第4話
「社長!」
「オスカー副団長!」
互いの上司に女性二人が呼びかける。エレベーターから降りて二人がいる玄関近くの方へと歩いてくる。
「何を話してたんですか?」
アリエルがオスカーに尋ねると、平然とした様子で彼は答えようとするが、それを遮るようにエイデンが答えた。
「ただの世間話だよ」
「……そう言うことだ」
溜息を吐き、後頭部を掻きながらオスカーは言った。
「そちらは、大丈夫だったかな?」
エイデンはニコリと笑いながらカタリナを一瞥してから、横に立つアリエルへと視線を運ばせる。
「はい?」
「いや……、カタリナが失礼をしなかったかな、と思ってだね」
エイデンがアリエルに尋ねた瞬間にカタリナの脳裏には先程の行いの全てが過ぎっていく。よく考えてみたら客に対する態度とは思えないようなことをしている。
カタリナはポーカーフェイスのように笑顔を浮かべてはいるが、嫌な汗が流れる感覚があった。
「失礼なんて、そんなことありませんでしたよ。とても良く対応してもらいました」
「そうかそうか」
彼女の応対にカタリナはホッと胸を撫で下ろす。
「今回はありがとうね、カタリナ」
「いえいえ」
「さてと。アリエルくん」
「は、はい!」
既にハワードくんには伝えているが、と前置きをしてから告げる。
「『牙』の完成まで一週間ほどかかる」
「はい」
元々、アリエルがオスカーが話していた予定とほぼほぼ変わりはない。
「届けさせるのは……」
「はい! 私が責任を持ってアリエルさんに届けさせてもらいます!」
「……と言うわけだが」
元気いっぱいにカタリナが『牙』を送り届ける役に立候補をする。
構わないかな、と質問するような顔でエイデンはアリエルを見つめた。
「私は構いませんが……」
彼の視線を受けて、今度はアリエルがチラリとオスカーの顔を見上げる。
「ん、オレは良いと思うぞ。見知らぬ顔に送り届けられてもアリエルが困るだろうしな」
この時点で、彼らの意識から一つの問題が抜け落ちているのだが、そこまでの思考には及ばなかった。
「ふむ、ならアリエルくん。カタリナに向かわせるから、その時は宜しく頼むよ」
エイデンは微笑みを湛えて別れの挨拶を告げて去ろうとする。
「ーーそれと、ハワードくん、アリエルくん」
エレベーターの方へと向かう足を止めて背中を向けたままに忠告を一つ。
「ここ最近、アスタゴの各地では暴徒が確認されている。君達も気をつけると良い」
「オレ達は一応、精鋭部隊ですよ?」
「余計な心配だったかね……。まあ、それだけだ」
エイデンは再び歩みを進めた。
「あ、アリエルさん。後日、またよろしくお願いしますね」
先程までの節操なしの絡み合いをするつもりはないようで、会話にもその様子が表れている。
もしも、この場にオスカーが居なければどうなっていたかは想像に難くない。アリエルに抱きついて、別れを惜しんだことだろう。
「はい、こちらこそお願いします」
「では気をつけて!」
カタリナの言葉を聞いてから、オスカーとアリエルの二人はエクス社ビルの玄関から外に出る。
夕日が差すセアノの街の中、そこには変わらず人の海が広がっていた。
***
アスタゴ合衆国より大洋を超えて西の国。広大な大陸にある一つの国、国名をアンクラメトと言う。
アンクラメトには一つの巨大な宗教が広まっており、アンクラメトの民の多くはその宗教の戒律を守り生活を行なってきた。
アダーラ教。
『正義の法典』と呼ばれる書物の教導に従い生活をなす。
アダーラ教の信徒達は正義の民である。断じて悪などではない。彼らはそう信仰しているのだ。
そんなアンクラメトにある一つの建造の中。泥のレンガで出来たそれは、アスタゴの建造と比べては幾分にも見劣りのする物ではあるが、独特の雰囲気を持つ。
薄暗い屋内に、一人の男が座っていた。家具はほとんど見当たらない。
「アサド……」
