Chapter 1-11 『その力は何のために』
***
―――その日は燃えるように熱く、ただ何もしたくないという言葉だけが脳内を駆け巡っていた。
―――伸ばす手は届かず、思いは炎と共に燃え尽きる。
―――守りたいと願ったモノは業火に抱かれ、忘却の塵へと還っていく。
―――そして。
―――還っていく『ソレ』をただ眺めていくだけだった自分もだんだんと炎に侵され、焼かれていく。
―――涙は零れることすら許されず、地に落ちる前に蒸発、消えていく。
―――まるで、今の状況を嘲笑うかのように。
―――遠くで。
―――誰かの声が、聞こえる気がする。
―――これは、父親の声だろうか。
―――放棄した思考ではその真実はもう分からずじまいで。
―――風景は、あんなに青かった海は。
―――燃えて、燃えて、燃え広がって。
―――悲しさが溢れるように、ただただ他者を侵食し続ける。
―――けれどその様は。
―――悲しいかな、なんとも美しく感じ、
―――美し、く?
―――これが?
―――大事なモノをこれでもかという勢いで燃やし尽くしていく、これが?
―――ふざけるな。
―――この獄炎はただのまやかしで、感覚を麻痺させているだけの代物だ。
―――ああ。
―――憎い。
自分の大事なモノを全て燃やし尽くしていく炎が憎い。何もかもが等しく塵になっていくこの状況が憎い。原因に気づけなかった『奴ら』が憎い。ただの八つ当たりだと知っていても『奴ら』が憎い。放ったらしにしていた両親が憎い。今は、ただただ全てが憎い。そう。この自分こそ一番憎い。
獄炎を美しいと評し、思考を捨てて。伸ばしても届かない、それだけの怠惰な理由で行動することを放棄し、火傷し焦げ付いた全身に鞭を打ち、立ち上がろうとすることさえしないこの自分が。一番。腹立たしい。
―――だからこそ。
―――自分は。
―――こう思う。
―――全部、焼けて消えてしまえばいいのに、と。
―――けれど、目の前に。
―――あんなに愛おしく、大切だったモノの、
―――『亡骸』が、あって。
―――涙のように蒸発していったその思考の片隅に、
―――ある言葉だけがこびりついて。
「く………る、み……………………………」
―――息を吐くように、空気へ言葉は透過していった。
***
「…………………」
重たい瞼を開け、夢から現世へ魂を連れ戻す。
毎日やっている普通の行動だが、今は一段と面倒臭く感じる。
―――夢。
たまに見るあの夢は堕落し続ける条馬の生活に喝を入れるように頭の中で何度も何度も再演される。内容は一年前の『あの日』のことで。きっと一生忘れられず、忘れようとしてもきっと、こうやって夢として記憶の奥から重くのしかかるように這い上がってくるのだろう。
『あの日』から海道条馬はクォーターヴァンパイアとして君臨した。
一度は『亡骸』となり、命潰えそうとなった胡桃を助けるために、己の身を削って。
もう二度とあんな出来事を繰り返したくない、そう願い、ボランティアとして、他人が傷つけられないように、人助けを続けてきた。もちろん条馬ができる範囲で、だが。流石に自分でできる範囲、と言っても人並み程度でしか出来ないことぐらいわかっていた。
―――だけど、あの男は何だったんだ?
質量を持つ閃光を何もないところから作り出し、見えない矢、という物理法則を無視したものを射出し、地を自在に蠢かせる。そして何より、条馬の腹を引き裂いたあの一撃。
常識で考えて、普通に生きていればあんな現象を目にすることなどきっと無いだろう。
であれば。
あの男に勝つためには、自分もあのような現象を引き起こすための『力』を手に入れることが出来れば、俺は―――――――――
「…………ん?」
そこまで思考して、今の状況を再確認する。
―――場所は変わらず、天学園の校門前。しかし、男の車は無かった。
―――時間帯は夜。時刻は8時ちょうど。一体どこまで自分は寝ていたのだろうか。
―――そして、
―――なぜかこの場にいる胡桃の膝の上に条馬の頭が乗っていた。
「!?」
「な、んで……?」
驚く条馬をよそに、妹は、胡桃は、冷静にしかして感情的な声を外へと吐き出していた。
『なぜ』
最初、条馬はその真意を掴むことができなかった。
けれど。
「どうして……?どうして、あそこまでするの?お兄ちゃん………」
胡桃のその一言で、何故か全てを察した気がした。
胡桃が言いたいこと。
それはつまり、
「――――なんで、ただのクラスメートである本城さんの為にあそこまで行動したの?」
…ということだ。
『ただのクラスメート』、確かにその通りだ。
いつもの日常の中、挨拶しあって、話しあって、笑いあって、泣きあって。
そんな普通を謳歌する中で通り過ぎ、たまに立ち止まるかもしれない一般人であり通行人であり、他人である。それが条馬から見た本城篠誣の立ち位置であって、決して条馬が条馬であり続ける限りそれは変わらないだろう。
そんな関係である人間の為に自分の兄が腹を裂かれたり車にしがみついてボロボロになれば、普通の感性を持つ者ならば結果として、『なぜ』という疑問符が上がることは何もおかしいことではないだろう。
そして。
それに対して条馬は、
「俺は、ただ人を助けたいと、そう思っただけだよ」
そうとしか答えが思い浮かばなかった。
クラスメートというのは、条馬にとって一生他人で、交わる人間の数はとても少なく、大人になってしまえば、「ああ、こんな奴いたな」程度にしか感じられないものでしかない。
