21."真剣勝負"の気配(天恵7年7月中旬)
ジリジリと照りつける太陽は、夏の匂いを届けてくれる。それでも、焼け付くような東京の日差しからすると涼しく感じてしまう。
「遠かったぁー」
「流石に身体固まるわな、これは」
「運転ありがとうございました、昴さん」
「いえ。少し休んで、向かいましょうか」
翔太は思いっきり伸びをして、ふにゃりと声を出した。
昴が運転してくれた車に揺られて三時間。ここは、北海道網走市、というところらしい。今日はここ網走市で、キョクノウデイスタンスチャレンジ――皆は"キョクノウDC" と呼ぶらしい――が行われる。平たく言うと、力のある選手たちが集まる記録会なんだと、昴が教えてくれた。
レンタカーを借りて市営の競技場まで足を運んだ極大メンバーは、昴、範昭、真平、翔太。そして蒼の五人だ。そこに久蓮の姿はない。そして、今日走るのは、蒼ただ一人だけ。元々は真平も走る予定だったのだが、怪我をしてしまったので欠場だ。
「行けそうか? 蒼」
「結果、出します。なんとしてでも」
範昭の問いかけに、蒼は厳しい顔でそんな答えを返している。範昭は僅かに眉を下げながら、蒼の肩を叩いた。
そう! 今日は蒼の応援なのだ。翔太は、一生懸命応援して、それから強い人たちの走りを勉強したいと思っている。
「うっわー! すっげぇ!!」
競技場に足を踏み入れるなり、翔太は思わず叫んでしまった。トラックでは女子五千メートルが行われている最中だった。ピリピリとした、張り詰めた緊張感が肌に突き刺さる。空気を伝わって、真剣勝負の気配が翔太のところまで届いてくるのだ。
女子五千メートルでは、一人の選手が、他を圧倒する走りを見せていた。外国人の選手もいるなかで、堂々と先頭を駆け抜けている。
「わ……。昔の久蓮さんみたいだ……!」
小さく呟く。
そのフォーム、そのスピード感。走りに合わせて揺れる黒髪に、己の主将の影が過る。久蓮も、こんなぶっちぎりのレースをしていた。こみ上げてくるわくわくに、翔太は眼下のトラックを真剣に見つめた。
*
夕方、日も傾いてきた頃。
ジョグ程度の練習を終えて、翔太は再びトラックを見下ろしていた。五千メートルのスタート地点には、蒼が立っている。そう。今から、最終組であるA組のスタート――蒼のレースだ!
キョクノウDC、とくにこのA組は大学生だけでなく各実業団チームのトップが集まるのだそうだ。そのため、涼しくなった夕方にスタートとなっているらしい。そこで、蒼が、走るのだ!
「あお! 頑張れ……!!」
やっぱり、翔太の同期はすごいやつだ。眼下の姿を目の当たりにして、翔太はしみじみ思った。
――――おれは、ちゃんと追いかけられているのかな?
「よお、昴」
「監督……!」
「とりあえず一回目な~。遊びに来たぜ」
聞き覚えのない声に驚いて振り返ると、ふらりと片手を上げた男の人が立っていた。大きめの背を丸めて、片手はポケット。そんな出で立ちの彼は――。
「すみません、お二人とも。この人は、僕が学生時代にお世話になった監督の、」
「どーも。青谷学院大学駅伝部監督、保科圭介でーす」
苦笑しながらの昴の紹介を受けて、保科は緩い自己紹介をした。にこにこ……いや、ニヤニヤと笑いながらのそれだが、悪い印象はない。翔太と真平――範昭は蒼の付き添いだ――はぺこりと頭を下げて、自己紹介を返した。
「――On your mark.」
「あ、始まる……」
眼下では、コールがかかり、軽快なピストルの音とともに、レースが始まった。
レース初めから、二人の外国人選手が競り合いながら飛び出した。そこから少し間を開け、他の皆が続くという展開になった。蒼は、第二集団のいちばん後ろ辺りを走りながら、零れてくる選手を拾っていた。
「六十四か。十三分二十秒ペース。誠司の奴、攻めるねぇ」
「流石深松さんですね……やはり安心感が別格だ」
「それにしても……青谷の奴ら、も~少し攻めてもいいんじゃないか? 記録会だぞ?」
「ははっ」
保科が言っているのは、第二集団先頭を走る選手のことだろう。十三分二十秒……自分とは全然レベルの違う話だ。今までの大会で蒼の記録よりも速い。青谷の選手たちにしても、強豪なだけあって、求められるレベルも高そうだ。
――――いや、違う。
きっと蒼の言っているのは、こういうことだ。あの人達みたいな真剣勝負の雰囲気と比べたら、翔太たちはまだまだ生ぬるい。
*
レース中盤に差し掛かる頃には、第二集団から遅れたメンバーで形成された第三集団の中に蒼はいた。なんだかキツそうな表情。
「あおーーー!!! 頑張れーー!」
少しでも力になりたくて、翔太は大きな声援を送った。
「あ"~。ウチに欲しかったんだけどなぁ、如月蒼。湍水のヤツも欲しがってたぞ」
「でしょうね」
保科がガリガリと頭を掻きながら、そんな嘆きを零している。残念。蒼はもう、おれたちの大切な仲間なのだ。
「絶賛、迷走中……ってか?」
「最近、色々とありまして……」
「ま、こんくらいなら大丈夫だろ。高校の時より、よっぽどイイ眼してるよ」
「ええ」
蒼の走りを眼を細めて見ながら、保科は昴とそんな会話をしていた。高校時代の蒼、は知らないけれど――出会った頃の寂しそうな瞳を思い起こして、翔太は目を見開いた。本当だ。今の蒼は、それでもあのときより、余程イキイキしているじゃないか。
「で? お前は大丈夫なのかよ、昴。お前の顔の方が、よっぽど酷いぜ……」
「そうですか……?」
「……っはー。お前も難儀だね」
保科の言葉に、翔太は思わず昴の顔を覗き込んでしまった。気付いた昴はすかさず苦笑している。そうだよ。事情のない人なんていないんだから。
からんからん、と鳴り響く鐘がラスト一周を告げた。ただ前へ前へと必死に走る蒼からは、"一秒でも速く" という意志が滲み出ている。
「やった、すごい!あお、十四分切った!!」
格好いい己の同期の姿に、翔太は嬉しい叫びを上げた。




