Chapter 1-9 『望まぬカーチェイス』
それを見た瞬間、条馬は窓を開け、窓枠に足をかけ。
「えぇ!?」
胡桃の驚きの声を聞きながら、大空へ飛んだ。
病室は三階だったようだ。しかし、このままの勢いでは出発し、国道に乗ってしまったあの男の車には追い付くほどの距離を稼げないだろう。
「それ、ならっ!」
バサッ、という音と同時に、病院着を内側から突き破り生々しいほどに蠢く深紅の翼が顕現する。
様々な方向からどよめきが起きるが、すぐにそれはカメラのシャッター音に変化する。
「さすがッ、現代人らしい反応だな!」
悪態をつきつつ、音に対してはすぐに興味を切り捨てて、目の前のことに集中する。
まるで滑空するように水平に大きく翼をさらに広げる。距離的に数十メートル。決して間に合わない距離ではない。どこか遠くに行かれる前に追い付かなくては。
「頼む、追い付いてくれえええええええええええええええええええええええッッッ!!」
***
同時刻。車内にて。
「くふふふっ、はははははははははははははははははははははは!!こんなに上手くいくとは。なぁ!?」
男は不気味なほど高笑いをしていた。
「んん―――!んんんんんんー!!」
それに比べ、篠誣のほうは口にガムテープが巻き付いており、言葉を外に出力することが出来ない。
ひとしきり笑い、疲れ、落ち着いた男は極めて冷静に努めようとするが失敗し、普通に篠誣へ笑いかける。「ああ。そういえば騒がれんように口を塞いでいたか。…なんでわざわざ敵が待ち伏せているかもしれない外の自販機へ飲み物を買いに来たのかはわからんが」
ぺりぺりと片手、しかも誘拐犯らしからぬ優しい手つきで篠誣の口の拘束を外す。
「っっっはぁ……ッ一体、何が目的なの、あなたは!」
篠誣は外されるや否や凄まじい剣幕でまくしたてる。
「…はぁ。もう少しらしくはできんのか、『巫女』よ」
「その名で呼ばないで」
「ふ、そうか」
『巫女』という単語に反応し、篠誣が見るからに不機嫌になる。
それについて悪びれる様子も無く、男は微笑み仕切り直す。
「これで、ようやく。ようやくだ……ッ!ここまで来るのにどれほどの時間をかけ、犠牲を払ってきたことか!さぁ、本城篠誣よ!貴殿を我が居城へとご案内しようではないかッ!?」
と、声高らかに宣言したものの、しかしその語尾が疑問符に変わった理由。
それは。
法定速度スレスレの速度を保って走っていた車の天井に明らかな重圧が掛かったからだ。
「チィ!!」
男は舌打ちし、サイドガラスを手元にあるボタンで開け、いつの間にか持っていたドローン『のようなモノ』を車外へと投げ放つ。ドローン(仮)は自立機能でもあるのか男の操作無しに車外を自由に動き回る。さらにドローン(仮)に付属しているカメラは社内モニターと繋がっており、男は運転しながら視線はモニターへと。そこで男はある疑問に到達する。
―――なぜ、昨夜上下真っ二つにした筈の少年が今自分の車にへばりついているのだ?
疑問を完全に出力したところで男はようやく今の異常事態に気づく。
咄嗟にアクセルをさらに踏み込む。グンッ!!と慣性の法則そのままに後ろに座っている篠誣が前に倒れ込む。
「何こ、れっ!?」
篠誣の抗議の声も強引に切られてしまう。
今まで法定速度スレスレだった速度が一気に跳ね上がる。道路を走っている他の車を追い越し、信号を無視し、他の人間など関係ないと言わんばかりに車道を駆け抜ける。
外からいつの間にかサイレン音がしてきた。警察が男のスピード違反の通報を受け、やってきたのだろう。
(港の時も思ったが、日本の警察は無駄なところを努力したがるものだ、なァ!!)
