27.真平の苦悩(天恵7年7月中旬)
怒涛の先輩たちの攻撃が一段落したとき、真平がふと溜め息を吐いた。そうして口を開く表情はとても真剣で、翔太はただ静かに真平を見つめた。
「楽しまなきゃダメだ。義務感と使命感だけじゃ。――結局、それが一番強いんだって、教えてくれたのは、蒼……他でもない、久蓮さんなんだ。――皆に、走ることを……レースを、心の底から楽しんで欲しい。それが久蓮さんの心からの願いで、僕も同じ気持ちです」
真平は、蒼に言葉をかけた後、集う一人ひとりの瞳を覗き込んで言葉を続けた。さすが、高校から久蓮と共に過ごしているだけはある。すらすらと語られる久蓮の気持ちに、翔太は目を見開いた。
「でも、僕には僕の目的もある」
「目的?」
「ええ。僕は、久蓮さんにあんな顔をさせないために、此処に居る。――僕は自分の目的のために、久蓮さんが絶対に言わないことを言います」
決意の浮かぶ瞳で、真平は言葉を紡いだ。遠い目をした真平は、一体高校時代に何を見たのだろうか――。翔太は、息を詰めてその言葉の続きを待った。
「今の極北は、帝北にそう負けてるとも思わない。……けど、それでも。このままでは勝てない。――絶対に」
「お前、それ……いつか言ってたことと矛盾してるじゃねぇか」
「ええ。まあ、……正確には、このままだと久蓮さんの負担が大きすぎる、ですかね」
――――勝てない……絶対に……。
真平の言葉は、翔太の心に突き刺さった。
でも。よくよく考えてみると、真平の言おうとしていることはつまり、蒼のやろうとしていることと同じではないか。二人とも、久蓮に頼りきりのこの状況を、打開したいと思っているのだから。
「勝つか否かは久蓮さんの脚次第。――天才だって、壊れない保証はない。……蒼が恐れる通りだ」
蒼は真平の言葉に、ゆっくりと頷いている。
「このレースは、蒼にとってそうであるように――いや、それ以上に。久蓮さんにとっても、重要な……意味のあるレースなんです」
「それは、帝北が篠崎監督を擁してることと関係があるのか?」
「そゆこと」
「"あの人" は久蓮さんにとって、越えなければいけない壁だ」
必死に皆に語りかける真平と、裕也のやり取りを聞きながら、翔太は必死に決して良くはない頭を回した。すんなりと理解するには、ちょっと情報量が多すぎた。
「久蓮さんは、絶対"助けて" なんて言わなかった。けど。僕は――僕らはもっと求めて欲しかった」
悔しそうな表情をした真平の見つめる先は遠い。けれど、高校の時から……久蓮には、周りが"助けを求めて欲しい" と思うような事情があった――?
「けど、独りで焦って……結局、このザマだ。……僕はまた、久蓮さんにあんな顔をさせてしまった。――情けないけど、ダメなんだ。独りじゃ……ダメなんだ……!」
「真平……」
「そんな顔するなって。俺だって、勝ちたいからな。予選会は俺達に任せて、どっしり構えてろ」
紡がれる真平の言葉は、深い後悔に染まっている。真平は、怪我をしてしまった。選手としての戦力で、次の駅伝で久蓮の力になることは、もうできないのだ――。
けれど、範昭がその背をどんと叩いて励ました。口々に皆が続く。
「俺だってやれるってこと、見せつけてやる!」
「やってやろうぜ! 全日出場!!」
そう。翔太も皆も、真平も蒼も。勿論久蓮も、独りではない――"チーム" なのだから。独りでもがく必要なんてないのだ。
*
皆での食事会を終え、お腹と心を満たした翔太は、一人自宅への道を歩いていた。ざあざあと降り続ける夏の雨音は、翔太の思考を助けてくれているかのようだ。静かに歩く翔太の心には、今日の久蓮の様子がまざまざと甦ってきていた。あの、酷い顔色が。久蓮の身に、何が起きていたのだろうか?
絶対に何かある。でも、それにしては、最近さらに力を付けている蒼を前に、今日の走りは圧倒的な強さだった。
「おれにはわかんないよー、……唯ちゃん先輩~」
「呼んだ?」
「!?!? え、え??」
思わず独り言を口走ったとき、傘の向こう側からそんな声が聞こえた。驚いた翔太は傘を放り投げて飛び上がった。
「あーあ、もう! ダメだよ、いくら夏だからって濡れたら風邪引くよ」
「唯ちゃん先輩……! どうしてここに!?」
「研究室帰りだよ。桃谷くんは部活帰りかな?」
「は、はい……」
翔太が放り投げた傘と、タオルを差し出して、唯は苦笑した。今日は休みだけれど、院生ともなれば忙しいんだなぁ、と、翔太はぼんやり考えた。
歯切れの悪い翔太に、唯は少し考えて言った。
「時間ある? そこ、入ろっか」
*
唯に連れられて、カフェで雨宿りをしている。お腹はいっぱいだったけれど、コーヒーのいい匂いが、心を落ち着けてくれた。
雨音を聞きながら、翔太は最近の出来事を伝えた。唯は時々相槌を打ちながら静かに話を聞いてくれたけれど、顔色の悪い久蓮の話をしたら、酷く顔を曇らせた。
「そっか……」
そのまま少し考え込んだ唯を、翔太は静かに待っていた。
「うん……、ごめん。判らない」
やがて、唯は眉を下げてそんな謝罪を零した。
「現時点でキミに出来ることはあるのかも。けど、今じゃ意味がないかもしれない……。私には、そこまで篠崎くんのことも、皆のことも……」
「唯ちゃん先輩……」
「私が"篠崎くんのことをお願い" って言ったのはね。あの子が目的のために頑張り過ぎちゃいそうだと思ったから。――あの子、ストイックだからね。だから、皆にも支えて欲しいと思ったの。きっとなにもしなくても、独りで頑張ってしまうあの子を」
ぽつりぽつりと零される言葉に、翔太は静かに聞き入った。唯の願い――言おうとしていることは、なんだか今日範昭が言っていたことに似ている気がした。
「ごめんね。無駄に悩ませちゃったかな」
「おれも、……支えたいです」
苦笑して頭を下げてきた唯に、翔太は即座に首を振った。きっと、唯が言わなくても、翔太はそうしたいと願ったはずだから。
何があるのかは、結局分からないまま。けれど、この気持ちはもう変わらないのだ。それに、翔太とて人の心配ばかり出来る立場ではない。まずは自分がもっともっと速くならなければ、皆の助けになることなど、できないのだから――。




