表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/23

無明を断つ1

※「柳生無明剣」の後、1640年頃の話です。

 ーーああ恐ろしの般若面よ



 江戸の夜だ。

 とある商家に強盗が入った。

 彼らは浪人であった。三代将軍の治世では全国の大名が次々と改易され、浪人があふれた。

 その数は全国で十六万人という。

 江戸にも数万人の浪人が集まり、治安は非常に悪かった。

 浪人たちは商家の者を一人残らず縛り上げ、猿轡も噛ませて声を立てられぬようにした。

 そうしておいてから、浪人数名で千両箱を担いで外に出た。夜空には満月が輝いていた。

 浪人たちが気を緩めた時だ、彼らに声がかかったのは。

「ーーそこまでだ有象無象」

 月下に照らされた人影を浪人たちは見た。

 黒装束に身を包んだ男だ。その顔には、黒塗りの般若の面があった。

 それを見た時、浪人たちの脳裏に閃く噂があった。

 江戸の夜にのみ現れる般若面。

 般若の面をつけた彼の者は、江戸の凶賊を相手に生死を懸けた闘争に臨み、刀槍を手にした者たちと戦いながら未だ敗北せず。

 荒ぶる悪鬼も怖じ気づく、修羅を喰らう羅刹のごとく、と。

「喝!」

 般若面の威嚇の一声に浪人らは硬直した。事が上手く運んだと油断もしていた。

 その隙に般若面は浪人たちに向かっていった。

 般若面は右手に木の棒を握っていた。

 長さは一尺五寸あまり、一方の端には握りがついている。

 この時代では琉球に伝わる武具であった。

「んが!」

「ぐえ!」

 浪人の悲鳴が夜空に響いた。般若面は手にした棒で、浪人の肩を打ち据えたのだ。

 小太刀術のような洗練された滑らかな動きであった。

「おお」

 もう一人の浪人は気合いと共に抜刀し、般若面に斬りつけてきた。

 闇を裂く白刃の閃きを般若面は避けて、右肩から浪人の胸元へぶち当たった。

「ぐぶ」

 みぞおちに衝撃を受け、浪人はうめく。

 その間に般若面は浪人の右袖を左手でつかむと、体を回して投げた。

 浪人は背中から大地に落ちた。後世の柔道の技に近い。

 投げられた衝撃に、浪人はうめいて気絶した。

「天命、未だ我にあり」

 般若面はつぶやき、夜の闇に走り去った。

 後には武装した同心らが提灯を持って商家へ駆けつけた……



 翌日、七郎は江戸城の中にいた。

「般若面なる者を知っておるか」

 父は七郎を見た。政治家にして兵法指南役の七郎の父だ、その眼力は他者を怯ませるものがあった。

「さて、とんと存じませぬ」

 七郎は平然と言った。隻眼の彼は前年に弟を失ってから、少々おかしくなったと人は言う。

「そうか」

 父は言った後、七郎に背を見せ硯に向かった。

「江戸には凶賊、更には魔性が夜な夜な出没するそうな…… 魔性を斬れ、七郎。世を乱すものなり」

「承りました」

 七郎、うなずいて父の前を辞した。

 魔性とは人の心から、悪意から生まれるものの総称であるか。

「俺の死に花を見るがいい」

 七郎は青空を見上げてつぶやいた。彼は心中に昨年他界した弟を思い描いていた。

 昨夜、浪人たちを成敗した般若面の正体は七郎であった。

 彼は死に場所を求めていた。同時に目指すべき境地がある。

 それは武の深奥だ。

 彼の祖父や父、伯父らが目指した武の深奥を七郎は目指したい。

 そのための戦いであった。彼は命がけで狂気じみた修行に励んでいるのだ。

 凶賊退治は七郎の修行なのだ。

「いい空だ」

 七郎は微笑し、人混みの中を歩きだした。

 新たな敵を予感していた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