私の可愛い妻
よろしくお願いします。
「うう……また、逃げられた……」
「まあまあ、あまり気を落とすなよ、レオン」
もう二十歳を過ぎたガタイのいい強面の私を、同じくガタイが良くて強面の父が宥める。側から見ると恐ろしい光景だろうと思う。実際、雑踏の中、周囲の人たちがぎょっとした顔で足早に通り過ぎていく。
だが、今だけは許して欲しい。
何せ、ハンカチを落とした令嬢に、拾ったハンカチを三度も渡そうとして、その度に悲愴な表情で逃げられているのだ。
小柄で可愛らしい令嬢だったから尚更辛い。
私は小さくて可愛いものが好きだ。それなのに、小さくて可愛いものからは嫌われる。
何故だ。
このいつも怒っていると勘違いされる顔がいけないのか。それとも、この相手を威圧するような大きな体がいけないのか。
それは私と良く似た父も同じだった。だが、父はそれを気にしてはいなかった。むしろ、その怯える小動物を手懐ける過程が楽しいのだと父が笑った時に、薄ら寒いものを感じた。
「ああ、懐かしいな。母さんもああやって最初は逃げたもんだ。追いかけて詰め寄ったら、涙目で助けてくれと懇願されたよ。その後も目をそらされたり、気絶されたり……私は熊ではないのだがな」
「いや、似たようなものだと思うよ……」
外見もさることながら、獲物を追い詰めていたぶる様子はまさに熊。幸い私にはその性格は受け継がれなかった。
やっぱり怖がられるのは辛い。どこかにこんな私を好きだと言ってくれる小さくて可愛い女性はいないものか。私はそんな理想の女性を探していた──。
◇
そして彼女を見つけた。
たまたま見学に来た交流試合の会場にて。父が王城に勤めている縁で、父と二人で見学にやってきた。そこで目にしたのは、むさ苦しい男たちが試合をする様子を、微笑ましいものを見るような視線で応援する女性。
──可愛い。
まさに私の好きな小さくて可愛い女性だった。栗色の髪に栗色の瞳。リスのようで微笑ましい。
そして、私は次の瞬間目を疑った。
彼女に近づいていった男性に向けて、彼女がふわりと笑ったのだ。
笑ったことよりも、彼女が笑顔を向けた相手が問題だった。
彼は私と同じくらいに顔が怖い。父以外にそんな相手がいるとは思わなかったし、そんな相手を怖がることなく笑顔で応じる女性もいると思わなかった。
──どういう関係だろうか。
まさか恋人ではないだろう。彼は見た感じ、父と同じくらいの年齢だ。
思わず険しい顔になると、隣で観戦していた男性がひっと小さく声を上げた。気づいた私がそちらを向くと、男性は目を逸らして逃げていった。私は熊ではないのだが。
ともかく、彼女がどこの誰なのか、あの男性とどんな関係なのかを知らないと始まらない。そうして私は彼女がハルヴィナという名前であることと、男性は彼女の父親であることを突き止めた。
なんともはや。こんなにも似ていない親子がいるものかと驚いた。私も母とは全く似ていないから、ハルヴィナは母親似なのだろう。彼女が父親似でなくてよかった。
しかも調べた、というか、ハルヴィナの父が縁談相手に選んだウィルという男に接触した結果、有益な情報を得ることができた。
彼女の好みのタイプは父親だそうだ。
それがどういう意味かは計りかねたが、それならもしかしたら同じように顔が怖い私を選んでもらえるかもしれない。そんな期待が膨らんだ。
そうして迎えた対面当日。ハルヴィナはまさかの行動に出た。私の父に求婚したのだ。
ハルヴィナの目には父しか入っていなかった。うっとりと父を見る彼女に、どうにかしてこちらを向かせたい。
そこで機転を利かせたハルヴィナの父が、私を推してくれた。
ありがとう、お父様。一生この恩は忘れない。後で笑顔でそう言ったら、怖いからやめてくれと言われた。いや、あなたも大概だと思う。そう言いたかったが、ハルヴィナとのことを反対されては困るので、黙っておいた。
ようやく出会えた理想の女性だ。絶対に逃がしはしない。
ハルヴィナがまた父に気持ちが移る前にと、結婚を急いだ。
◇
そして今、ハルヴィナは私の傍にいる。比喩ではなく、正確に言うと、私の膝の上に座っている。
結婚してまだ一月。家にいる時くらいは愛しい妻を愛でたい。ソファに座ったまま、ハルヴィナを向かい合わせに抱きかかえているというわけだ。
ついつい顔がニヤけるが、ハルヴィナは私の顔を恐れることなく呆れたように問う。
「ねえ、レオン。いい加減に飽きないの?」
「いや、全然。いつも泣かれるか、逃げられるか、目を逸らされるかだったから。こうして間近にいても逃げられないのは母さん以外では初めてなんだよ」
思えばハルヴィナに出会うまで、長い道のりだった。遠い目をしてしみじみと言うと、ハルヴィナは首を傾げる。
「どうしてかしらね?」
「いやいや、ハルヴィナもよく顔が怖いって言うじゃないか」
ハルヴィナはやれやれと肩を竦める。
「皆、わかってないわね。そこがいいのに。カッコいいじゃない」
