16.挑むは頂点(天恵7年6月中旬)
それから、一週間。
よく晴れた今日。極大陸上部のメンバーは、牧山市というところにある温泉宿に泊まり、一泊二日の"クロカン合宿" をすることになっている。"クロカン" とは、簡単にいえばアップダウンのあるコースを走ることだと、前に蒼が教えてくれた。
「良い天気になりましたねえ」
一瞬、昴かと聞き違えるほどに穏やかで柔らかい言葉遣い。出発前の集合にて聞こえたその声は、聞き覚えのある――。
「教授! 唯ちゃん先輩さん!」
久々のその姿に、翔太はぱあっと笑顔を咲かせた。振り向くとそこには、以前、久蓮の研究室でみた二人が立っていた。
「参加希望はいいとして、なにも前日に言わなくても……。二人捩じ込むの、大変だったんですケド。唯ちゃん先輩まで巻き込んで……」
「皆の邪魔でなければ、私は良いよ。こういうの、久々だし」
久蓮が教授にぶつぶつと文句を言っている。そんな久蓮の様子に苦笑して、唯が言う。きらり、と。一瞬、唯の目が光ったように見えた。
――――あれ?
翔太は心の中で首を傾げた。巻き込まれた、と。そう表現されるには、唯は何か目的を持ってこの合宿に参加しているように見えたのだ。そんなことを考えているうちに、久蓮はこちらを振り返って言った。
「蒼、モモ。この人はうちの部長、野々口教授だ」
「部長?」
「部活で一番エラい人だ」
部長と主将とは違うのかな? なんて首を傾げた翔太に、蒼がすかさず説明を入れてくれた。宜しくお願いします、と野々口は、あの時と変わらずに柔らかく笑った。
「お前、何で知り合いなんだ?」
「前に、久蓮さんの研究室で会ったの」
「えっ。モモ、久蓮さんの研究室行ったの?! いいなあ!」
「お前、相変わらずだな……」
不思議そうに問いかけてきた蒼に、翔太はそう答えた。それに、真平が反応する。すかさず突っ込みをいれた範昭だが、その言葉は柔らかい。
そう。悔しさにただ震えていた先週を思えば、"相変わらず" の様子こそ、とても大切なものに思えて、翔太は嬉しくなった。
「ん? と、言うことは……貴女も――」
「うん、そう、野々口研D一の秋山唯です。篠崎くんからは何故か"唯ちゃん先輩" って呼ばれるかな」
真矢が、唯のほうを向いて呟いた。二日間お邪魔しまーす、と明るく笑む唯。人懐っこい彼女に、自然皆の空気は和む。
「この間の試合、見たよ。如月くんは五千メートル、皆は一万メートルだったね?」
「え! 来てたんですか!」
「ベンチ寄ってくれても良かったんですよ!」
「こらこら、そろそろ出るぞー」
きらきらと。瞳を輝かせて言う彼女に、皆が沸く。そんな皆に、溜め息混じりに苦笑して、久蓮が促す。遊んでると日が暮れちまう、と、皆をバンに詰め込んでいく。
そうして、一行は目的地へと走り出した。
*
「着いたー!」
出発から二時間半。ようやく到着したのは、木々に囲まれた林道。大自然を肌で感じる。翔太は大きく伸びをして、固まった身体を伸ばした。
「少し休憩したら、練習な」
皆に呼びかける久蓮の言葉に、翔太はぴくりと反応した。軽く息を吸い、口を開く。
「久蓮さん、おれ、Aで走りたいです」
「……勇んで早々に潰れればいい訳じゃない、ってのは、解ってるね?」
「はい!!」
「ん、いいよ。やってみな」
パーカーを脱いでジャージへと着替えていたらしい久蓮は、こちらを見てぱちりと目を瞬かせた。少し考えてそう言った久蓮の瞳は、翔太の真意を見抜こうとするように、きらりと光った。それでも、その問いに元気よく返事をした翔太に、久蓮はふわりと笑んで許可を出した。
翔太は嬉しくなった。この申し出。久蓮や真矢や皆の話を聞いて、考えた、これが――これこそが、翔太の出した答えだ。久蓮は、いつも翔太が速くなるために最適なメニューを考えてくれているけれど。それよりも、先へ行きたい、と。なんだかんだ、この考えも久蓮にはお見通しな気もするけれど。
――――やるぞ!
そうして。気合十分で、翔太は練習の始まりを迎えた。
*
「いきなり、どうしたんだよ?」
「だって、追いかけないと。あおたち、どんどん先へ行っちゃう」
三キロコースを五本。Aチームの四人、昴、範昭、蒼――そして翔太がひとまとまりで走る、その最中に。蒼がそう問うてきたので、はっきりと、翔太はそう答えた。蒼たちは止まっていてはくれない。それでいい。――だから、翔太が行くのだ。ただ彼らを追いかけて、前へと進むために。
ぱちり。目が、合った。瞬間、自然と笑みが零れた。
――――追い付く。
視線で語った言葉に、蒼からの応えは――。
――――"負けない"。
翔太は強く地面を蹴った。
*
――――でも、やっぱりキツいー……。
迎えた三本目。一、二本目はしっかりと蒼と昴に喰らいついていけた翔太だったが、徐々に離されはじめた。当然だ。そんなに簡単についていけるようならば、そもそも悩んだりしなかっただろう。
「ここ一本、頑張りましょう」
昴が後ろに下がって翔太の背を押してくれた。二人の力を借りて、翔太は何とかゴールした。
「ありがたいが……お前らの、為になる、練習、しろよ」
短い繋ぎのジョグ。範昭が二人には蒼と昴にそう告げているのを、翔太は酸素の回らない頭で聞いていた。
そして、四本目。スタートと同時に、ぐん、と飛び出す蒼と昴。これが、今の実力差、そのままだ。
「おい。こっからだぞ」
「っ、はい!」
短い、範昭の激励。翔太は大きく息を吸って、思い切り腕を振った。
――――そうだ。ここで潰れたら、Aに行った意味がない……!
*
「あー! つっかれたぁ!」
「お? 何だ、モモ、まだ元気そうだな? オレともう一本いっとくか?」
「?!」
――――さすがにムリ……!
メニューが終わり、皆が再度集まったスタート地点にて。達成感一杯の翔太は、そんな声を上げた。そんな翔太に、久蓮がにやりと悪い笑みを浮かべてそう言ってきた。
翔太はびくりと肩を揺らした。声こそ上げたものの、身体はもう動かない。昴や久蓮がメニューについて話し合っているらしいのを尻目に、コースの脇にぐったりと座り込んでいるのだから。
「てめ、鬼か!」
「ははっ、冗談だよ」
「やりそうなんだよ、てめえは」
からからと笑う久蓮の声を聞きながら、翔太はこれからの自分に思いを馳せ、空を見上げた。




