無明を断つ2 ~隅落~
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ある日の夜であった。
七郎は仲間と共に、江戸市中を見回りしていた。
彼の仲間である江戸城御庭番の者によれば、最近この地域に浪人が集まってきているという事だった。
それを警戒して七郎は仲間を引き連れ、提灯を片手に見回りをしていたがーー
「ーーむ、待て!」
七郎は叫んだ。彼の視線の先では、数名の浪人が商家の高い塀を乗り越えようとしていた。
浪人らは慌てて逃げ出した。七郎はそれを追う。
「待てい!」
七郎は声を荒くして駆けた。江戸では強盗殺人も珍しくなかった。
とある商家では主とその家族、使用人に到るまで皆殺しにされてしまっていた。
まだ幼い子までいたのだ。彼らの亡骸を目の当たりにした時、七郎には強い感情が芽生えていた。
「ちい!」
浪人らが振り返り、抜刀して七郎らに立ちふさがった。
七郎は提灯を手放し、先頭の浪人の懐へ素早く踏みこんだ。
右手で浪人の襟元を、左手は浪人の右袖をつかんでいる。
組みついた型は、後世の柔道に似ている。柔道というのは戦国伝来の柔術ーー
いわゆる組討術から生まれたものだから、似ているのは当たり前だった。
そして組むことによって、敵の攻撃を封じるのである。
今も七郎が組みついた浪人は、刀を握った右手をつかまれ、刃を振るうこともできぬ。
そして七郎の学んだ組討術たる無刀取りは、身を擦り合わすほどの接近戦の中に真髄があるのだ。
七郎は組んだまま、浪人の鼻先へ頭突きを叩きこんだ。さほど重くはなかったが、その一撃で浪人は右手の刀を取り落とした。
更に七郎は浪人の足元を、右足で左右に払った。体勢を崩した浪人が、後方へ二歩、三歩と後退した。
「この」
浪人がこらえて前へ踏みこんだ時だ、七郎が必殺の機をとらえたのは。
七郎は浪人より僅かに早く動き、踏みこんでいた。
七郎の体が沈む。片膝ついた七郎の左手と左足は後方へ半円を描いた。
浪人は勢いを保ったまま宙を舞ったかと思うと、大地に背中から落ちた。そして一声うめくと失神した。
端から見れば、七郎は手先だけで浪人を投げ飛ばしたように見えた。
しかし、しかけた七郎が呆然と己が両手を見つめていた。
七郎がしかけたのは、後世の柔道における隅落である。
三船十段の考案したその技は、手先だけで相手を宙に舞わせる事から空気投げとも称される。
二十一世紀においては、使い手のいない幻の秘技とされていた。
七郎が浪人に放ったのは、偶然とはいえ隅落に酷似していた。
「うむう……」
しばし七郎は月下に呆然とした。武徳の祖神は、彼に新たな難題を与えて武の深奥へ導いたのかもしれない。
浪人らは七郎の仲間によって取り押さえられていた。
今夜は守ることができた。
しかし明日はわからない。
七郎の命運もまた、いつ尽きるかはわからないのだ。




