Chapter 1-6 『一人歩く夜道は危ない』
もう日は完全に落ちていた。
辺りには一面の闇。
街灯が差す一筋の弱弱しい光のみが世界の中で存在することを許されたかのようなそんな不思議な感覚にさせられる。
元々、夜は好きだ。
この全てが眠りについたような静けさが特に。
しかし実際にはまだ7時頃なので完璧には静かではないが。
さらに冬の夜は良い。
春に目覚めた動物たちが眠りにつき、そうでないものも寒さに体を震わせ、住処へと還る。
静けさに拍車がかかる。
そもそも条馬は騒がしいよりかは静かな方が好きなのだ。
条馬の性格上、それも無理な話なのだが。
まぁ、そこそこの静かさはたまになら訪れる。今日この時のように。
そんなささやかな幸せの為に生きる、それも人間らしさなのでは、と条馬は思ったりもする。
カツカツと靴が道を叩く音が何度も何度も条馬の頭の中に響く。
小気味いい音が、脳内を侵食し反芻する。
そうしてダラダラと駅に向かって歩いていると。
突如。
闇が深くなる。
「!?」
何が。
起きた!?
何が起きたのかが全く分からなかった。
いつ。どこで。
したはずの変化の境目が、判別できなかった。
実際、目に見えるほど簡単な変化はなかった。
ただ感じる空気、というか闇というか。
そこへの干渉だった。
説明はしにくいがあえて言うならば、
―――『気配』が増えた。
常人なら分からない、些細な変化。
だけど、クォーターヴァンパイアなら、条馬なら、分かる。
なのに分からなかった。
変わる、直前まで。
―――だが、
変わったなら、その原因がこの近くにあるはずだ。
探せ、探せ、探せ―――――!
周りを素早く見回す。
原因は。
闇が深くなったのは、何故だ―――
そして、
「!」
見つけた。
そこは道沿いに設置されていた小さな児童公園だった。
本来ならば、天学園の初等部の子供達が学校帰りに利用している場所だった。
しかし6時門限の寮に住んでいる子供達を筆頭に7時過ぎのしかも冬である今はあまり人の寄り付かず、昼と夜の人口移動の激しい場所でもある。
その、ブランコや滑り台などの遊具の隙間に隠れるように二つの影が。
一つは条馬のクラスメイト、本城篠誣。
そしてもう一つは、肩まで伸ばした赤髪を風にたなびかせ、濃い赤のTシャツに古びたジャケットを羽織ってなんだかホームレスのような印象を見た人々に与える青年だった。
その男は篠誣の腕を掴んでいる。
まるで―――――――
そう。
まるで嫌がる篠誣を無理矢理連れ去ろうとしているかのような――――――
「お、前っ!」
冷静に分析していた条馬はその男の姿を見た瞬間、児童公園の方へと駆けていた。
考えなんて無かった。
「やめてください!」
篠誣の嫌がる声。
「へっ、逃がさねぇぞ、『巫女』さんよぉ!!」
そして笑い、篠誣を掴んでいる力を強める。
「うっ」と、顔をしかめる篠誣。
まるで腕をもろともへし折らんとする男のその姿。
これでもう条馬の勘違いという線は消えた。
男は笑って嫌がる篠誣の腕を通常とは逆の方向へとへし折―――――
「テメェ何やってんだァァ!!」
男の注目を集めるように叫び、跳ぶ。
そして右の拳を握りそれを男の顔面その真ん中へ。
肉が潰れる音と共に男が後方へと勢いよく吹っ飛ぶ。
条馬は右拳を握ったり開いたりして調子を確かめる。
傍らにいる篠誣が突然のことに呆気にとられていた。
「(これで、終わったか…?)」
一瞬。
ほんの一瞬、条馬は油断をしてしまった。
「……ってぇなぁ」
そんな声を聞いた。
直後のことだった。
ボンッッッ!!と、条馬の右肩が、爆発した。
***
「…………………………………あ?」
―――熱い。
―――マジでヤバい。
―――血が。止まらなッ、い?
