Chapter 1-12 『新聖』
男は夜闇に紛れもせず悠々と学園内を歩いていた。
目的地は数日前に設定しておいた儀式場。
『巫女』である本城篠誣は既に別の場所に停めてある車の中で眠らせてある。
事あるごとに突っかかってきた少年は勘違いしていたようだが、今日はどこかで起きたという崩落事故の点検の為に休校日らしく、人気は無く男が歩いていてもそれを咎めるものはいなかった。
「………」
男はただひたすらに歩き続けるが、目的地には一向に辿り着かない。
なぜならこの天学園は県内最大級の私立高校で校舎間を歩くだけでも数十分はかかるからだ。加えて今日は休校日であるために校内を走り回る校内バスの群れが車庫内で収まっているので男は歩くしかなく儀式場に行くためには徒労に疲労を重ねなければいけないということだ。
「………」
痺れを切らしてしまうような時間の中、男は学内にいくつあるのか数えるのかも面倒臭いほどあるグラウンドの一つに辿り着く。
そこに。その中心に。
―――夜の深い闇の中でも決して色褪せない艶のある綺麗な金髪のクセ毛の少年が純白のコートを風に吹かせながら立っていた。
「…『新聖』、か」
男は小さく舌打ちし、戦闘態勢をとる。
『新聖』と呼ばれた少年―――アルフレッドは条馬と会った日と同じ清潔感のある佇まいをしており、テッペンにある天へ突き上げるようなアホ毛も健在だ。
しかし、この前と違う点があるとするならば。
様々な角度の月の光を集め、まるで自分で光を放っているかのように輝いている剣を腰に携えていることだろうか。
アルフレッドは臆することなく前へと一歩、歩を進める。
「……五輪を極め、魔術業界では超えるものはいないとまで言われた男が何故このような悪行に手を染める?」
この前、条馬と接していた時からは想像もつかないあまりにも低い声で男を睨みつける。
「そこまで評価されても、届かないものがあるということを、極めた後の人生で思い知らされた」
男は冷静に、現実を憐れむような眼で見つめ返す。
「どうしてそこに至るまで放っておいた?他人に頼らなかった?」
「他人…ハッ!そんなものただの邪魔でしかない。弟子と師匠のみが俺にとって最低で最大の人間関係だ。それ以外は必要ねぇ」
「そうか」
アルフレッドは溜息をする代わりに一言、心底ガッカリしたような声で呟いた。
「まあ俺の話は置いといて、だ。―――『新聖』様はなぜここへ来た?」
「…」
男の問いにアルフレッドは黙り込む。
「ふ。黙るんだったらそれでも構わねぇ。ならばこっちもこっちで勝手に話させてもらおうか」
男はニヤリと口の端を笑みの形に引き裂いて、一旦区切る。
「こんな極東、教会の奴らでも気付くわけがないと思ったから『儀式』のために選んだのに。『巫女』もちょうどここにいたしな」
話を続ける男は片目を瞑って左目だけでグラウンドの外側、数ある校舎の中の一つの傍らに停めてある車、目的地の一つに目をやる。
「ならばそんな場所へ『新聖』様がやってくる理由とは?考えてみれば、『新聖』の過去を知っていれば分かることだ」
男の様子を伺っていたアルフレッドはピクリと肩を動かす。それを見て男はさらに口の端を歪ませる。さらなる確信を突くために。
「お前は妹を殺された『アナザーワン』を憎んでいる。そしてこの件には――――――」
「黙れ」
アルフレッドの静かな怒りが声に帯びる。
言ってはいけないことを言っている。それを分かっていながらも男は笑みの形を崩さず、
「『四分の一』と『巫女』。どちらが狙いだ?」
言った瞬間、
光の槍が男の頬を掠った。
「ん」
男は小さく反応し、軽く頬の傷を擦る。
意外と深く掠ったのか、見た目に反比例して流れ出る血の量は多かった。
「……」
光を放ったアルフレッドはもう言葉を話さなかった。
しかし、言葉の代わりに剣の鍔を左親指で押し上げ、右手で柄を握り込む。
明らかな戦闘態勢。
怒りを心の深層部分へと押し戻し、ただ目の前の敵を見据える。
男の方もそれを見てニヤリと笑う。
だがそれは今まで他の人間へと見せていた嘲笑ではない。
やっと出会えた、真なる敵への正当な対価。狂人にできる最大の行為。親愛の証。
そのような意味合いを込めたそれをアルフレッドへ向け男はどこからともかく世界樹の枝としての効力を肩代わりさせた杖を取り出す。
ぼう、と杖に火が灯る。
木製の杖だが、何故か火は杖を燃やさない。いや、燃やせない、というべきなのだろうか。
一歩、一歩とゆっくり近づく両者。
片方は笑い。片方は怒りを押し込めて。
「五輪の輪より来たれ―――」
男が詠唱を紡ぐ。
―――魔術。
無を他より出でるモノをもって有とする力。
それを発動するための詠唱、その一端。
ならばそれこそ男にとっての戦闘態勢。
…ここに、お互いの戦闘準備が完了する。
そして―――――――――――――――――――――。
「『水』よ、『剣』となり放たれよ!!」
男が吠える。
放たれる高圧の水。人が生きる上で必要不可欠なソレは命を摘み取る暴力の塊となってアルフレッドに襲い掛かる。
が、アルフレッドは高圧射出水に対し臆することもなく、剣を引き抜き、水平に振り抜く。
すると、水は真一文字に切り裂かれ、直後、雨粒のように粉々となって砕け散り消失する。
これは単なる挨拶。
まだ本気の一部すら見せてすらいない。
お互いがお互いを鋭い視線で睨みあう。
「行くぞ―――アルフレッド・ペンデュラム。推して参るッ!!」
ドッと凄まじい勢いで間合いを詰める。
対する男も微笑み、初めて名を名乗る。
「ああ。メビウス=トーリス。『新聖』様がどれほどの力を持っているか―――。この目で見定めさせてもらおーじゃあねぇかァァ!!」
こうして。
天学園を舞台とした『巫女』を巡る戦いが始まった。