ゴミ97 達人、ニヤニヤされる(ていうか、ほとんどドラゴンのうんちく)
3月17日。
ドラゴンフィールドを出て、ヒルテンへ向かう。位置的には海岸に近い所を走っているのだが、地形的な都合で山間部を走っている。街の名前がドラゴンフィールドだったから、ドラゴンが出てくる土地柄なのか、みたいな事を言ったら、本当に出てきてしまった。仕方ないので倒したのだが、割とギリギリの戦いだった。
「最後に矢が口の中へ入ったあと、いつもと違う爆発だったな。」
「口から煙が出ていたし、なにかの理由で火が出たんだと思うが……。」
俺とアローが話し合う横で、クは何を言っているのか分からない様子で黙っている。いつもと違う爆発と言われても、クはいつもの爆発を知らないのだから当然だ。
わざわざ教える必要もないので、とりあえず放置しておく。
「ブレスを使おうとした直前だったせいだろうな。」
「目玉のときは火なんて出なかったから、そうだろうな。」
「つまりブレスがノドの奥で爆発したのか。」
「ブレスは魔法攻撃のはずだが……魔法の発動位置がそんなズレ方するか?」
「分からないが……ノドの奥で炸裂した刺激に反応して、つい……みたいな?」
「つまり……ブレスの直前でムセたと……?」
そんな事あるか? と俺とアローは首をかしげたが、他に思い当たることもない。
地球でも漫画やアニメの世界を科学で説明しようとする人はいるが、それ系の考察によると、ドラゴンのブレスは、科学的には「おならのような可燃ガスを吐き出している」と考えられるらしい。ドラゴンの巨体と強靱な肉体、強力な筋肉によって、その可燃ガスが圧縮されてスプレーみたいに高圧で噴射される可能性もあるらしい。そして着火のための火種が必要であるから、歯に金属が混じっていて火打ち石と同じ事が起きているのではないかと。鱗や牙や爪が鋼鉄のように頑丈で、武具の材料として加工できるのも、豊富に金属を含んでいるせいではないか、という話だったかな。たしか。
しかし、この世界のドラゴンのブレスは、完全に魔法攻撃だ。可燃ガスとかは関係なくて、ドラゴンの巨大な魔力にものをいわせて全力で攻撃しているだけだ。口から吐き出すような形になるのは、呪文の詠唱に直接魔力を乗せているからである。
竜語魔術というやつで、呪文の「全文」をいくつかの「文節」に区切って、複数の文節を同時に詠唱することで、詠唱時間を短縮している。つまり大勢で同時に別々のことを喋っている状態を、1人で再現するわけだ。もしも竜語を理解していれば、ざわざわと複数人で同時に喋っているように聞こえるかもしれないが、竜語を知らない人間の耳には単に吠えているようにしか聞こえない。
人語魔術は、イメージによって魔法の内容を決める。呪文の詠唱はイメージを補助するためのもので、詠唱することには補助としての効果があるが、呪文の内容には意味などない。ぶっちゃけ「燃えろ」と詠唱しながら凍らせる魔法を発動することも可能だ。これは、イメージに魔力を乗せているからで、呪文の内容に意味がないことの証明である。
この点、竜語魔術では、言語のほうに魔力を乗せている。実はこれは言語学的に高等技術で、呪文の内容をプログラミング並に厳格に選ばないと、意図しない効果が発動してしまう。たとえば「燃える」という効果を出すのに「燃える」とだけ指定すると、燃える対象が指定されていないために魔力だけが燃えて消費され、火が出ない。そこで「火が出る」と指定すれば、今度は火のサイズや持続時間が指定されていないために、魔力が供給されている間、供給された端から全部を使って火を出してしまう。発動した瞬間に燃料が尽きてしまうので、攻撃しようにも敵に届ける暇がない。サイズや持続時間を指定すれば、今度は温度が……と、これでは魔法を使うたびにどんな事故が起きるか分からない。危ないので人語魔術では言語に魔力を乗せることをしていない。ドラゴンなら多少の事故には耐えられるから、詠唱時間が短くなるという利点のほうを取っているわけだ。
