暗殺依頼・2
さて、実際に依頼を受けることになる壱真はと言えば、汚すに決まっているから卒業式までお触り禁止と警告されているにも関わらず、正孝に自慢したいばかりに自室でこっそりと新品の学ランに袖を通していた。
真っ黒な詰襟は体に合ってないながらも、来年も小学生の正孝には、そこそこ大人に見えるはずだと期待して、鏡の前でニヤニヤしている。
「にしても、遅いな」
学校から、同じ敷地に一緒に帰って来たはずなのに、いつまでたっても顔を出さないせいで、張り切って着替えた壱真は待ちぼうけを喰らっている状態だった。
壱真と正孝は兄弟でも親戚でもない。
だけど、一つの食卓を囲んで育った仲だ。
母親を早くに亡くした和泉家は、父親の正宗が仕事中毒な玄馬の秘書をしているおかげで忙しく、小学生男児に必要充分な家事全般をこなす余裕がなかった。
そこで、玄馬の計らいにより相馬家に間借りすることになったのだ。
それが正孝七歳の時の話で、今年で四年目になる日常だ。
「どうせ、どっかで捕まってんだろうな」
基本的に単純明快で雑把な相馬家とは違い、気配り上手で控えめな和泉親子は揃って離れを所望したことに始まり、正孝自身も住み込み当初から一日一手伝いを目標に掲げて実行している勤勉な小学生だ。
成績だって、誰に言われることもなく上位をキープしている。
家に帰るなり玄関にランドセルをぶん投げて、一目散に遊びに出かけては叱られる日々を繰り返している壱真にとっては、時々、ものすごい嫌みの権化に見える腹立たしい存在だ。
おかげで、これまで母親から何度「まー坊を見習いなさい!」と説教されたかわからない。
「少しは子どもらしくしろっつーの」
ぶーたれながらベッドに背面飛び込みをした壱真は、ついでにぐっすり夢の中まで飛び込んでしまうのだった。
「壱君、大変!」
ノックもない侵入者に驚き、びくっと目を覚ました壱真は、母親に着るなと耳だこで注意されている制服のまま寝入っていたので焦った。
だけど、起こしてくれた相手の方がよほどの緊急事態らしかったので、そちらを優先させることにした。
「まー坊、どうしたんだよ」
「や、なんか僕もわかんないんだけど、玄馬様が帰ってきた」
「え、じいちゃん? なんで??」
誰かの誕生日だったけかと思い返してみるけど、まず、忘れているなんてありえなかった。
年に数回の玄馬の帰宅は、それこそ数日前から家中ばたばたした雰囲気になるので意識しなくても嫌でもわかる。
「正宗おじさんは?」
「たぶん、一緒じゃないと思う。裏口から来ようとしたら玄馬様がいて、壱君を呼んでくるよう頼まれたから」
いきなり一人で帰ってきて呼出し? とか、考えるところがないわけでもない壱君は、正孝の困惑ぶりに充分共感ができた。
今頃、家の中は、てんやわんやしていることだろう。
「んー。なんかわかんないけど、わかった」
とにかくやってみろと両手を広げて見守っているフリーダムな玄馬なので、呼び出したからにはそれなりの用があるのだろうと、壱真はよっこら立ち上がった。
「あ、待った」
「なんだよ、まー坊。後ででいいのか?」
「そうじゃないんだけど、その……流星剣を持ってくるようにって」
「はあ、なんで!」
その名を聞いて、壱真は反射的に険しくなった。
「知らないってば」
小さくなって困っている正孝を見れば、本当に心当たりがないことくらいわかる。
壱真は部屋の隅でほこりをかぶっている日本刀に苦々しく意識を向けた。
流星剣――なんて、ゲームやアニメに出てきそうなキラキラネームを有するこの日本刀は、先祖代々、相馬家が受け継いできた曰くつきの代物だ。
真の持ち主は六つとげの、星みたいな痣を持って生まれてくると伝えられている。
なんの因果か、それを左手首の内側にくっつけて生まれてきたのが壱真だった。
今のところ祖父名義で所持登録をしているのだけど、小学校に上がったのを契機に管理を任されて以来、壱真の刀として部屋に置いてある。
渡された当時、ピカピカの一年生だった壱真には手にも体にも余る大きさながらも、ヒーローごっこに箔がつくと、新しいおもちゃをもらった感覚で無邪気に喜んでしまった。
だけど、身を持って性質を覚えろと、おっかない顔をした玄馬に腕を掴まれ、浅く切られた恐怖にぞっとして、すぐにその場でいらないと突き返した。
なのに、玄馬は受け取り拒否を認めてくれず、しばらく頑固に押し問答を続けた末、引き取るなら新作ゲームソフトを三本買ってくれるという条件で仕方なく手を打ったという、ろくでもない経緯があっての現在だった。
最初は同じ空間にあるだけでも気持ち悪かった壱真は、慣れるのをすっ飛ばして無理くり存在自体を頭から追い出すことに成功すると、家具の隙間や奥に落ちたものを拾うだけの棒切れ扱いをしてきた。
「本当に、じいちゃんが、これ持ってこいって?」
見るからにしわい顔面で確認してくる壱真に、正孝はこっちだって戸惑っているんだいという眉で頷き返事にした。
「わかったよ。持ってきゃいいんだろ」
正孝に当たっても仕方ないとは思いつつ、渋々X三くらいの迷惑加減で立ち上がった壱真だった。
「……」
一緒に来るよう玄馬から言い遣っていた正孝は、壱真の不機嫌な足取りの背後で居心地の悪さを感じていた。
怒っている時の壱真は大股で、少し早足になる。
そんな背中を頑張って追いかけながら、正孝は勝手に申し訳なく思っていた。
なぜなら、真新しい学ラン姿で刀を手にしている壱真が、正孝の目には格好よく映っているからだ。
もちろん、刀を毛嫌いしていることは重々承知しているので、本人に伝えるつもりはなかったけれど。