活人剣
ある日、十兵衛は父宗矩に問うた。
活人剣とは何か、と。
「己を活かし、他者を守る剣なり」
宗矩は静かに答えた。
「かつて、わしは……」
宗矩は大阪の役の際、本陣まで攻めこんできた鎧武者数名を斬り捨てたという。
「わしは、その時の事をよく覚えておらぬ。ただ上様達を守ろうと必死であった…… 他者を守ろうとする心に、天が力を貸してくれたのであろう」
宗矩はしみじみと言った。
仁は人の心、義は人の道。
孟子の教えには、そのようにある。
「夫が妻子を守り、母が子を守ろうとする。命を懸けてなそうとするならば、天は必ず助力する」
宗矩の説く活人剣の理、その時の十兵衛にはわからなかった。
わかるようになったのは、自身が幕府隠密として命を懸けるようになってからだ。
***
江戸を発った十兵衛は、京都粟田口に盗賊が出ると聞き、これを退治する事に決めた。
正義感でなければ、気まぐれでもない。
ただ、孫の仇を討ってほしいと老婆に涙ながらに頼まれたからであった。
十兵衛は盗賊が出没するという辺りをうろつき、そして遭遇した。
「命惜しくば、身ぐるみ脱いで置いてゆけ」
盗賊の数は十数名か。手に手に得物を提げている。
(やるしかあるまい)
十兵衛は決意した。内心の緊張を隠し、彼は腰の愛刀三池典太を鞘ごと抜いて、先頭の盗賊に突き出した。
「ほうほう」
盗賊が十兵衛から三池典太を受け取ろうとした時だ。
十兵衛は左手で三池典太を抜いていた。
「な」
先頭の盗賊に十兵衛は片手で斬りつけた。浴びせた一閃は盗賊の顔を縦一直線に切り裂いていた。
他の盗賊の動揺―― それがおさまらぬ内に、十兵衛は夢中で斬りつけた。
愛刀三池典太の刃が盗賊を斬り捨てていく。
一人、二人。
三人、四人……
斬られた盗賊の骸が地に転がる。ほぼ一刀で絶命していた。虚を衝かれた者は、驚くほど呆気なく倒されるものだ。
「お、おのうれえ!」
動揺から立ち直った盗賊が刀を打ちこんできた。
十兵衛の左手が無心に動き、脇差しを抜いた。
その脇差しの一閃が、横薙ぎに盗賊の刀を打ち払った。
十兵衛の右手は三池典太を逆袈裟に斬りあげている。
刃が肉を裂き、悲鳴と共に鮮血が舞い上がった。
「う、うわああ!」
他の盗賊達が逃げ出した。それで十兵衛の意識は白紙から回復した。気がつけば、十人前後の盗賊の骸が地に転がっていた。
十兵衛は鷹が羽を広げたような姿勢で盗賊達が逃げ出すのを見送った。
大きく息を吐き構えを解くと、凄まじい疲労が襲いかかってきた。
命懸けの戦いは、心身の気力体力を激しく消耗させていた。
十数人に囲まれて命あったなど、いかなる僥倖か。十兵衛は生きた心地もしなかった。
しかし、十兵衛には得たものがある。
かつては祖父石舟斎が所領を取り戻すために命を懸け、父宗矩もまた主を守るために命を懸けた。
二人と魂が重なったような、形容の難しい充実があった。
「まだまだだな……」
額の汗を拭いながら、十兵衛はつぶやく。
活人剣が身を以て理解できたような気はする。
だが兵法の道の長きに、彼は改めて気づかされたのだった。




