遠い昔の秘密の恋
(あ、ね……?)
レティーツィアは、届けられた言葉を胸の内で確認した。異母姉と、ディートハルトは言った気がするが、聞き間違いだろうか。側妃も持たず、王妃であったアルベルティーナだけを妻とした先代王アウグストの子は、ディートハルト一人だと聞いていた。
『お……姉さま、ですか?』
『異母姉だ。血を分けた、本当の』
だが、それはレティーツィアの聞き間違いではなかったらしい。ディートハルトは彼女の迷いを見透かしたように繰り返すと、アリーセの出自を隠した事情を話し始めた。
『父上は薔薇の宮を作る際、こっそりと俺を呼んでアリーセのことを告げられた。アリーセは、父上が母上を娶られる前に知り合った女性との子。事の初めは、三十年前。アンスランとの戦争が始まる前のことだ──』
ディートハルトが語ったのは、失われた遠い恋の話だった。
三十年前の夏。当時のアウデンリート国王であった先代王アウグストは、クラハト侯爵領にあるベーレンスという避暑地を訪れ、そこでエレンという少女と出会ったのだという。
縁談の山から逃れた先で得た秘密の恋。身分を明かせなかった王は、アーデルベルトと名乗った。それでも貴族だということは身なりや言動から隠しきれるものではなかったのだが、エレンはアウグストを受け入れた。彼女もまた恋心を抑えきれなかったのだと、のちに娘であるアリーセが語っていた。
そうしてアウグストとエレンは、人目を避け逢瀬を続けたのだが、多忙である王はいつまでも避暑地にはいられない。次の休みにまた来ると固く約束し、二人は一旦別れたのだが──悲しいかな、それは永遠の別れとなってしまった。
『城に戻った王を待っていたのは、避けようもなくなった自身の縁談だった。元々縁談の相手は、アンスランの姫君かエッフェンベルク公爵令嬢かの二択にまで絞られていたのだが、王の不在の間にエッフェンベルク公爵令嬢が選ばれていたのだ。姫君を入り口に、アンスランが政治介入してこようとしていたのは見え見えだったからな。だが……』
『アンスランとの、戦争が……あったのですね』
『そうだ。政略結婚でアウデンリートに口出ししようと考えていたアンスラン国王は、断られて激昂した。公にされてはいないが、三十年前にあったアンスランとの戦争のきっかけは、父上の縁談なのだ。もちろん、アンスランの姫君を正妃として迎えていても、アウデンリートを狙う限り、かの国との戦争は避けられなかっただろうが、このタイミングで仕掛けられたのは、縁談を断られたという口実を与えたせいだ』
自身の結婚。そして戦争。恋人たちの再会の約束は、時勢に呑まれ、果たされぬまま終わった。
『けれども、父上はエレン嬢を諦めてはいなかった。母上やエッフェンベルク公爵に気付かれぬよう、ひそかにその行方を探ったが、子を身ごもっていたらしいこと、戦火を避けてどこかへ疎開したらしいことしかわからなかったそうだ』
レティーツィアは、産まれる前にあったその戦争の話は詳しくは知らない。いや、嫁ぐことが決まった際に勉強はしたのだが、それはあくまでも本で読んだり教師に聞いたりした知識であって、“誰かの人生を狂わせた戦”ではなく、“エネストローサやアウデンリートの歴史の中の一つ”でしかなかったのだ。
だから、レティーツィアは想像するしかない。アウデンリートとアンスランの戦争が終わるには、三年の月日を要した。愛する人の子を守るためには約束の地から逃げるしかなかったエレン。恋人の行方をたどりたくともできなかったアウグスト。戦争が終わっても再会できなかったのは、なにがあったのか。もしかして、エレンは──
『戦争が終わっても、エレン嬢はベーレンスに戻られなかったのですか?』
『戻りたくても、戻れなかったそうだ』
ディートハルトの返答に、レティーツィアは顔を曇らせた。
『疎開先で大怪我を負ったエレン嬢は、歩くことができなくなっていた。しかも、幼子を連れての旅は難しい。ベーレンスの知り合いに手紙を託したそうなのだが、その手紙は父上に渡ることはなかったようだ』
『そう……なのですか』
『エレン嬢とその子どもの行方は、表立って探すことはできなかった。それが災いしたんだ。数年後にエレン嬢の行方をつかんだとき、すでにエレン嬢は死去していた。そしてアリーセという名の娘がいたとの情報は得られたものの、当の本人は人買いに攫われた後だったんだ』
母親亡き後、攫われたアリーセは遠い街の娼館に売られた。そこで幼いながらも整った顔立ちを買われて、高級娼婦とするために様々な教育を施されたという。
だが、それをアウグストが知ったのは随分後になってからのことだった。娼館での教育中、アリーセの消息は完全に表には出ず、その生死すら不明になってしまったのだ。彼女の消息がわかったのは、それから十年後。アリーセの名が、社交界で知られるようになってからのことである。




