2.理想と現実(天恵7年4月下旬)
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順位表 男子5000M決勝 1組
1着 東城皇 (4)帝北大 14'09
2着 那須伊織(1)帝北大 14'19
3着 北市陞 (3)帝北大 14'25
4着 岩本真平(2)極北大 14'25
……
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張り出された順位表に印刷された結果は、到底満足できるものではなかった。
十四分二十五秒、四位。タイムとて、ベストから十秒も遅い。冬の鍛錬期を経ての一発目のレース、ここに合わせてはいないとはいえ、自己ベストくらいか更新しておきたかった。そして何よりも、帝北大の選手にラスト競り負けての四着。悔しさが溢れ出して止まらない――。
四月下旬。まだ寒いこの時期に例年行われる、第一回月例記録会。会場の喧騒はどこか遠く、アーケード下の掲示板に貼り出された紙を囲む極北大の面々は、真平に限らず、一様に憂鬱な面持ちを浮かべていた。
「マズくないすか? ……これ」
「まぁ……、帝北……ここまでとはな」
「……」
真矢の言葉に範昭が悔しそうに頷いている。神妙な顔で佇む大介も同じ気持ちなのだろう。
「プログラム見てある程度予想はしていましたが……」
「よくもまた、こんな面子を引っ張ってこれたものですよ。この粒の揃い様は箱根出場校にも引けを取らないのでは?」
その通りだ。あの篠崎鉄人が、わざわざ北海道までやってきて率いるチームなのだから、一筋縄ではいかないのは当然だ。登録されている選手たちの経歴は、誰も彼も立派なものだった。元関東の強豪校所属の選手を中心に、実力者が名を連ねているのだから、監督の手腕は恐ろしいということだ。一体どんな誘い文句を使ったのか。
「おい、ダウン行くぞ」
沈鬱な空気が流れるなか、範昭の呼びかけにのろのろとダウンジョグを始める。
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「久蓮さんも、なんでまたこのタイミングで全日なんだろう……」
「多分……このタイミングだから、なんです」
「え?」
「……?」
沈黙のジョグを少し続けた後、ずっと俯いていた真矢がポツリと呟いた。真平は、ゆっくりとその問いに答えを返した。発した問いの答えは、たぶん、と前置きしつつも、真平にとっては確信だ。突飛に聞こえるであろうその言葉に、ほぼ全員が疑問に満ちた顔をしている。
「それは、蒼が来たから、ということ?」
「いや、蒼は関係ないです。蒼が極北に来たのは、言わばイレギュラー。帝北が新設されたこのタイミングだから、久蓮さんはまた走り始める。そして、僕たちは全日に出なければならない」
真矢の疑問に真平はそう言い切った。
昨年、真平が入部してから、少しずつ少しずつ、レースに出るために久蓮は調子を上げてきていた。それは、全てこのためだ。
「でも実際厳しくないか? 帝北は……」
静かに呟いたのは、裕也だ。物事を現実的に――論理的に捉えるこの同輩の言うことは、確かに正しい。だが、彼等は知らないのだ……、"篠崎久蓮の本領"を――。
「ホントは……久蓮さんが居れば勝てる。……けど嫌なんだ、もう、あの人に頼りきるのは……!」
盲信的とも聞こえるその言葉を、真平は絞り出すように告げた。
「ちょっと待って。主将が異常に速かった事は俺も知ってる。けど、俺は大学で主将が三分ペースより速いペースで走っているのを見たことないよ。流石にそれは盲信しすぎじゃないの?」
「勝てます」
真矢の言葉は尤もだ。けれど、真平は知っている。勝たなければいけない勝負。そのときには、久蓮は走ってしまう。――限界など容易く踏み越えて。そのすさまじさを、真平は、高校での一年間で、いやというほどに思い知ってきたのだから。
即答した真平に、真矢の雰囲気がぴりりと尖る。険悪になってきた空気に、大介がおろおろと真矢をなだめている。
「真平、ムキになってるぞ。落ち着け」
「理屈じゃないんだ……!」
裕也に止められつつも、真平は喰い下がった。きっと、これは、その身をもって経験した者にしか解らないのだろう。
「まあ待て」
範昭の静かな声が、真平の熱を冷ました。
「兎も角だ。今までアイツが、俺達に出来ない目標を課したことがあったか?」
「……ない、ですね」
「!」
「キツかったけど」
「鬼畜だったけど」
「……」
範昭の言葉にわいわいと言い合う彼等を眺めながら、真平は眉を下げた。
――――そう。久蓮さんは、出来ない目標は提示しない。――僕たちには。
「だよなあ!? ……知ってるか? 俺、高校ベストが十六分三十二秒だった一年の時の目標、"秋までに十五分二十秒を切る" だぞ? 殺す気か!」
範昭の言葉には、若干の私怨が混じっているようだ。憤って見せているけれど、彼もまた、久蓮の横に立つために相当努力を重ねてきたのだろう。
「で、達成したと」
「あぁ。鬼畜メニューのお陰でな」
「すご……」
「お前等も似たり寄ったりだろ」
「確かに……」
「や、でも流石にそこまでは……」
「なんだと!」
目標設定、モチベーションの維持、目標を達成するための効果的な練習。どれもこれも、久蓮の手腕は素晴らしい。かつて深雪ヶ原も、そうして強くなったのだ。
「ま、まあ、つまりだ。いつも通りってことだ」
「あー……確かに」
「これからまた、鬼畜メニューですねぇ!」
「今までどーり!」
予定調和のような場の雰囲気を眺めながら、真平は顔を曇らせた。そう。今まで通りなのだ。これでは、高校時代と何も変わらない。相変わらず、久蓮に全てを背負わせたままで――。




