第5話
電車内に入り込んできた警官に向けてオスカーが一言、挨拶を交わした。
「どうも」
事件を起こした男はアスタゴの原住民であり、過去に白人たちによる差別を受け過酷な生活を余儀なくされていた。
とは言え、起こした事が事であったために情状酌量の余地などと言ったものはないだろう。
男を引き取りに来た警官はオスカーの姿を見ると敬礼をする。
警官が引き取るまで、オスカーにより捕縛された男は白人男性に蹴られるなどといった暴行を加えられていたためにか、体はボロボロだ。
全身は痣だらけで、もはやどちらが被害者か加害者なのか。いや、勿論痣だらけになってしまった彼は殺人を犯しているのだから加害者であるのは間違いない。
それでも、白人の男が何度も何度も蹴りつけると言う光景は見ていられた物ではなく、途中でアリエルが止めなければ更に長時間に渡り続いただろう。
嫌悪の表情を見せて舌打ちをした、その男の顔を電車内にいた人々は目にしていた。
気持ちの良い物ではなかったはずだ。
「ああ、『牙』のオスカーさんでしたか」
警察官のガタイのいい男は四十代ほどの見た目をしており、肌の色は原住民の肌の色を少し薄くした様な色をしている。
「クリストファーとアーノルドが世話になっております」
アリエルには聞き馴染みのない名前ではあったがオスカーはその名前を知っている様で「ああ」と、小さく頷いた。
「あの馬鹿どもは、ウチじゃ扱いにくいですからね」
警官の男は苦笑いを浮かべる。
「いや、良い働きをしてますよあの二人は。実に勇敢だ。警察官らしい」
オスカーの答えに一瞬だけ間が開くが、直ぐにそれを警官は笑い飛ばした。
「ハハハ! あの二人が? 勇敢? 大馬鹿、向こう見ずの間違いでしょう!」
彼は信じられないと思っているのか、それともオスカーのジョークだとでも思ったのか。
ただ、こんなことを話している場合ではないと思ったのか咳払いをすると、
「一先ず、協力感謝します。では」
と言って警官の男は犯人を連れて電車を降りて行った。
「あの、先程の警官さんは知り合いなんでしょうか?」
親交の深さを感じさせる様な会話をしていたからだろう。警官とオスカーの関係性が気になると言うのは仕方がなかった。
「まあ、あの人の部下だった奴が二人も『牙』の団員なんだ」
事実だけを簡潔に述べると、さらなる興味がアリエルの中に湧き上がる。
「その二人はどう言う人なんですか?」
「あー、あの二人か。……まあ、会えばわかる。取り敢えず悪い奴らではないさ」
誤魔化す様な答えを返してからオスカーは電車から降りてしまう。置いていかれない様にとアリエルはその背中を追いかけた。
「さあ、改めて。ようこそ『牙』へ。アリエル・アガター、私たちは歓迎しよう」
基地へ戻ると同時にそんな言葉をマルコからかけられ、二人の大男が手に持っていたクラッカーを鳴らした。
この光景を見て、アリエルの隣に立っていたオスカーは小さく笑う。
「おかえり、アリエル」
「……あ、ただいまエマ」
呆気に取られていたアリエルはエマの声によって意識を引き戻される。
「歓迎するぜ」
「お嬢ちゃん」
クラッカーを鳴らしていた二人の大男、黒人と白人の男性だ。どちらも筋骨隆々としており、目の前に立たれると視界が狭くなる。
「あ、どうもアリエルです」
一般的な女性であれば物怖じしそうな光景ではあるが、仮にも『牙』の入隊を認められた彼女だ。こんなもので臆することもない。
「私はクリストファー・ムーア。で、こっちがーー」
「ーーアーノルド・ジョーンズだ!」
紫髪、薄い桃色の目をしたの白人のクリストファーと、赤髪、鈍い黄色の瞳の黒人のアーノルド。彼らはどうにも仲が良さそうで、白人と黒人であるのだが人種による差別意識などと言ったものをカケラも感じない。