ブレスも竜語魔術である以上、言語を使わないと発動しない。それが体内に誤爆するなんて事が起きるだろうか? あるとしたら、声帯で言語が生成されてから、その音が口へ出てくるまでのわずかな間に、そこへ魔力を注ぎ込んでしまうという事故が必要になる。それを「ムセた」と表現したわけだが、音の速度を考えるとあまりにも神がかり的なタイミングだ。ドラゴンの声帯がどこにあるのか知らないが、首の下の方にあったとしても、口までの距離はせいぜい3m。音速が3mを通過するのに必要な時間は、100分の1秒もない。
「「うーん……。」」
同じタイミングでうなって、そのまま「考えても仕方ない」という結論に至り、とりあえず車も無事だったのでヒルテンに向かって進むことが重要だと思い直す。俺とアローは同時にお互いの顔を見合わせ、何となく相手も同じことを思っていると理解して、黙って車に乗り込んだ。
「うわー……。」
クがやたらニヤニヤしながら俺たちを見ていた。
「……なんだ?」
「どうしたんだ?」
俺たちは首をかしげる。
「べつにー。」
クはニヤニヤしたまま自分の車に乗り込んでいった。
「「……?」」
変なやつだ。
俺たちは揃って首をかしげ、ヒルテンに向かって出発した。
◇うんちく・ドラゴンの解剖学◇
人間の場合、首が短いので、声帯は首の中央あたりにある。
これが馬やキリンになると、首の上の方にある。
一方、ペリカンなど鳥の中にも首が長い種が存在するが、鳥は「声帯」ではなく「鳴管」という器官を使ってさえずる。鳴管というのは、左右の肺が1本の気管へつながる、その合流地点にあって、左右独立して動かすことができる。つまり発声器官の位置としては、首ではなく胴体の中だ。
オウムやインコに代表されるように、鳥の中には人間の言葉を模倣できる種がいる。人が声帯と唇と舌を駆使して操る言語を、これらの鳥は鳴管を使って再現できるわけだ。それほど鳴管というのは「発音できる音の幅」が広い。
この世界のドラゴンの場合、声帯と鳴管を両方備えている。人間のように唇が自由に動かないドラゴンが、それでも学習次第で巧みに人語を操れるのは、鳴管の使い方がインコやオウム並にウマいからだ。学習さえすれば、ヒューマンビートボックスみたいに様々な音を模倣できる。さらに声帯を連動させたり舌を操ることで、人間にも鳥にも不可能な発音が可能になる。それを言語として体系化したものが竜語だ。竜語魔術で複数の文節を同時に発音するのも、声帯と鳴管と舌を駆使して初めて可能になる。
どうやって複数の文節を同時に発音しているのかだが、これは原理的にはスピーカーと同じである。複数の音を同時に出しているのではなく、複数の音を混ぜた1つの音を出しているのだ。利き手がそれを脳で勝手に分離して聞き分けて、複数の音だと認識しているに過ぎない。原理は単純だが、難しいのは、複数の音を1つの音として認識し、再現することだ。脳が勝手に複数の音だと認識してしまうのを、意図的に1つの音として認識し直さなくてはならない。
ドラゴンは普段は竜語を使って会話するが、このときも複数の文節を同時に発音している。人間の会話に比べると、ドラゴンの会話は単位時間あたりの情報量が数倍ということになる。それを聞き分け、理解して、思考し、言葉を選んで、返事をするわけで、ドラゴンは思考速度も人間の数倍だ。人間と会話しているときのドラゴンは、ひどくゆっくり話していることになる。言葉がなかなか出てこない子供や年寄りを相手にしている時のような気分だろう。介護士や保育士が聞いたら、同情するに違いない。




