30.翔太の"武器"(天恵7年7月下旬)
今日は、選手選考レースの翌日夕方。
いつも通り久蓮の部屋で、駅伝の選手発表のためのミーティングだ。そしていつも通り、皆で久蓮手作りご飯を頬張っているのである。今日のメニューは疲労回復のために生姜焼き定食。
「「お母さん!」」
「こんなに大きな子供を産んだ覚えはありません!」
そのご飯がいつもと同じように、あまりにも美味しかったので、翔太は思わず声を上げた――まさか、真平と被るとは思わなかったけれど。そんな二人に、久蓮がからからと笑って乗っかった。
でも、本当に美味しいのだ。だから仕方がない。皆でお店に食べに行くのも楽しいけれど、それ以上に、翔太はこの時間がいっとう好きだった。そして――。
「それじゃ。そろそろ本題に移ろうか」
頃合いを見計らって告げられた、久蓮の言葉。彼の口調がいつものゆるりとしたものから、より真剣なものに。じわじわと変化していくにつれて、自然、部員たちの表情も真剣なものに変わる。
この瞬間もまた、翔太のいっとう好きな時間だった。
*
翔太の任された区間は、三区――九.五キロメートルの最短区間だ。当然だ。長い距離は、まだまだ苦手だから。
「勿論、変更の可能性はあるが。これが、オレが今考える最善策だ。それぞれの特性を活かせる配置にしたつもりだが……異義・意見・質問があったら聞こう」
「ひとつ、良いか?」
すらすらと言葉を紡ぎながら、久蓮は一同を見回した。意見は聞く、と言ったその言葉に手を挙げたのは、範昭だった。久蓮は僅かに目を見開いて、すぐにその表情を微笑みに変えて問うた。
「どした? ノリちゃん」
「いや、意見とかじゃねえんだけどよ」
そう前置いた範昭は、ちらりと皆を流し見て、続けた。
「皆、お前の言葉を聞きたいってよ」
久蓮はきょとりと目を丸くした。そしてそのまま皆の意思を確かめるように周囲を見回した久蓮に、翔太は期待を込めて熱い視線を送った。そんなの、聞きたいに決まっている。久蓮がどんな思いで、この配置を選んだのか、聞きたい。
久蓮はまた目を見開いた。そしてふっと苦笑して、愛おしそうに皆を見つめた。
「そっか、そだよね」
そう言って久蓮は、残り少なくなっていた手元のミネラルウォーターを飲み干した。
*
一区の蒼から順に、久蓮が言葉をかけていく。翔太の前、言葉をかけられた二人は、どちらも嬉しそうに闘志を燃やしている。
――――魔法みたいだなぁ。
いつかと同じ感想を抱いて、翔太は二人を眺めた。久蓮の言葉は、魔法みたいだ。その言葉はいつだって、皆や翔太の背中を押してくれる気がする。
「さて、翔太だが」
そう言って久蓮は、翔太へと視線を移した。その黒く濡れた瞳に射抜かれて、翔太はぴんと背筋を伸ばして、その言葉の先を待った。そして――。
「ぶっ放せ」
短く大真面目に言い切った。
「一言でいうなら、それに尽きる」
そう言って言葉を続ける久蓮は、翔太に熱い視線を注いでいる。翔太はその瞳を見つめた。心臓が、どきどきと音を立てて期待している。
「最短距離のこの三区、選ばれる奴は往々にして八人で一番遅い奴だが……そういうマイナスな理由じゃない」
久蓮の言葉を、一言も聞き漏らさないように。翔太は真剣に、その言葉に集中した。そんな翔太の気持ちを解っているのだろうか? 久蓮は、ゆっくりと言葉を紡いでいった。
「皆も見たろ、インカレ八百メートルにしろ、昨日の千五百メートルにしろ、この中で一番スピードのあるのは翔太だ。だから、それを生かして奴等を圧倒するんだ」
昨日も、あんなにボロ負けなレースだったのに。久蓮はそうやって、評価をしてくれた。
スピードには、自信がある。サッカー時代も、ドリブル突破も裏への抜け出しも、ワン・ツーパスも。得意だと思っていたし、それなりに評価をしてもらっていたと思う。それでも、こうして新しく始めた陸上で、同じように翔太の"武器" だと評価して、背中を押してもらえるのが、こんなにも嬉しいとは。
でも――。最短区間――それでも十キロだ。昨日のT.T.ではチームで最下位。そんな翔太が、皆よりも速い他校の人たちと勝負することができるのだろうか?
「問題は、短いとはいえ、それでも十キロ近くあることか。あと一ヶ月しっかりスタミナを付けような?」
不安に駆られた翔太に、久蓮がにやりと笑った。翔太の考えを読んだようなタイミングだ。けれども、久蓮のその顔にを見ていると、なんだか出来そうな気がしてくるから不思議だ。翔太は大きく頷いた。
――――そう、まだ時間はある。少しでも、前へ!!
*
自分以外の全員に言葉をかけた久蓮は、浮かべていた表情をがらりと変えた。鋭い視線で皆の顔を順番に眺めていく。
「そして八区、アンカーはオレだ」
静かに、だが、強く。久蓮は告げた。
「大丈夫、言ったろ?」
蒼は、久蓮に八区を走らせない、と意気込んでこのあいだの勝負を仕掛けていた。けれど、オーダーは変わらずだ――不安そうにしていたのだろう。久蓮はそんな蒼を見て、言い聞かせるように告げた。
「足りない分は、オレが走って埋めるから」
久蓮はそう言って、ギラギラと燃えた笑みを浮かべた。凄みすらある、その表情。"何か" がある――そんなのは、蒼や翔太の勘違いなのではないだろうか。そう思うくらい、久蓮の表情は頼もしかった。
――――やってやる。
思わず叫び出しそうなくらいの熱い気持ちが腹の底から沸き上がるのを、翔太は心地よく感じていた。