男は浅黒い肌、髭を蓄えた美丈夫。白のガラベーヤを身にまとい、頭にはターバンを巻いておりチラリと焦げたような茶髪が覗く。
「ワタシを呼んだか?」
鋭い目を上に向け、名前を呼んだ者を視界に捉えようとする。
アサド・アズハル・ガーニム。
過激派の主導者である彼は、アダーラという言葉に相応しいとは思えないほどの苛烈な思考を持つ男であった。
「ああ、呼んだ」
アサドの名前を呼んだ男は問いに対し、簡潔に答えると、アサドは要件の確認をする。
「してどうした、サクル……」
名を尋ねるとサクルと呼ばれた、アサドと同じ肌色の、鷹のような目のがっしりとした体つきの男が尋ね返す。
「俺で良いのか?」
「お前以外に適任はいないだろう。ワタシはそう思うがどうだ?」
アサドはサクルという男を何より信頼していた。この男はどこまでも冷徹で、冷淡で、平然と自らの命も道具にできる男であるのだと、アサドには確信があったのだ。
だからこそ、弾丸になってもらおう。
「なら、文句はない。アンタは賢い。俺にはアンタに文句をつけられる程の賢さもない」
「そうか。……ワタシはお前を祝福しよう。お前が希望の弾丸になることを祈ろう」
サクル・ダーギル・アズィーズ。
アダーラ教徒が一人。過激に冷酷に、残虐に。彼らの心は実に純粋だ。だからこそ見るものが見れば悍ましさすらをも感じただろう。過激派の彼らは最早、手段など選びはしない。
「我らの目的の為にも」
「ああ、アダーラの民の楽園の創造のためにならば、俺は喜んでこの身を投げうつことも受け入れる」
喜捨とも言えたのかも知れない。自らの命を迷えるアダーラの民の為に使う。
それは、あまりにも美しきザカートではないか。そう思うことで彼は酔いしれているのやもしれない。正義という感覚の甘美に。
「正義を掲げよう」
アサドが唱える。
「正義に捧げよう」
サクルが繋いだ。
正義を掲げ、正義に捧ぐ。
『正義』の信徒。
正義こそが全てであり、正義故に傾倒するだけの価値がある。正義は理念であり、戦闘の理由である。
幸福を求め、今は艱難辛苦にあってもアダーラの信徒はその時間を共有して、前へと常に進み続けるのだ。
どれほどの辛酸も共有し、耐えればいつかは糧となるだろう。全ての行為も。何事も忍耐が求められるのだ。世界はそうして廻っていく。
日は昇り、屋内に光が差し込み、アサドとサクルの横顔を仄かに照らした。
「サクル、お前は誇るといい」
自らの正義を。
アサドの言葉に覚悟を決めた戦士のように彼は頷いた。
彼らは、アダーラの楽園を築く為であるのならば、この世界一切の不浄を排除する心算であった。
***
セアノ駅より発車した列車内、人が多くいる中、ベージュのコートを着て、帽子を深く被った男が黒のスーツケースを持ちながら車内の壁に寄り掛かり立っていた。
多くの人間が居る列車の中のたった一人。そんな彼が目立つ理由など存在するはずもない。
旅行者か、或いはビジネスでこの街に来たのか。将又、ホームステイまたは居住目的か。
目的はさまざまに考えられるが、誰もがたった一人のその男を気にする事などない。
彼はふとスーツケースを開き始めた。荷物の確認の為だったのだろうか。
列車内にいた何人かの者は一瞬だけ視線をそちらに向けはしたが、すぐに目を逸らした。彼に対しての興味など毛ほどもなかったからだ。
視線など気にした様子も見せずに、彼の手に取り出されたのは黒色の鋼。
単調なデザインのそれは、誰の目にも明らかなエクス社製のオートマチックピストル。スライド部分にEXの文字が描かれている。
「始めるか」
呟きと共に男は銃口を天井に向けて、トリガーを引いた。
銃声が列車内に響き渡る。
「動くな!」
そして男は叫ぶ。
銃声が響いた為にか、車内に居た人々は逃げ惑う。列車を繋ぐ扉に人が殺到する。再び銃声が響く。
今度は鮮血を伴い。
「動くなと言ったはずだぞ!」
