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夢の続き【番外編】  作者: 灰猫
【目映い軌跡】桃谷翔太
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11.彼が試金石というのならば(天恵7年5月下旬)

 それは、まるで別世界の光景に感じた。眼下で繰り広げられている、男子五千メートルを見下ろして、翔太は声を失った。


   *


 あの勉強会から二日後。再びやってきた角山競技場で、今季二回目の記録会が行われていた。今行われているレースは、男子五千メートル、その一組目。極北大学からは、蒼と久蓮のただ二人だけが出場している。


――――ようやく、久蓮さんの走りがみられる。


 そんな期待で胸がいっぱいだった、スタート前。けれど、そんな生易しいものではなかったのだと、気付いたのはレースも中盤になってからだった。

 スタート前に何があったのか、蒼は、インカレの時のような固く怯えた表情で、もがくように身体を前へ前へと運んでいた。苦しそうなその様子に、胸を痛めた翔太は、彼の後方でその様子をうかがいながら走っている久蓮へと願った。


――――あおを助けて! ……久蓮さん……っ!


 それが届いたわけではないのだろうけれど。そのとき、久蓮が、動いた。

 それは、不思議な光景だった。突然ガラリと変わった久蓮の動きに、蒼のそれがゆっくりと重なっていく。ぎこちなく、苦しそうに走っていた蒼は、そこにはいなかった。ただ――。


「あおがふたり?」


 二人のその走りは、今まで見たどの蒼よりも、かっこいい蒼の走りだった。だから、翔太は唖然と呟くしかなかったのだ。


   *


 ざわざわと騒めく会場の中、翔太は一人、呆然と立ち尽くした。その視線は、トラックに――二人に釘付けだった。

 いつの間にか久蓮は、あの日メンストで見た時から変わらない、いつもの久蓮の走りに戻っていた。まるで先ほどまでのアレは、幻であったとでもいうように。そして、先ほどまでは、蒼を引き上げるかのように久蓮がペースを作っていたのだが、今はどうだ。


――――す、ごい……!


 二人が、先を競い合うその姿は、その表情は。全身で楽しいという感情を爆発させているかのような、そんな様子で、ぐんぐんと先頭へと迫っていく彼らは、きっと今、お互いのことしか見えてはいないのだろう。そんなことを考えてしまうくらいには、彼らは、()()()()()()を楽しんでいた。その走りは、異次元のものと見紛う程に、――速い。

 これが、レースの楽しさだと言うのならば。いつか、自分もそこまで行けるのだろうか?


「完全に遊んでますね」


 ぽつり。落とされた昴の呟きは、たしかに今の二人を正しく言い表しているようだった。


「あーあ。御愁傷様」

「……」


 憐れみを含んだ色の呟きは、範昭の落としたものだ。恐らくは、蒼に向けて。理由も、なんとなく、わかる気がした。もし――もしも自分だったら、こんなレースを体験してしまったら、もう、抜け出せない気がするから。

 以前、久蓮の研究室で見せてもらった、久蓮と昴のレース。あの時は、異次元の走りにただ憧れて、自分もこんな風に走りたいと意気込んだけれど。ここでこうして、現実のものとして目の当たりにすると。翔太の胸を占めるのは、憧れよりもむしろ不安だった。


「無駄なのかな。おれなんかが、努力しても……」


 弱気が沸き上がって、翔太を包み込む。こんなことは、いままでなかった。いままで、どんなに強い相手を前にしても、うまいディフェンスを前にしても、こんなことを思ったことはない。高い壁は、喜んで乗り越えるべきもので、その先にある喜びを、常に追い求めてきたのに。

 壁が、高すぎて、その先が――見えない。常に前向きが標準の翔太は、こんな時、どうすればいいのか分からなかった。


「馬鹿かてめぇ」


 こつん。

 彼のイメージからしたら、優しい拳骨が翔太に落ちた。かけられたのは、台詞とは裏腹な声色で。ぽん、と、肩に手を置かれ、ちらりと彼に視線をやる。範昭は、トラックに視線をやったままだ。


「無駄なら今、ここにはいねーよ。俺は」


 その声色には、複雑な感情が絡んでいた。

 範昭は、久蓮の同期だ。翔太が蒼の同期であるように。久蓮が、"どれだけすごい人" なのか、翔太は詳しく知らないけれど。"とてもすごい人" なのは、わかる。ずっとその久蓮の傍にいたこの先輩が、悩まないはずはないのだ。――――きっとこの人は、たくさんたくさん考えて、それでもここで、走り続けている。

 それは、翔太を確かに勇気付けた。


「お前、蒼の奴よりも良いスプリント持ってるじゃねぇか。大体、陸上始めてまだ二ヵ月だろ。悲観して辞めるのは勝手だが、」


 そこで言葉を切った範昭は、翔太の目を覗いた。


「お前は、それでいいのかよ」


―――よくない。おれだって、あんな風に走りたい、走ってみたい。だって、二人は、あんなに楽しそうだった。


 翔太は、心うちで即座に否定した。あのきらめきは、諦めるには惜しいものだ。


「……これは、他校の後輩から聞いた話ですが」


 先の呟きからこちら、無言でレースを見つめていた昴が、視線をそのままにぽつりと言葉を落とした。話す昴は、遠い目をしている――気がした。


「六年前のインハイ五千メートル、篠崎久蓮のレースを見た雪沢蓮介―――有名実業団のコーチですね―――は、こう評したそうですよ。"奴は、試金石でもある。心折れずに奴との競り合いを楽しめる者だけが、その先の世界を見ることが出来るのさ" 、と」

「しきんせき……」


 昴の言葉を鸚鵡返して、彼を見る。昴は、翔太の目を見て告げた。


「貴方は、どうしますか?」

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