welcome to お江戸・1
ブン、と耳障りな音がして、壱真の視界は真っ暗になる。
天地を見失う暗闇の中、ぴょこっと、小さな女の子が覗き込んできたから驚いた。
「こんにちは、座敷わらしのサチ子だよ」
黒髪おかっぱで、丈の短い着物姿のちっちゃい女の子。
座敷わらしだと名乗られれば、納得しないでもない。
幼い声音と愛嬌のよさで、可愛いことは可愛いのだけど、不本意にビビらされた分だけ距離を置きたくなる。
なのに、元気いっぱいなサチ子は遠慮というものを学習してないらしく、壱真の心情なんてお構いなしに話しかけてくれる。
「今日は、あたしのおうちを案内してあげるね。ちちんぷいぷい、えい!」
ありきたりな呪文に合わせて腕を振る仕草は幼稚園児のお遊戯会レベルなのに、しでかしてくれたことはとんでもなかった。
自分達のいる足元だけを丸く残して、辺り一面を宇宙に変幻させたのだ。
呼吸はできても、無量大数の星が瞬く果てのない空間に浮かんでいると、体の芯がくらくらしてくる。
「うふふ、これで準備は万端」
なんて、おしゃまに笑われても、嫌な予感しかしない。
「行っくよー」
勢いよく両腕を伸ばして大きく前後に振りだし、今度は何を始める気かと見守っていたら、かけ声よろしく、幅跳びの要領で小さな体をおもいっきりのけ反らせて宙に飛び出した。
迷惑なことに、その気がない壱真まで磁石で引き寄せられるみたいにパラシュートなしのダイビングに付き合わされる。
落ちっぱなしで、ぐんぐん加速しといくスリルに息を呑むと、へその下ら辺が、ひゅうっと涼しくなるのはお約束だ。
「ほら。見て、見て」
リアルに迫ってくる地球と調整できない落下速度に冷や汗だらりな壱真に、先行するサチ子は余裕綽々のいい笑顔で楽しんでいた。
視界はいつの間にか、地図にありがちな縮尺で日本を見分けられるサイズになっている。
落ちる速度も多少ゆっくりになってきたけれど、ものすごく心臓に悪かった。
「ここがサチ子のおうち」
自慢げに示された下界には、海と富士山に挟まれている、三重のお堀で仕切られた四角い土地が見えている。
四つの物見櫓と四つの大門を結界とした、高層ビルも鉄筋コンクリートも存在しない、空飛ぶ車が開発されてる時代にあえて時を止めている精巧な箱庭。
「日本経済特別区域・歴史文化継承政令指定都市。通称、お江戸だよ」
はにかみ照れる幼さに似合わない、小難しい名称をすらすら言われると、壱真はキャラがぶれているとクレームを入れたくなった。
「お江戸には素敵な場所がたくさんあるんだ。たとえばね――」
こっちが職人長屋、あっちは花街だとサチ子が指差し教えてくれる度にピコッと景色に矢印が立って、拡大された名所の風景がぽこんと浮かび上がる。
「中でも一番人気は、やっぱりここ。駿府城。このお城には、お江戸を取り仕切るお殿様が住んでいるんだよ」
今度の紹介では城の全体像がミニチュアで一覧できて、回転までしてくれるサービスっぷりだ。
「こーんなに見処いっぱいのお江戸だから、あれもこれもで迷っちゃうよね。そういう時は、これ。門前町で発行される通行手形で検索すると、色んな情報が見れて便利なんだ」
これ、と某黄門様の印籠の如くサチ子が取り出して見せたのは、時代設定に合わない折り畳み式の携帯電話だ。
舌っ足らずな口調で、簡単に操作方法を説明してくれる。
「通行手形はとっても大事で、持っていないと強制送還されちゃうこともあるから気をつけてね。もし、うっかりなくしちゃったら、すぐに近くのお侍さんに報告だよ。後でもいいか、なんてのんびりしてたら、ものすごーく大変なことになっちゃうんだからね」
重要なことだからか、人差し指を立てたサチ子は、前のめりになって「黙ってたら、めっ!」と訴えてくる。
幼稚な忠告ながら、前半の「黙ってたら」に、ほのかにどすが利いていたせいで壱真は重めの圧を感じた。
「他にも、困ったことがあったら、まずはお侍さんに相談。とっても頼りになるんだ。でもね、お江戸で頼れるのはお侍さんだけじゃないんだよ。お江戸に住んでる人はみんな親切で、仲よくなったらおいしいご飯屋さんや景色のいい場所を教えてくれたりするから遠慮しないでね」
言葉の通り、すっかり原寸大になったお江戸の大路を飛んで進むサチ子と壱真に向かって、お江戸っ子達が笑顔で手を振ってくる。
「それじゃあ、最後に、これからお江戸に遊びに来てくれるみんなに、サチ子から大切なお願い。お江戸には特別な決まりがあって、遊びに来てくれるみんなにも一緒に守ってほしいんだ」
ほんのり観光案内とは違う流れに身動ぎすると、サチ子は耳に手を当てて「なになに、ちゃんと守れるか心配?」と聞いてきた。
見た目に反して、芸が細かい幼児である。
「大丈夫。遊びに来たみんなでも守れる、たった三つのお約束。だから、よおく聞いてね」
ここで、シャラランと軽やかな音楽が流れ、《お江戸のお約束》とサチ子の頭上に文字が浮かび上がった。
「絶対守ろう、お江戸のお約束三ヶ条。一つ、他人のものを盗らない。一つ、他人のものを切らない。一つ、他人のものを踏みにじらない」
セリフに合わせて、宙に大きな文字がふりがな付きで羅列されていく。
「ね、簡単でしょ。でも、大事なことだから、もう一回おさらいするよ。他人のものを盗らない、切らない、踏みにじらない。この三つが、お江戸で大切にしている決まりごと。この決まりを守れない人は、お侍さんや同心さんがしっかり取り締まってくれるから、今日もお江戸は平和なんだ。それでも他人に迷惑をかけちゃう悪ーい人には、すっごく厳しいお仕置きが待ってるんだけど……みんなは、守ってくれるから大丈夫だよね」
いくらサチ子があどけない振る舞いを貫こうとも、発言の意図を吟味すれば、軽い脅しでしかない。
「あ、そうだ。もう一つ、忘れちゃいけない決まりがあるんだった。めったにないけど、お殿様の御触れも絶対だから覚えておいてね」
ついでにつけ足された決まりこそ完全なる独裁宣言であり、サチ子にあっけらかんと語られた分だけ、根が真っ直ぐな壱真は性悪く感じてしまった。
「みんな、お江戸のこと好きになってくれたかな? これでサチ子のお江戸案内はおしまいだよ。後は、直に訪ねて、たくさん楽しんでね」
話を締め括った自称座敷わらしが満面の笑みで両手を振ると、お江戸の風景が徐々に薄れて消えていった。
残されたのは白い空間にぽっかり空いた小窓みたいな景色だけで、そこから覗くサチ子が「またね」と挨拶すれば、それさえもきゅっと縮んで辺りは白いばかりになってしまった。
代わりに《おしまい》という流麗な筆文字が浮かんで、これで本当に終わりなのだとわかった壱真はホッと肩の力を抜いた。