「お二人が!」
「おっ、俺ってば有名人なのか?」
ポリポリとアーノルドは指で頬を掻く。
「待て待て、アーノルド。お前だけではない。お二人と言ったのだから、当然私も入ってるに決まってるだろ?」
などと、二人は陽気に話し始めるが、そこにアリエルは疑問を差し込んだことで、二人の会話が中断される。
「元警官なんですよね?」
「ああ!」
「そうだとも。私が頭脳に優れたクリストファー」
「そして、俺が肉体派のアーノルド!」
アリエルの目には二人とも肉体派にしか見えないのだが、少なくともクリストファーは自称ではあるが頭脳に自信があるようだ。
「二人ともバカだろう?」
クリストファーとアーノルドの背後から見知った顔が現れる。
「フィリップ!」
深緑色の髪を揺らし現れた彼は溜息を吐きながら、自分よりも年上のはずの彼らに敬いを見せる事もなくそう告げた。
「お前! アーノルドは確かにそうかもしれんが、私は違うからな!」
「そうだぞ! 俺は馬鹿だがクリストファーは天才だからな!」
「……取り敢えず、歓迎パーティだからアリエルは好きに振る舞うといいさ。ピザもある、好きに食べると良い」
フィリップは二人の言い分を無視してアリエルに話しかけ、チラリとエマを見る。
「ほら、エマが寂しそうにしてる」
フィリップが指を指した先にはエマが立っている。
「あ……。エマ!」
エマが一人でテーブルに向かっているのを見て、彼女の方へと駆け寄りながら、アリエルは声をかけた。
「うん?」
エマが振り向けばリスのようにピザを頬張っているのが見える。
「ど、どうしたの?」
「オリバーには負けてられないから……」
エマの視線の先には、茶色の肌の比較的年齢の近そうな、空のような色をした髪の青年がピザを大量に食べているのが見える。
「食べないと無くなるよ?」
エマは首を傾げながらアリエルにピザを一切れ差し出してくる。
「まだたくさん残ってるから、そんなに慌てなくても大丈夫よ」
「ん、……ミア」
「口元に付いてる」
今しがた来た黒髪の白肌の女性はハンカチをポケットから取り出して汚れたエマの口元を拭っていく。
「あら? ……私はミア・ミッチェルよ。宜しくね」
「よろしくお願いします」
差し出された右手に、対応するためにアリエルは右手を伸ばして握り込む。
「ミアさん」
「ふふっ、エマと同じくらいだから、私の妹とも同じくらいかしらね」
茶色の瞳が細められる。
「妹が居るんですか?」
「ええ。一人だけどね」
「羨ましいです。私は一人っ子なので……」
「なら、お姉ちゃんと思っても良いのよ?」
「姉、ですか……?」
「ふふ、冗談よ」
笑って彼女は誤魔化した。
ミアはふんわりとした雰囲気を醸しており、話しているとどこか和やかな感覚がする。
「楽しそうだねー」
ミアと会話をしているとまた、白人の女性がやってくる。髪は肩のあたりで切り、その色は明るい茶色。瞳の色は鮮やかな青色をしており、妖艶さを感じさせる女性が立っていた。
「あ、シャーロットさん」
「うん。よろしくねー、アリエルさん。私はシャーロット・ロバーツだよ」
「は、はい」
握手を返すと、シャーロットはニコリと笑う。
「綺麗な顔だねー」
「い、いえ、シャーロットさんも」
「貴女みたいな娘に言われるとちょっと複雑だけどもさ」
「いえ、本当に綺麗だと思います!」
「そうですよ! シャーロットさん!」
「ちょ、ミアさんまで……」
照れくさいのか、シャーロットは頬を僅かに赤く染めて視線を逸らした。その所作がとても絵になる。