殺到した人々の中、スーツを身につけた男が受け身を取ることなく倒れていく。倒れた男の目に光は宿らず、スーツに染みが広がる。
列車内は阿鼻叫喚の地獄と化す。
「分かってるのか」
再び銃口が向けられた。
「俺はお前らの命を握っているんだ!」
脅迫の台詞と共に、彼は自らの隣にある黒のスーツケースをパンパンと軽く叩いた。
「コイツの中には爆弾が込められてる。お前らが騒げば、俺はコイツを直ぐにでも爆発させる」
笑った彼の顔は赤黒色の肌をしており、アスタゴ合衆国の先住民族の血筋であると言うことが予想された。
「な、何の恨みがあってこんな事を……!」
白人男性と思しき薄い金色をした髪の男がそう尋ねる。
「何の恨みか……、そうだなぁ。特に言うなら、お前の様な白人どもが俺たちに対して差別を働いた事が問題だ」
彼はベージュのコートを捲り左腕を晒す。そこには酷い火傷の跡、切り傷が見える。痛ましい歴史がその男の体に刻まれている。
「俺たちが何をした! 俺たちは生きてただけだ! だからこれは、この復讐は、正当なもののはずだっ!」
黒い肌を持って生まれた者達は彼の悲痛な叫びに同情してしまう。
彼らにだって差別された憶えがあったからだ。あんな物を見せられてしまっては、沈黙し目を伏せざるを得なかった。
「お前らが居なければ! ……ああ、クソッ。お前らにはどうでもいいか」
こんな話をしたところで意味はないと言うのに感情が昂ってしまった。それを振り払う様に小さく首を横に振る。
「な、なあ、オレはアンタの気持ち分かるぜ?」
黒人男性が理解を示す。
「オ、オレは関係無いよな? オレも同じだからな。だ、だから、見逃してくれよ」
自分の命が大事だ。助かる為になら見捨てても良い。迷う理由などない。
どれほどに恨む様な視線を向けられたところでだ。生き残った者が優先される。この白人も、同じ立場になれば同じ事をするはずだ。
彼はそう考えたのだ。
「……どうでも良いんだよ、そんな事」
彼はこの世界を憎んでいた。
だから誰が死んでも、もうどうでも良い。白人だから、黒人だから。或いは彼と同じ先住民族であったとしてもだ。
もう気にするつもりもない。無差別殺人であったとしても、自分の死すらも無関心。
「俺と、俺と一緒に地獄に堕ちてくれよ」
彼は歪んだ笑みを浮かべて銃口を向ける。ボロボロに壊れてしまった、何かは隠しきれていない。
「止まれ」
静止するように背後から声がかけられた。
チラリと顔を向けると男と女が一人ずつ。アリエルとオスカーである。
「……誰だ?」
男の質問には、質問が返ってきた。
「そこに倒れている男はお前が殺したのか?」
オスカーの視線は、血を流し倒れている男に向けられている。オスカーの質問に、先住民の男は表情を変える事なく「ああ」と小さく肯定した。
「生憎と今は銃を持ってないんでな」
オスカーは大きく踏み込んだ。想定外の動きに男が驚愕していると、次の瞬間には銃を持つ右腕に痛みを覚えて銃を手放してしまう。
「ぐぅっ……!」
彼の認識は追いつかない。
右腕が肘の辺りで折られた事。そして、それを認識する前に意識を奪われてしまった。
顎への打撃が加えられた為だ。
恐ろしいほどの攻撃速度。これこそが『牙』の副団長であると言うように。
「駅員に通報を」
オスカーは車内に居た男に指示を出す。
「強い……」
「そりゃあ、副団長だからな。強くなきゃ副団長なんてできないさ」
『牙』は精鋭部隊だ。そして精鋭部隊の副団長を務めるのであれば必然、実力が求められる。
「エイデン社長の言った通り、治安はあんまり良くないみたいだな」
目の前で右腕を折られ伸びている男を見下ろしながら、オスカーは溜息を吐いた。
「……銃はエクスのオートか」
オスカーは落ちた銃を見る。
銃がエクス社のものであるからと言って、エクス社に全幅の責任があるかと問われればそれは違うだろう。