だが、そんな人間の為に体を張って、命を削って、その他人を助けるのはおかしい行為なのか、いや違う。
―――ただ、誰かを助けたい。
それは強欲で、傲慢な考えだ。
しかしそんな感情は普通の人間にとっては当たり前で、おかしいところなどは何一つなく。ならば、条馬はその四分の三存在する人間的感情に身を委ねて行動したいと思う。
「(という建前的な本音もあるけれど)」
と、条馬は心の中で付け加える。
そう。条馬が篠誣を助けるために行動した理由。それは二つ存在する。
一つは前述した通り、ただ『助けたい』と願ったから。
もう一つは――――
「(篠誣が、優や良和と同じ『日常の象徴』だから)」
条馬にとって日常の象徴、というのはとても大切なモノだ。
日々、助けたいという願いのままに行動し、心身ともに傷ついていく日々の中で帰ることが出来る場所、帰るべき場所があるというのは素晴らしく、それこそ人間関係において何事にも代えがたい財産であると条馬は常日頃から感じている。
つまり、日常の象徴であるクラスメートや両親、胡桃などの人々の命に危害が加わることは、条馬にとって一番されて嫌がること、というより殺しに手を染めるほど激昂することすら厭わないほどのことなのだ。
そして、起きてしまった今回のこと。
たとえ条馬にとって篠誣がただのクラスメートであり、今後一切交わらない人物だとしても、それが日常の象徴であるならば、というより何者であっても助けない理由などない。
だからこそ。
「……結局。どんな理由があったとしようが関係ないんだよ」
条馬は、胸を張ってこう言えるのだ。
「人を助ける。―――それに理由なんていらないんだからな」
条馬の言葉を聞き、胡桃は面食らったような顔をする。
「………それで、たとえ死ぬことがあったとしても………?」
震える声で胡桃が質問する。
「死因が人助けだったらそれはそれで本望だよ」
しかし条馬ははっきりとしかし軽い調子で質問に答える。
「たとえ、その助けられた人が、助けてくれた人が傷ついた姿を見て、泣いたとしても?」
「その時は…その時、かな?」
煮え切らない答え。しかし、そんな爪の甘い点が条馬らしいのだと胡桃は思い、今まで固く閉ざしていた口を緩やかな笑みの形へ変化させる。
「そっか……」
そうこぼした胡桃を見て、一旦条馬は安堵する。
そして胡桃は一言。
「―――はい、ここで通話は終了。お前はずっとそこで寝てろ」
「!!?」
条馬の側頭部へ鈍い一撃が炸裂した。
「ッッが、ハぁぁぁぁぁああああ!?」
叫ぶも、体は宙を舞うなど激しい行為を行わず、そのまま力なく横へ倒れてしまう。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははッッッ!!!!こんなに上手くいくとはな!これも日常の象徴?の力というわけかぁ??」
明らかな変化。さすがにそれぐらい察することはできる。
変化の正体は胡桃。
胡桃の体からはまず発せられることは無いであろう野太い嗤い声が条馬の鼓膜を叩いていく。まるで通信障害時のノイズのような音と共に。
「お、前は?」
仰向けに寝そべり薄れゆく意識の中、条馬は問うしかなかった。
「あぁ、このままじゃあ分からないか。俺だよ、俺」
嗤う胡桃の顔に陰りが生まれ、
ズオオッッ!と、胡桃の顔が『空気と同化した』。
色のあった胡桃の顔が空気へ溶け出し、だんだんと混ざり合い結果として色は無に帰し、全て消滅した顔は空気のざわめきをきっかけとして空気から新しく作り替えられていく。
胡桃の日本人らしい柔らかい顔つきは彫りの深い西洋人の男の顔つきへと変化する。
それは、肩まで伸ばした赤髪を夜風になびかせるあの男だった。
「てんめええぇぇぇぇぇえええええ!!」
条馬は何のひねりもなくただ感情のままに激昂する。
男はそれに対し、先程まで前面に押し出していた感情をしまい込み、冷静な眼で条馬を見つめる。
しかし、出てきたのは仲間に送るような気安い調子の言葉だった。
「敵がまだ生きているのにそのまま放っておくような馬鹿じゃあないんだぜ?俺は。だから、強引にお前の妹の思考にお前の思考をくっつけて会話をさせてやったんだよ。だからまぁ電話というよりはテレパシーに近いものがあるな。そして俺はまるであんたが『目の前の』妹と会話しているように見せかけるためにお前の記憶から妹の姿を投影したってわけ。あー大丈夫。妹さんはあんたとの会話で安心して病院に帰ったらしいから。そんでお前も安堵した瞬間にドンと側頭部に一撃入れさせていただいた。これで『儀式』の邪魔をされるような時間帯には起きないだろう」
つらつらと紡ぎだされる言葉の数々に条馬は圧倒させられるばかりで何も言い返すことなどできない。
「くっそがぁ…」
この場で、弱々しく何の利益にもならない言葉しか言うことが出来ない自分に無性に腹が立つ。
震える意識がさらに強まる。
もがきもがき続けて苦しんで。何の成果を得られないまま倒れゆく自分に怒りしか湧かない。
けれど体は動かず。もがけばそのまま力を失い倒れ伏すだけだ。
ならば考えろ。
こいつを止めるにはどうすればいい―――――?
思考してかみ砕いて。
条馬は行動を開始しようと全身に鞭打つ。
――――――が。
「アデュー」
男がそう言って指を鳴らした瞬間、
条馬の意識はまるで糸を切るようにプツリと焼き切れた。