この歓迎パーティの中で、一人、ベルだけは彼女達の輪の中に入る事はしなかった。彼女は新入りであるアリエルの事を認めていなかったからだ。
「フン……」
ベルは鼻を鳴らして彼女達の団欒から視線を背けた。
「混ざらなくて良いんですかね?」
青年は手に持っているピザを口に運びながらベルに声をかける。
「オリバー……。ならアンタが混ざってきたら、どうだい?」
「あの中に男が混じる方が空気を読めてないでしょ。だから馬鹿なクリストファーさん達も今は声をかけてないんですよ」
オリバーの言った通りだ。
もしあの中に入っていくことが出来る男がいるのだとしたらよっぽど、空気の読めない男だ。クリストファーとアーノルドも流石に空気を読んでか、フィリップと一緒にピザを突いている。
「ベルさんは女性でしょ。混ざってきても文句は言われませんよ」
茶色の双眸がベルを捉えていた。
「……良いよ、アタシは。あの女のことは歓迎してないんだ」
「やっぱり、女が増えると不安ですか、副団長のこと」
オリバーの言葉が図星をついたのか、ベルの手がオリバーの頭を覆った。
「アタシを揶揄うんじゃないよ!」
「いだだだだだだっ!」
そして、こめかみを力強く指で押し込むとオリバーは悶絶する。ストレス発散も行われたのか、十秒程してからベルは右手を離した。
「と、取り敢えず、く、食えるうちに食っておかないと……」
立ち上がったオリバーは再び、執着があるのかピザを口に運ぶ。
『牙』で衣食住に困ると言ったことは大してないのだが、過去故か、食べ物は食べられるうちに食べておかなければならないという強迫観念めいたものが彼の、オリバー・ブラウンの心の内には存在していた。
『ヒヒッ、今日も食料は手に入った』
薄汚れた格好の青年、オリバーは店に入っては懐に商品を仕舞い込み、金も払わずに店を出る。
払うほどの金も無く、職を見つけることが出来なかったからだ。
その日もまた、彼は盗みに手を染めた。
親は居らず、居住もない。飯を食べる為には犯罪にも手を染めねばならない程にオリバーは困窮していた。
勿論、見つかれば蹴られる。
殴られはしない。
汚らしい黒色の肌には触れたくないという差別意識が白人達の間で強まっているからかもしれない。
オリバーは何度も目にしてきていたのだ。
『ちょろいよなぁ』
懐に仕舞い込んでいたパンを取り出して、ほくそ笑みオリバーは口に入れようとする。
『そこの君』
まずい、見られたか。
振り返ると立っていたのは白人の警察官だ。
なによりもまずいことになったかもしれない。よりにもよって白人。
オリバーは下手を打ってしまったことに内心で舌を打つ。
『君、そのパンは盗んだものだろう? ダメだ、ダメだなぁ』
にやにやとその警官は笑っている。
分かりきっている。その粘つくような笑いに反吐が出る。
『それで……?』
『はあ……、態度がなってない。物を盗んだらどうするべきか。ああ、それも分からないほどに君は無知なのか。教養が足りていないのか』
『何しても許してくれそうには見えませんが?』
オリバーが問い返すと、肯定するようにホルスターから拳銃を引き抜いた。随分と簡単に拳銃を抜き取る物だと放心してしまったが、そんな場合ではない。
物を盗ったのは確かだが、こんなことでもしなければ生きることすら困難であった。
だからといって認められる筈もない。しかし、物を盗んだというだけの理由で銃殺などオリバーとしても納得がいかない。
『少し待て』
死を覚悟しながらも、オリバーが認め難い運命に抗おうと決意した瞬間、警察官が手に握っていたオートマチックピストルが背後に現れた男によって取り上げられた。
『話は聞いていたが、銃を取り出すほどのことでもないだろう?』