上限を突破した痛みが熱になって条馬に襲い掛かる。
痛みの原因がよく分からなかった。
何かが起きた時には既に熱が爆発していた。
先の『闇』と同じような感覚だった。
条馬であっても感知できないモノ。
ぼとり、と条馬の意識の間をすり抜けるように足元に何かが落ちた。
それは―――――条馬の右腕だった。
「!!!!!!」
脳が停止する。
思考が終わる。
意味の分からない出来事の連続。
考える、という行動すら存在しなかった。
まるで。
わざと常識の範囲の外で事を起こすことで相手に行動の正体を探られないようにしているかのようなそんな予感すらした。
しかし、もたもた止まっていることもできない。
男は立ち上がり一気にこちらへと押し寄せる。
条馬は落ちている腕を拾って、後ろへ下がる。
だが、傷口をさらに抉るように見えない何かが大量に条馬の右肩に突き刺さる。
「ッッッ!!ぐ、ァァァァあああああああああああッッ!!!!」
ついに痛みが叫びとなって世界に発信される。
そのまま足が持ち上がり、地面へ落ちようとした。
直前に足が固まり、足が持ち上がらないまま頭から地面に落ちる。
鈍い音が頭の中に響く。
痛みもそれに伴って波のように広がる。
なんとか頭を振って痛みを忘れようとする。
男が跳ねるようにこちらへと進んでくる。
そして、その跳躍に合わせるように閃光が動けない条馬の肌を焼きながら集まってくる。
元々莫大な質量と威力を持っていた閃光が条馬の頭上で重なるようにぶつかり合えばどうなるのか。
―――簡単なことだ。
一瞬後、爆発。
倒れている条馬への下方向の衝撃が次第に行き場を失い上方向へと変換される。
足を覆っていた拘束ごと吹っ飛ぶ。
さらに天空では、人は身動きが取れない格好の獲物でしかない。
先程傷口に刺さり今もなお痛みを作り出している、見えない何かが全方向から射出、着弾する。
「ッッぐ、あぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!?」
「さっきから叫んでばっかりだな。今は夜なんだぞ。もう少し静かにできないのか?」
男が無理難題を突き付けてくる。
それに反応することすら難しい条馬はなんとか軋む体を動かし、男を睨みつける。
…と同時に条馬の体に上から急激な圧がかかる。
それは土塊。
さっき、条馬の足枷となっていたものの正体―――土が今までの比ではないぐらい肥大化して体全体を押しつぶす塊となって降ってくる。
重力も手伝って勢いを止めることができない。
そして下には待ち受けるように立っている男。
完全なる、積み。
だが。
「(くっ、そが。このまま、死んでたまるかよ……ッ!)」
まだ、条馬は諦めてなどいなかった。
まず、土塊にまだ腕のある左腕を打ち込む。
ひびが入り、粉々に砕け散る。
実際のところ、土塊は見掛け倒しのようだった。
あまりに耐久力のない、でくの坊のような存在。
「こんなんでっ、恐怖を与えられるかぁ!」
叫び、真下の男を見据える。
そして次に足に力を入れ、外側へそれを解き放つ。
まるでガラス細工のように、綺麗に粉々となる足枷。
自由となった足を地へ向け、男目掛けて打ち下ろす。さながらドロップキックのように。
男が防御態勢をとる。
しかしそれを逆手に取る。
重力の重みを感じつつ、足を男の手に重ねる。
本来ならそんなことをやったところでたかだか衝撃で腕を折るだけだ。
―――けれど条馬はクォーターヴァンパイアという力を持っている。
そのまま。
男を。
踏みつぶす!
ぐっ、と足に力を入れる。
人間でもやれる簡単な動作。
だが、起こったことは別次元だった。
まるで男の腕を消し飛ばすかのように骨が砕け散る音と共に条馬が勢いよく『着地』した。