23.突き付けられた白刃(天恵7年7月中旬)
キョクノウDCの、翌火曜日。雲が覆い尽くした、明るい曇り空の下。
「あ! 久蓮さん!」
「おーモモ。長く留守にして悪かった」
グラウンドに足を運ぶと、そこには久々の己の主将の姿があった。ぽんぽんと肩を叩いた久蓮に首を振って、翔太は笑顔を向けた。
やがて蒼も講義を終えてグラウンドに現れた。蒼は久蓮の姿を見留めると、どこか泣きそうな顔をして駆け寄っていった。
――――よかったね、蒼。
久蓮に頭を撫でられている蒼を見ながら、翔太も嬉しくなった。
「よーし集合するよー」
久蓮が声を上げる。いつもの号令、いつものメンバー。これでようやく、いつも通りの毎日に戻るのだろう。そう、思っていた――。
*
蒼が動いたのは、いつも通りの、そして最近では珍しくも全員が揃った、練習終わりの集合でのことだった。久蓮が解散を告げるその前に、蒼が声を上げた。
「久蓮さん。……あんた甘すぎですよ」
「うん?」
空気が凍り付いたのを感じた。張り詰めた雰囲気の中、ぱちりと目を瞬かせた久蓮は、柔らかく緩い笑みを浮かべて問うた。
「どうしてそう思う」
「もう七月も半ばです。あと一ヶ月……。今のままで、帝北に勝てっこない」
「本当にそう思う?」
「火を見るより明らかでしょ」
詰る蒼に、けれども久蓮は動じない。ただゆるりと口の端を吊り上げただけだった。その心中は、翔太には判らない。そんな久蓮に構わず、蒼は更に言い募る。
「あんたも解ってるんじゃないですか?このままじゃダメだって」
「さあね。――君くらいかもよ。そんな弱気なのは」
「なんであんた、そんなに余裕なんですか」
「逆にさ、慌てたとして。一朝一夕でどうにかなるものなの?」
「それは……。……でもっ!」
そう返されて、蒼は言葉に詰まった。詰られている側のはずの久蓮はといえば、食って掛かる蒼の様子を、どこか楽しそうに見つめているばかりだ。
熱くなる蒼に対して、久蓮の返答は、冷静で、淡白だ。
「ばぁか、蒼。このチームには、オレがいるだろ」
「――!」
そんなことを言って久蓮は不敵にからりと笑った。その笑いには、少しの含みもなかった。そんな久蓮に一瞬納得しかけた様子の蒼だったけれど、すぐに思い直したようだった。
「何言ってんだ!その、あんたが――」
「蒼」
突如、強い調子で久蓮が蒼の言葉を遮った。その瞳は鋭く輝いている。
「オレはね。やり方はいくらでもある思ってる。けど、オレのやり方はコレ。もうずっと前から、そう決めてる。――そしてオレは、コレが一番正しいと思ってる。だから――」
諭すような口調に変わった久蓮に、皆は二人の出方を探りながら息を殺した。語りかける言葉は、平淡だ。淡々と、けれど強い意志をもって発せられている。そして久蓮はそこで、言葉を切って口角を上げた。
「――刃向かうつもりなら、いいよ、おいで。――ただ、それなりの覚悟を決めて、ね」
「――!」
――――かっこいい……。
にっこりと微笑んだその表情は、凄みさえ感じさせる、"帝王"のそれだった。翔太はその空気に、つい息を呑んだ。
蒼は瞬間目を見開いて、そして俯き、息を吸い込んだ。
「覚悟なら。もう、とっくの昔に決めてます」
「そう。……それで? お前の望みはなあに?」
「僕が。あなたの代わりに八区を走ることです」
「蒼、それがお前の考える最善策?」
「ええ、そうです。僕達が勝つためには、――あんたに八区は走らせない……!」
もう一度久蓮を射抜いて告げた蒼に、ただ笑みを浮かべる久蓮の声色は、まるで蒼の反抗を喜ぶかのような色を浮かべていた。
鋭い瞳で告げられた蒼の言葉はまるで、久蓮の喉元に突き付けられた白刃のようだった。けれど、そんな気迫を受けても、久蓮の顔には相変わらず笑みが浮かべられている。翔太たち周りの方がびくびくとしてしまうこの空気の中で、久蓮だけが不自然にいつも通りだった。
「でも、オレはオレが最適だと思ってる。だから――タダで譲ってやるワケにはいかない。解るよね?」
にっこりと笑う久蓮に、蒼は、ゆっくりと頷く。
そう。翔太には、蒼が久蓮を外そうとする理由が解らない。この間の走りを見るに、このチームで一番速いのは、やはり久蓮だから。
「譲ってもらえないなら、奪い取ります」
それでも蒼は、こうして久蓮に挑戦している。それは、ライバル心――上を目指す心、それだけなのだろうか? それとももっと、何か別の――?
そして、その言葉を聞いた久蓮の変化はあっという間だった。目を見開いて動きを止めた、その数瞬後。
「あはっ、はははっ」
心の底からおかしそうに、楽しそうに。そんな久蓮の笑いはしばらく続いた。
「あー。お前サイコーだよ、蒼、――いいよ。相手してやる」
ようやく落ち着いたらしい久蓮は、涙目を擦りながら告げた。そして、鋭く笑んで、一言。凄みさえを感じる笑み、その気迫。直接それを受けた蒼だけでなく、翔太も皆も固唾を呑んだ。
そのうちに、久蓮は嬉々として勝負の日程を決めてしまった。
「敗けません――絶対に」
「ん。本気でいくから、覚悟しといて」
交わる二人の視線に火花が飛び散った。蒼の闘志に満足げな表情をする久蓮は、皆を見回して口を開いた。
「そういうわけで、解散!」
はきはきと告げる久蓮は、部室へと戻る間も変わらず笑顔を浮かべられていた。
そんな背中を見送って、翔太は考えた。唐突にも思える、蒼の久蓮への反抗。けれど、あの、嬉しそうな表情――久蓮にとっては、これは望んだ展開だったというのだろうか?