プラチナブロンドの髪。五十代程の男がどこか威圧感を放ちながら、警察官の男を見ていた。
『君、名前は?』
少しの疑心を抱きながらも、名前を名乗る。
『……オリバー、オリバー・ブラウン』
じっと目が合わせられる。見定めるような目をしている。
『ーーふむ。……君さえ良ければなんだが、私と一緒に来るつもりはないかね?』
差し伸べられた大きな白い手。
今まで一度もオリバーはそんな男を見たことはなかった。白人ともなれば尚更に。
だから、簡潔に言って感動した。白人など誰も彼も同じだと思っていた。差別主義者のいけすかない者達ばかり。汚れると言って手を伸ばすことなどしないものだとばかり思っていたのだ。
『さて、彼は私の家族だが。一体幾ら払えば良いかな?』
オリバーは視線を上げて、男の目を見た。
どこまでも真っ直ぐな目をした男だ。だからこそ、この男にオリバーはついていく事を誓ったのだ。
彼から放たれる威圧に屈してか、遂に警官は銃を仕舞い込んでしまう。
『何で、俺を……』
オリバーが疑問を抱くのは当然だ。どうして自分を家族などと呼んだのか。一緒に来るように聞かれたのか。そもそも、どうして助けてくれたのか。多くの疑問が詰まった問い。
少年の問いに彼は真剣な面持ちで答えた。
ただ、彼の答えはどうにも理解ができなくて、オリバーはそれでも、彼の期待に応えなければならないと思ったのだ。
『別に大したことではないんだ。ただ、君のその目だ。その目はーー』
そして、彼は目を覚ます。
「はっ……!」
目を覚ました彼は腹が重たいことに気がついた。
「うげぇっ、苦しい……」
きっとピザの食べ過ぎだろう。
パーティー会場となっていた場所に彼は放置されていた。片付けも終わり、何もない場所に一人だけ。
「お、起こしてくれても良いじゃないか……」
愚痴を吐きながら、立ち上がり腹を押さえて自室に向かう。暗い廊下を歩く中で一人の男とすれ違った。
お互いの暗い肌は夜の中の廊下ではあまりよく見えなかったが、すぐに誰だかは気がついた。
「おっ、オリバー。起きたか!」
「アーノルドさん?」
「どうだ、これから訓練でも!」
「……クリストファーさんはどうしたんですか?」
「クリストファーとは既にやることになってる」
「なら、俺、要らないじゃないですか……」
「おうおう、そんなこと言うなよ」
馴れ馴れしくアーノルドは肩を組んでくる。
「ちょっと、本当にピザの食い過ぎで苦しいんですよ」
「動けば楽になるぜ!」
アーノルドは快活に笑って、右手でグッドサインを作る。
「いや、本当、今は勘弁してください」
アーノルドらの訓練に付き合って腹や背中に攻撃をもらった瞬間に全てを吐き出してしまう可能性がある。
「明日とかなら付き合いますから……」
「お、本当だな?」
「あの、別にフィリップさんでも良いでしょう?」
代わりの者を提案をすると、アーノルドは首を横に振る。
「それが見当たらねぇんだ。部屋に行っても鍵閉まってるしよ。蹴破るわけにもいかねぇだろ?」
「当たり前でしょうが」
逃げやがった。
などとオリバーは同室のフィリップに対し僅かながらに怒りが湧き上がるのを自覚する。
「取り敢えず、俺は休みますね。アンタらも程々にしといて下さいよ?」
「おう!」
廊下を別方向に歩いていき、フィリップの居る自室へと歩みを進めた。
「はあ、『強く正しき人の目』、ね……」
彼はふと、窓の外に広がる、無数の星が散りばめられた夜の空を見上げた。
「わかんねぇな。どう頑張ったって何の変哲もない、ただの俺の目だ」
彼の言う目がどんな目かはオリバーにはわからなかった。それでもマルコ・スミスという男の言葉であるのならば、オリバーにとっては信じる価値はあったのだ。