4.歓喜と決意(天恵7年4月下旬)
「さて。そろそろ反省会を始めようか」
記録会の翌日二十時過ぎ。久蓮の自宅マンションで始められた食事会兼MTGは、その一言でいよいよ本題に入った。がらりと変わった久蓮の空気に、自然、背筋が伸びる。
久蓮は手際よく皆に資料を配布すると、口を開いた。
「で、だ。君たちの言いたいことは分かる。"何故、このタイミングで全日出場なのか? "、"本当に勝てるのか "だろ?」
部員たちの多くが抱える、その思いに、久蓮が気付かぬ筈がない。皆の無言の首肯を受けた久蓮は、さらに続ける。
「ひとつずついこう。まず、"何故、このタイミングで全日出場なのか? "……それは、オレが全国の舞台へ行きたいからだ。――君たちと」
その台詞には、一片の躊躇もなかった。真平は目を見開いて目の前の主将を凝視した。強気なまでの自信を見せるその笑みは――。
「オレたちは、それぞれの事情を抱えてこの極北大にやって来た訳だ。何かから逃げ出した奴。闘うことを辞めた奴。闘いの舞台を敬遠した奴……。だが、君たちはここにいる。オレの提示するキツい目標に真摯に取り組んでまで。――君たちは、多かれ少なかれ、走ることの魅力から逃れられなかった人間だ。どうだ? このまま終わりたいか?」
そう言い放った久蓮は、部員一人ひとりの目を覗き込んでいく。
ぱちり。視線が絡み合った。その瞳に燃える焔は、懐かしいあの遠い日の記憶そのままに、真平を射抜いた。
「少しオレの昔話を聞いてくれ。オレは昔、テレビの向こうのあるランナーに憧れて、陸上の世界に飛び込んだ。燻っていた当時のオレは、ライバル達との駆け引きを心の底から楽しんでいる彼を見て、こうありたいと願ったんだ。それからは……色々あったが。今も、オレは求めて止まない――」
目を伏せて、噛み締めるように、彼は話す。紛れもない本心なのだと分かる、それ。
――――ああ。僕は。
ふと、部員たちへと視線を向けた久蓮。
「君たちは、何故陸上を始めた? そして……どんな夢を見た?」
キラキラ、どころではない。ギラギラと熱い焔を湛えている、常にない篠久蓮の瞳が、告げている。その、情熱を――。
「他でもない、君たちと見たいんだ。誰もが一度は描いたであろう、夢の続きを」
静まり返った室内に、久蓮の声が高らかに告げる。ぞくり、と。全身に駆け巡るこの電流は、――歓喜だ。
――――僕の夢の続き。それは、あの日の続きだ。もう一度、久蓮さんと共にあの瞬間を駆け抜けることだ。同じ目標に向かって――。
一時はもう見られないのかと絶望した、チームを導く力強い主将――そんな久蓮が、今、現実に目の前に立っているのだ。喜んでいる場合ではない、筈なのに。真平の心を占める、処理しきれない程の歓喜――それは、涙として溢れ出した。ポロポロと零れ落ちる雫は、止まることがない。
「えっ、あー、真平? こらこら、どうしたよ?」
「ごめっ……なさ、でも、だって、久蓮先輩がいるから……」
「あー……」
そんな変化を、久蓮が気付かない筈もなく。その声はただ柔らかく優しく、真平を包み込んでいる。
――――止まれって! 久蓮さんが困ってる。
そんな事を考えても、効果はなかった。仕方ない。本当に久々なのだ。まさに尊敬してやまない、憧れて止まない久蓮の、その雰囲気は。どんな久蓮も憧れだが、やはり真平にとって、あの一年を共に過ごしたあの久蓮こそが、良く馴染んだ懐かしい姿なのだから。
「あー、うん。これからはちょくちょく見られるよ、多分。今までノリちゃんに甘えて楽してたけど、少しは頑張らないと、ね」
少し照れたようにガシガシと頭を掻いて目を反らした久蓮は、真平の心情を正しく理解しているのだろう。
咳払いひとつ。普段の雰囲気に戻った久蓮は言葉を続けた。
「と、いうわけで。これがオレの考えだから。皆、よく思い出して。それで、オレと、……夢の続きを目指してくれたら、オレは嬉しいよ」
ふにゃり。柔らかく微笑まれたその表情に、知れず安心している自分に気付いて、真平は心の中で首を振り気を引き締めた。
*
「さて」
十分な間を取って、久蓮は話を進めた。その頃には、真平はすっかり落ち着いていた。
「"本当に勝てるのか" という疑問についてだけど。皆の想像通り、現状はかなり厳しいのが正直なところだね。昨日の順位も平均タイムも物語ってるね」
――――判っていたことだ。
厳しい、という久蓮の言葉に漂う周囲の落胆を感じ、真平は内心で呟いた。けれども、一切後ろ向きな感情を乗せていない、自信に満ちた久蓮の表情に一同の纏う空気は困惑に変わる。
久蓮が勝利を信じる根拠を並べていく間も、真平はどこか上の空だった。
――――だって、久蓮さんが勝利を信じる本当の理由は――。
「まあ、まずは道インカレだ。きっちり練習して、壁を恐れずに果敢に挑んでほしい」
久蓮はそう締め括った。それでも不安を拭いきれていない面々に、こう続ける。
「大丈夫。――足りない分は、オレが走って埋めるから」
ゆっくりと、不敵な笑みが形作られていく。極大の勝利を心から信じるその表情に、やっぱり、と真平はきつく眉を寄せた。
――――それじゃ、何も変わらないんだ……! あの頃と……っ!
久蓮は、自分の力で何とかしようとしているだけだ。このままでは、高校時代の二の舞だ。そうさせないためにも。――速くなるしか、ない。




