22.誰かのために(天恵7年7月中旬)
「おつかれさん」
「お疲れ様です!」
「あ! みゃーちゃん先輩! 晃くん!」
軽い調子で片手を上げる悠と、礼儀正しくぺこりと頭を下げる晃――宮田兄弟がふらりとやって来た。二人とも、蒼たちの一つ前、B組でのレースを終えている。
「晃くん、速かったねー! 自己ベスト?」
「あー、うん。まあね……」
「あれ、あんまり嬉しくない……?」
悠に競り勝ってB組の上位に食い込んでいた晃。けれど、翔太の言葉に、返ってきたのはどこか歯切れの悪い返事だった。翔太は思わず首を傾げた。
「んん、兄ちゃんには勝ったけど……、怪我明けで本調子じゃないからさ。それに蒼も速いし……まだまだだよね――って」
「そんなん理由にならへんよ。ベスト出たんやから喜びぃ。ほんで、また練習や」
「そうだね、――うん!」
なるほど、上を見ればキリがない……ということなんだ。晃の言葉に納得する。その間には、悠の言葉で晃はいつもの調子を取り戻していた。
「おれから見たらどっちもすごいのになぁ……」
「翔太くん、初心者なんだよな? この間の八百メートル見たよ、いいスピード持ってるな!」
「大丈夫やで、キミも速くなっとるよ。ちゃーんとな」
ぽつりと呟いた言葉に、二人は口々に声をかけてくれた。
うん。めげない。頑張ろう。翔太は笑顔を浮かべて決意した。翔太の競技人生観は、まだまだ始まったばかりなのだから。
「ところで、六連さん。――蒼クン、どうかしはったんですか?」
「ええ、……いや。図らずしも……踏み込むことになってしまって」
「ああ、そーいう……」
ふと、がらりと雰囲気を変えた悠が、昴に問いかけた。意味深な昴の言葉を理解したのは、悠だけのようだった。晃と二人、顔を見合わせて首を傾げた。なんのことだかさっぱりだった。ただなんとなく、久蓮のことだろうかという思いが、頭の片隅に過っただけで。
「ま、ええわ。おおきに。そろそろ戻ってくるやろ――見い」
「あ! あお!」
悠の言葉に顔を上げると、その通り。ベンチに戻ってきた蒼と範昭を見留めて、翔太は手を振った。
「よう! お疲れさん」
「おかえりー」
出迎えたのは、半分以上が極大メンバーではなかったけれど、蒼はなんだかほっとした顔をしていた。蒼も緊張していたということだろうか。それとも、トラックではたくさんの知らない人と接したのかな。
いつの間にか、極大陸上部が蒼の安心できる場所になっているようで、翔太はなんだか嬉しかった。
「!! ……あなたは」
「どうもー。青谷学院の監督してます、保科でーす。以後お見知りおきを。――って。一緒に帰って来なかったのか、アイツ等」
「"離れ難くなる" とか言って戻って行きましたよ」
「へーえ、成る程」
保科の姿に、範昭が目を見開いた。範昭は、彼の姿を知っているらしかった。保科はまたも、久蓮みたいな緩さで自己紹介をすると、調子を変えて独り言ちた。先ほどまで、蒼たちと一緒に誰かがいたのだろう。
「ま、今回は用事は済んだし。これで失礼させてもらうよ」
「……ありがとうございました」
範昭の言葉ににやりと笑った保科は、ちらりと昴を流し見た。そうして周囲を見回して、ひらひらと手を振る保科に、昴が深く頭を下げた。
「来いよ、昴。待ってるぜ」
「ええ」
二人の間に流れるのは、卒業してなお褪せない深い信頼の空気。なんだか懐かしい――サッカー部時代の自分を思い出す光景だった。監督は……皆は元気にしているだろうか?
そんなことを考えていた翔太を余所に、宮田兄弟が蒼に話しかけていた。
「如月クン。お疲れさん」
「悠さん……晃……」
「お前、調子出てきたな」
「どこが。全然足りない」
晃が告げた言葉に、蒼は唇を尖らせて不満そうに答えた。蒼のその答えを聞いた途端、目を見開いて、そしてからからと笑った晃を、翔太はまじまじと見つめてしまう。
「蒼、お前……。人間らしくなったな」
「何? バカにしてる?」
「そういう所だよ」
その言葉に目を細める蒼に、晃は嬉しそうに笑い続けている。
「なんか皆、お前のことを心配してるみたいだけどさ。俺は全然心配してないぜ」
晃はそう言って蒼を射抜いた。その言葉が自信満々だったので、翔太は静かに晃の言葉に聞き入った。
「気付いてるか? お前、初めてだろ。"誰かのために走る" なんて考えたの」
「!!」
――――あ。
晃が続けた言葉に、翔太は目を見開いた。そうだ。ずっともやもやと言葉にならなかった、この思い。高校よりずっといい顔をしている、と晃が笑っている。保科も言っていたそれ。
「突き進めよ、信じるままに。俺も、負けない」
そういって悠と去っていく晃の背を見送りながら、翔太は心にじわりと暖かいものが広がっていくのを感じた。蒼はただその場に立ち尽くしている。そうか。蒼はもう、前に進んでいるんだ。きっと、今まで考えたこともなかったんだろう。だからこそ、誰か――久蓮のために走りたいのに、どうすれば上手くいくか分からなくてもがいている。
きっと蒼は大丈夫。だって、始めから全部上手くいく人なんていない。
*
昴が折角だから、と言ってくれて、皆で美味しいの海鮮丼でお腹を満たした一同は、車に乗り込み極北市への道を走っていた。
「お腹いっぱいー」
蒼の隣で大きく伸びをして、翔太は幸せな眠りに落ちていった。