「……何というか、君の趣味が特殊で良かったとつくづく思うよ」
「あら、それはあなたもでしょう? まさかその顔で小さくて可愛いものが好きだとは思わなかったわ。お父様はそういう趣味じゃなかったから」
まただ。私は思わず顔を顰めた。
ハルヴィナは事あるごとに父親の話をする。それだけ父親が好きなのだというのはわかるのだが、別の男の話をされるのは面白くない。
「ハルヴィナ? 君の夫は誰かな?」
凶悪な顔と評されたことのある私の不機嫌顔に怯むことなく、ハルヴィナはあっさりと答える。
「あなたでしょう。何故わかりきったことを聞くの?」
「……だって、事あるごとに君がお父さんの話をするから」
嫉妬したんだと俯いて小さくポツリと零すと、ハルヴィナは何故か震え出した。
怪訝に思って上目遣いにハルヴィナを見ると、頰を染めて口を両手で押さえている。
「ハルヴィナ?」
「……お母様の気持ちが今ならわかるわ。これがギャップ萌えというやつなのね。レオンがこんなに可愛いなんて……」
「ハルヴィナ、大丈夫?」
何やらブツブツ言っているが、意味が全くわからない。ハルヴィナが心配になり、私の顔は更に険しくなる。するとハルヴィナは身をよじらせて悶え始めた。本当に大丈夫だろうか。
「……っ、ずるいわ! そんなに可愛いなんて!」
「は?」
さっぱり意味がわからないが、どうやら責められているらしい。よくわからないがとりあえず謝ることにした。
「何だか、ごめん?」
「もう……! そのあざとさも計算しているのね、そうなのね?」
あざとい? それはハルヴィナの方だ。
私をこうやって翻弄するのだから。私は恨めしくてハルヴィナを見る。
「……それはこっちの台詞だよ。君はわざと別の男の話をして、私を試しているのかと疑ってしまうよ」
「え? だってお父様だし……」
「それに! 父さんによく見惚れているよね? どういうこと?」
そうなのだ。私が一番許せないのは、今でも私の父にハルヴィナが見惚れていることだった。
そもそも彼女は父に求婚したのだから気に食わなくても当然だろう。それなのに、ハルヴィナは私の膝の上で、父を思い浮かべてうっとりとしている。
「いえ。あなたも歳を重ねるとこうなるのね、とお義父様を見て未来を想像するのが楽しみで。きっと、今よりも凄みが増すのでしょうね……」
これはどう受け取るべきだろうか。
父を思い浮かべることを怒るべきか、私の未来を考えてくれてありがとうと思うべきか。いやいや、思考が明後日の方向に行きそうになったが、前提としてそういう問題じゃない。
「いや、凄みを増してどうする……これ以上、小さくて可愛いものに嫌われるのは嫌だ」
私が呻くと、ハルヴィナが眉をつり上げた。だが、小動物のような彼女だ。そんな顔をしても可愛いだけだと、私は相好を崩す。
「レオン? あなたこそ浮気は駄目よ。私はお義父様を見て想像しているだけなんだから」
「浮気……と言われても。ただ、小さくて可愛いものを愛でたいだけなんだけど」
「あら? 私では不満かしら」
そんなわけはない。ハルヴィナを思う存分愛でられるならそれに越したことはない。そう思いかけて、はたと気づく。
それに気づいたとき、顔がニヤけるのが止められなかった。
「そうだね。他に目が向かないくらいにハルヴィナを愛でればいいということだ。嫉妬してくれて嬉しいよ。ありがとう」
「え、そういう、ことなの、かしら?」
ハルヴィナは困惑したように首を傾げている。ここで更に私は押す。
「そうそう。つまり私がハルヴィナを目一杯愛でれば、私はハルヴィナ以外に目がいかないし、ハルヴィナも私以外に目がいかない。一度で二度美味しいというやつだ」
「え……」
ハルヴィナが何故か及び腰になっている。だけど逃がしはしないよ。言質は取ったのだから。
ハルヴィナの腰に回した腕に力を込めて、ハルヴィナを抱いたまま立ち上がる。
ハルヴィナが慌てて私の首に腕を回し、しがみつく。
「レ、レオンさん?」
「うん? 何故以前の呼び方に戻っているのかな? まあいいや。今日は幸いなことに一日休みだから、目一杯可愛がることができるね」
「ちょっ、まっ」
「はいはい、行くよ」
鼻歌を歌いながら部屋に行き、ハルヴィナの言った通り、思う存分ハルヴィナを愛でさせてもらった。ありがとう、ハルヴィナ。
それからハルヴィナが、私の父や彼女の父に目を奪われるようなことがあると、ハルヴィナを全力で愛でるようにした。
その結果、ハルヴィナは父に見惚れることはなくなった。父に目を奪われそうなハルヴィナを私がじっと見ると、真っ赤な顔で「見てない、見てないから!」と慌てて父から目を逸らす。
──やっぱり可愛い。
初めからこうすればよかった。これできっと私が彼女の理想通りの年齢に差し掛かる頃まで、彼女が父に目を奪われることはないだろう。
読んでいただき、ありがとうございました。