。近いとすれば――貧血か。けれど、この違和感は何だろうか。
そんなことを思い悩むうちに、小さかった彼らの背は、いつの間にかすぐそこだ。
「どうして、上に来ないんだろう……」
ぽつりと呟かれた、蒼の言葉が耳に入った。どうやら彼等は久蓮の事を話していたようだった。
――――まあ、気になるよね、そりゃ。
"オレも走る" と高らかに復帰宣言をした久蓮は、今も相変わらずCチームのペースメーカーに徹しているのだから。
真平が思うに、久蓮は、最も効果的な――劇的な復帰を画策しているのだろう。久蓮には、昔からそういうところがある。自身の行動で、想像しうる最高の結果を得ようとする――言うなれば、演出家、だろうか。で、あれば、きっと公式のレースが久蓮の復帰戦だ。それまでは、今のままのスタンスを貫くと思う。
「お疲れ、おふたりさん」
真平は、追い付いた彼らを追い越すことはせずに明るく声をかけた。
「しんぺー先輩」
笑顔で自身を呼ぶ桃谷と、話しかけられたことに訝しげな視線を送る蒼。意に介さず、岩本は無邪気に笑った。
「ラスボスの前には中ボスがいるよね。明日のタイムトライアル宜しく!」
――――おや?
発破をかけるも、瞳を輝かせたのは翔太のみで、蒼はどこか曇った表情をしている。そのことに首を傾げるも、気を取り直して真平はジョグを続けることにした。時間は待ってくれないのだから。




