無明を断つ4
夢か現かわからぬ、ほろ酔いにも似たおぼろげな意識の中で、たおやかな女の姿を見るとはーー
七郎は苦笑した。食欲、睡眠欲は抑制できても、女色は絶てぬのかと。
仏陀もまた女色には悩まされたという。男が女を求めるのは子孫を残すため、本能のゆえである。
その本能的な部分を否定した時、後には何も残らない。人間は滅亡するだけだ。
(なんと美しい)
七郎の隻眼は、暗い本堂の中に浮かび上がる女の白い肌に目を奪われた。
(そういえばしばらく女色から遠ざかっていたな)
意識の片隅で七郎はそんな事を思った。ここ数年は島原の乱で日本中が騒然としていた。
七郎は島原には赴かず、父から密命を帯びて京の大内裏にいた。
京にいた時期、彼は心労で倒れそうになりながらも、なんとか使命を全うしたのだ。
命がけの日々の中で、七郎は女を遠ざけていた。死の覚悟が鈍りそうだからだ。
それゆえに、この幻覚を見ているのではないかと七郎は思った。
が、女は幻ではなかった。白い裸身が七郎に歩み寄り、身を屈めて彼の頬に手を差しのべた。
ひやりとする冷たさがあったが、それは肉を持つ女の手に違いなかった。
(人ならざる魔性……!)
次の瞬間、七郎は座禅の姿勢から立ち上がり女に組みついた。
冷たい肌に僅かながら怖れつつ、七郎は一瞬で技をしかけた。
女の細い右手首を左手でつかむや否や、体を回して投げている。
後世の柔道における体落の型に近い。
しかし本堂の床に叩きつけられたのは、七郎のみであった。
「な、なんだと……」
七郎はうめいた。彼は胸から本堂の床に落ち、衝撃に息が詰まった。女のたおやかな姿はどこにもない。
(あれは…… 俺が産み出した幻か、それとも我が心中の悪が具現化した人ならざる者か……)
七郎にはわからぬ。彼は自らの技の衝撃に、気を失った。
しかし、父の言葉は真実であった。江戸には魔性が現れるのだ。
人を人ならざる存在へ変えてしまう魔性がーー




