1.目映い軌跡(天恵7年4月上旬)
びゅう。
叩きつけるように吹く雪のまざった風に、桃谷翔太は首もとのマフラーを握りしめた。
「寒いねー、やっぱり北海道!」
故郷の東京とは、景色も、環境も、何もかもがちがうこの極北の土地に、桃谷翔太はくすりと笑んだ。吐き出した息は白く、それがまた一層物珍しさを引き立てた。
翔太が歩くのは、極北大学の敷地の中を長くまっすぐに走るメインストリート、皆は"メンスト"と呼ぶらしい。
「だって、行きたかったんだもんね、北海道♪」
ひとりにまにまと笑いながら、翔太は自分が極北大に通っているという事実をかみしめる。
担任の先生なんかは、やめておけ、と言っていたけれど。翔太のふだんの授業の成績も、きっと先生にそんな言葉を言わせた原因なのだけれど。
――――結果、ちゃんとおれは極北にいる。
ぐしゃぐしゃと、溶けかけの濡れた道を歩く、その冷たさすらも楽しい。
小学生の頃から続けていたサッカーで、翔太をスカウトしてくれた大学だってあった。本当は、プロの道だってあった。サッカーは、嫌いじゃない。むしろ大好きだ。それでも、それをフイにしてまでここにいるのは。
「だって、なにかが待ってる。――絶対に」
それが、翔太が極北に来た理由。翔太は、自分のカンを信じている。これのお陰で、今まで大事なゴールを逃さずに来られたのだから。
びゅう。揺られた風は、冷たい先ほどのそれとはちがう――。
振り向いた視界に飛び込んできたのは、濃い紺色をまとった、黒い青年だった。咄嗟に目を見開いて、その姿を瞳に焼き付ける。きれいな、流れるようなフォーム。メンストの路面は溶けかけの雪と氷でぐしゃぐしゃなのに、彼にはその影響はまったくないようだった。
彼の走った跡が、透きとおる世界の中、青銀色に仄煜いている。その美しさに、翔太は瞬きを忘れて、ただ、魅入った。
「――っ!!」
――――これか! これのことだ!!
翔太は確信した。このために、自分は極北に来たんだと。
「すっっっっげーーーーーー!!!」
大きく声をあげ、気合いをいれた。あのひとを、逃してはいけない。あれは、翔太の道標なのだ。
「!!!」
追いかけようとして、ふと道の向こう側に立つ人影が目に入った。彼の意識も、翔太と同じ、彼のランナーに――。
確かな予感と共に、翔太は行動した。
「ねえ! 君も見てたよね、今!」
「あ、ああ」
急いで駆けより、しっかりと手を取ってそう問うた。戸惑いとともにそう答えた青年に、翔太は満面の笑みを浮かべた。短めのスッキリとした黒髪が揺れている。
「だよね! 何アレ! すっげーカッコイイ! ねえ、追いかけよう!」
「ああ、――は?!」
その、瞳に浮かぶのは。
――――"走りたい、助けて"。
そんなの……当たり前だよ!!
翔太は青年の手首をつかんで、更に姿が小さくなったランナーの背を追って駆け出した。しばらく翔太に引きずられるがままだった青年だが、やがて翔太の走りに合わせて走り出した。瞬く間に並ばれ、わずかに先行される。その走りに、翔太は息を呑んで目を見開いた。
――――やっぱり、この人も、ランナーだ。
その走りは、力強くも美しい。まっすぐに彼の軌跡を追って走るその男はまるで――。
*
「ま、まって、くだ、」
しばらく追いかけて、かなり息が切れた頃。ようやく二人はその背に追いついた。翔太は息を切らしながら、青年に声をかけた。彼は、少し驚いた様子で、わずかに目を見開いてこちらを振り返った。二人の姿をその視界に入れると、その脚を止めた。
「どしたの?」
彼は、柔らかく、それでいて少し不思議そうにそう問いかけてきた。急かすでもなく呼吸が整うのを待っているその様子に、翔太は安心して自分の呼吸を整えることに始終した。
「君は結構慣れてるね」
「ええ、まあ……」
呼吸を整えることで精一杯な翔太とは違って、二人は既に落ち着いて会話をしていた。やはり二人は、"ランナー" という人種なのだろう。
そんなことを考えているうちに、次第に呼吸が落ち着いてきたのを感じる。待ちきれないとばかりに、翔太は口を開いた。
「あの!」
「ん」
「カッコイイ! カッコよくて、つい」
翔太の呼びかけに、目の前の先輩は鼻から抜けるような柔らかい返事を返した。その姿に魅入られて追いかけてしまったのだ、と。翔太は一生懸命に自分の想いを伝えた。彼は一瞬、その黒い瞳を丸くした後、からからと笑い出した。
「おれも走りたいです! あんな風に!!」
そう言った翔太に、彼は少し考えると、ふっと笑って言った。
「じゃ、良ければオレの部活に来るか?」
*
それが、すべての始まりだった。
後悔なんてひとつもない、おれの人生をがらりと変える程の、大きなうねり。そんな、とてもキラキラした一年の、始まり――。




