表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/23

夢幻(ゆめまぼろし)のごとく

 慶安三年(一六五〇)、柳生三厳は死んだ。将軍家剣術指南役の彼の葬儀は盛大に行われた。


「これで我らを阻む最大の壁はなくなった」


 由井正雪は彼の死を悼みながらも、喜ばずにはいられなかった。


 生涯最大の好敵手と認識していたが、決して嫌いではなかった。


 ただ目指す道が違っていた。


「この世に法と秩序をもたらすために!」


 正雪の胸には、幕府を打倒し法と秩序の新世界を造り出すという、青雲の志が燃え盛っていた。


 彼につき従う張孔堂門下五千人、阻止する者がいようとは思われなかった。



   ***



 ――火事だ!


 丸橋忠也は眠りから覚めた。火事と聞いては一大事、彼は寝間着のまま家の外に飛び出した。大なり小なり、自分にできる事があればやろうと思ったのだが、


「む?」


 丸橋は目をしばたいた。夜は静かであった。満月に照らされた夜の江戸は、厳かな静寂に包まれていた。


「久しいな丸橋」


 夜の闇に響く男の声。それを聞いて丸橋は絶叫した。


「や、柳生三厳!」


 丸橋は月光に照らされた黒装束の男を見た。誰が忘れよう、憎き仇敵の顔を。右目の潰れた隻眼の異相を。


 しかし彼は死んだはずだ。鷹狩りに出た三厳―― 通称十兵衛は、正雪の放った刺客団に襲われ、全身十数ヵ所を斬られたのだ。


 それがために、先日死んだのではなかったか。


「とどめを刺さなかったのが運の尽きだな」


 十兵衛は月下に不敵な笑みを見せた。


「兵は詭道なり―― 油断したな、お主たち。今頃は裏柳生の者が正雪を捕らえているかもしれぬな」


「な、何故だ…… 何故、貴様は死なぬのだ?」


 丸橋はうめく。彼から見た十兵衛とは、幾多の死線を乗り越えて尚生き延びる、あり得ない存在であった。


「確かに俺は死地に落ちた…… だが、武徳の祖神は俺に死ぬ事は許さぬとよ。倒すべき敵を倒すまではな」



  ***



 しばしの後――


  十兵衛と丸橋は死合いの場所を河原に求めた。


 十兵衛は変わらず黒装束、丸橋は稽古着に着替え、得意の十字槍を手にしていた。 


「おあっー!」


 穂先を十兵衛に突きつけ、丸橋は槍を構えた。対する十兵衛は両手に二刀を提げ、静かにたたずんでいる。


「おおおおお……!」


 丸橋の気合いが河原に響く。音に聞こえた槍の使い手、丸橋。その気迫は武装した兵すら怯ませそうだ。


 だが対峙する十兵衛に動じた様子はない。彼の心は恐怖を遠く離れている。


 姿は即ちこれ、空なり。


 死を覚悟した十兵衛の心は無の境地に入り、天地宇宙の気と調和していたのだ。


「はあっ!」


 丸橋が槍を繰り出した。


 十兵衛の左手が動いた。握った小太刀の刃が、槍の穂先を切断していた。


「おお!」


 丸橋は宙に舞い上がった自身の槍の穂先を見た。そして襲いかかる十兵衛をも――


「御免!」


 十兵衛は右手の刀で丸橋の左肩を打った。峰は返していた。打たれた衝撃に丸橋は気絶し河原の上に倒れた。



   ***



「……真打ち登場か」


 気絶した丸橋を縄で縛り上げていた十兵衛は、河原に姿を現した凛々しい若者を見た。


 金井半兵衛だ。正雪の側近にして懐刀、その正体は男装した少女……


「あなたを斬る」


 半兵衛は静かに言った。


「正雪のためか」


 十兵衛は半兵衛の秘めた思いを知っている。


「女は時に男よりも勇ましい……」


 半兵衛の気迫に感服した十兵衛は再び刀を抜いた。次いで左手で小太刀をも抜く。


 二刀を提げて半兵衛に歩み寄る十兵衛。その様は鬼神のごとき迫力だ。


 だが半兵衛は恐れる事なく短刀を抜き、逆手に構えた。十兵衛を討つという決意は鈍らぬようだ。


(この一瞬が俺の全てだな)


 十兵衛は半生を振り返った。激しい闘争の中に身を置いた人生だったが、悪くはなかった。


(戦いで果てるなら本望……)


 十兵衛と半兵衛の間合いが迫った。


「覚悟!」


 半兵衛は十兵衛に斬りかかった。


 十兵衛の二刀が閃いた。


 満月だけが二人の戦いを見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