開けっ放しにしていたサイドガラスの枠を軽く指でなぞり、軽く呟く。
「燃え盛れ」
すると、道路へ炎が走り、警察車両にそれが触れた瞬間、爆発的に上へと燃え上がり車両が持ち上がる。ゴロゴロと車両が道へ転がっていく。そして漏れ出たガソリンに燃え広がった炎が引火し、さらに爆発する。悲鳴があちらこちらで聞こえてくる。
惨劇を見ながら男は口角を凄まじいほど吊り上げ、
「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!あ―――、たっのしいいいいいいいいなぁああ!!」
語彙力など欠片もない笑いが町中を蹂躙しつくしていく。
***
少し時は戻り。条馬の視点へと戻る。
条馬のしたことは簡単だった。
翼を広げ、滑空状態になりそのまま男の車の天井部へ着地した、それだけだ。
それだけだと言っても、車の天井部という小さなスペースに着地するのは難しい。なので翼を道路に掴むように刺し込む。そして、翼で高さを稼ぎつつ減速の果てに起こる急停止の勢いを利用して着地した。
しかし、条馬の誤算は上から俯瞰した車の速度と、実際降りてから感じる速度が全く違ったことだ。
上からでは滑空していたのでそこそこ遅く感じたが、実際は法定速度スレスレで走っているので、生身の人間からすると結構耐えられないものとなっている。
「うぬぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお………」
口が大きく広がりそこに大量の風を受けとてつもなくだらしのない顔をしながらなんとかしがみついている。
「(くそっ、どうやって車内に入れば…?)」
思考しながら、キョロキョロとあちこちを見回す。見て分かることと言えば相変わらず歩道の方からどよめきやカメラのシャッター音がすることとドローンみたいなのが付属しているカメラをこちらへ向けているだけだ。
「ん?」
違和感が生じる。
「―――――――ドローン?」
『ソレ』に気づいた瞬間、車の速度が一気に引き上がった。
「っ、わああああああああああああああ!?」
さっきから大声で叫ぶことしかできない。それほど余裕が無くなってきているのだ。
今までせいぜい法定速度スレスレでなんとか耐えられるものだったが、もう、無理になるところまで来ている。
「(このまま、振り落とす気かァッ!?)」
条馬も負けてられず、今まで折りたたんでいた翼をもう一度小さく開き、天井部に勢いよく突き刺す。もう、なりふり構ってもいられない状況なのだ。
凄まじいスピード、けれど的確なハンドル操作で車と車の狭い隙間を縫っていくように進んでいく。
そうこうしてへばりついていると、どこからかサイレンの音が条馬の耳を叩く。
しがみつくこと最優先にしながら、できる範囲で首を動かし辺りを見回す。警察が来たのだ。
『そこの車、止まりなさい!スピード違反ですよ!!』
警察車両上部にあるスピーカーから女性の声が聞こえてくる。
「(なんとか、なるか?こんな注意で)」
そう不安がっていたが、
『そこのへばりついてる君もです!明らかに病院着で、何をしているんですか!?』
「………俺もかよ!!??」
自分も男と同じ仲間扱いを受けている。悲しい。
なんとか誤解を解いて協力を仰がなければ、そう思った瞬間のことだった。
炎が道路を走り、後ろを走っていた警察車両が燃え上がり、転がっていく。
『キャァァアア!?』
「婦警さん!?」
車両のほうから悲鳴が聞こえて場違いながら心配の声をかけてしまう。
だが、悲劇はそれだけで終わってはくれなかった。
転がり、漏れ出たガソリンが道路を走る炎と接触し、爆発する。
「!?」
条馬は思わず驚きの声を上げる。現実で起こったことなのに、理解が追い付かなかった。
『フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!あ―――、たっのしいいいいいいいいなぁああ!!』
呆然としている条馬の耳に車内からあの男の笑い声が聞こえてきた。
まるで、いや明らかに今の状況を笑って楽しんでいる。
それに条馬は憤りしか感じなかった。
「クソッ、たれがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッ!!!!!!」
これまでの人生の中でもトップクラスの叫びが、絶叫が、町を突き刺していく。