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「隠ぺいか。杉下右京が黙ってないぞ」


佐伯みのりはTVに向かって独りごち、こたつの上の煎餅に手を伸ばした。



入学から半年も経たぬ内に大学を辞めた。

引きこもりがちのまま夏が終わり秋も過ぎ、19歳の誕生日は気付かぬうちに通り越して冬を迎えていた。



一歩も外へ出ないどころか、家族とすら口を聞かない日も少なくない。


特に何をするでもなくこたつに潜ってぼんやりとTVを眺めるばかりの生活に、両親は諦めたのか見放したのか、もう何も言わなくなっていた。



やけに特番が多いと思っていたが、クリスマスイブなのだとは先ほど気付いたばかりだ。


カレンダーからも時計からも、社会からも切り離された生活を送るみのりには関係のないことだ。



ドラマ相棒、2時間スペシャルの再放送を見ている時に、その速報テロップは流れた。


だからドラマになぞらえた独り言が漏れたが、みのりにとってはそのニュースも、どうでも良い他人事にすぎなかった。



どこぞの誰かが死んだらしい。

みのりの脳はそれだけを認識した。


ちらりと流れた地名は近所だったが、故人は名も知らぬ赤の他人だ。


むしろ死亡を伝えるテロップの後に流れた文字の方が、僅かながら彼女の興味を引いた。



『遺族の強い希望により死因は公表されておりません』



赤の他人の死因になど、一体誰が興味を持つのだろう。


万人が死亡の際に死因を公表されるか、答えは当然否。


誰にも知られずにひっそりと死んでいく者すらいるのに、世の中には死因を公表されるべき人種というのが存在するらしい。



おかしな仕組みがあるものだ、と疑問が浮かぶ一方で、公表されなかったという事実だけが独り歩きするテロップは、もしも相棒を見ている最中でなかったとしても、【隠ぺい】というワードを容易に想起させる。


隠さなくてはいけない、何か後ろ暗いことがあるに違いない。



『真実を知りたいとは思いませんか?』


画面の中では杉下右京がそんなことを言っていた。

確かに、隠されれば知りたくなる。



が、隠ぺいを思わせるテロップも杉下右京のセリフも、引きこもっている内に半ば廃人と化しているみのりを突き動かすほどの刺激にはならない。


みのりにとっては所詮、赤の他人に起きた出来事だった。


2時間のドラマが終わる頃には、彼女はその速報のことを忘れ去っていた。


番組はそのまま夕方のニュースに切り替わるが、TVに興味を失ったみのりは部屋に閉じこもり、今度は惰眠を貪る。



携帯が数ヶ月ぶりのメール着信を知らせる、その瞬間まで。



title:【訃報】

from:廣岡亮



みのりを動揺させたのは、件名よりも差出人の方だった。



廣岡亮は高校3年の時のクラスメイトである。


1年前は当然のように毎日顔を合わせていた。

教室でだけでなく。



最後のやり取りを思い出すと、半分死んだようだった彼女の心が久しぶりに動いた。

軋んだ。


まさか再び亮から、連絡が来ることがあろうとは思ってもいなかった。


二度と関わることもなく、その内にやがて、2人の人生が交わったほんの短い時などなかったことになるのだとそう思っていた。



――落ち着け。

言い聞かせる。



表題には訃報とある。

冷静になればそれはみのり個人に宛てた報せではなく、大勢の元クラスメイトに送られた一斉送信メールだった。



2人が所属した3年8組にはラインのグループがあったが、卒業後1人抜け2人抜け、今ではほとんど機能していない。


恐らくはラインで連絡のつかなかった者をピックして、まとめてメールを送って寄越したのだろうことは容易に想像できた。



本文:


ご無沙汰してます。

久しぶりなのに良い報せでなくて申し訳ない。


ニュース等で既にご存知の方もいると思いますが、亡くなった県立H高校学校長は高嶋の御尊父です。


通夜、告別式等について

自分は日程が許せば参列するつもりです。

会場等情報分かり次第知らせるので、必要な人は自分に連絡ください。



「玲奈の」



メール本文を三度読み返した。

それから頭の片隅に思い出されたのは、先ほど見たニュース速報のテロップだ。


H高校の校長。

高嶋という名前を、確かに見た気がする。


それがどうやら、同級だった高嶋玲奈の父親のことらしい。



心が悲鳴をあげた。

見なければ良かったと、震える指で携帯の電源を落としたが後の祭りだった。



知りたくなかったのは、他人事と思っていた死が自分を取り巻く人間の関係者だったことではない。

玲奈の父親は玲奈の父親にすぎず、みのりにとってはやはりそれは赤の他人だ。



見たくなかったのは高嶋玲奈の名前。

知りたくなかったのは、まるで彼女のマネージャーよろしく連絡係を務めている亮の現状である。



亮に1年半片想いした。

高校1年の途中から1年半、ずっと見ていたからみのりは知っていた。


亮がその間、誰を見ていたか。

志望校に、彼の学力をはるかに上回る県外の大学を選んだ理由さえ。



決してみのりが亮を玲奈から奪ったわけではない。


亮のその秘めた恋は実らず――正確に言えば亮は思いを告げることもせずに諦めた――、代わりに彼は、3年になってから勇気を出して告白したみのりと付き合い始めたのだ。



1年付き合って、しかし、みのりの不安が消えることはなかった。

亮はまだ、玲奈のことが好きなんじゃないかと。



春、亮と玲奈は県外の大学に揃って合格し、地元を出て行った。

みのりの進学先は実家から通える県内だった。


遠距離になることで、もしかしたら駄目になるかもしれないと覚悟はしていた。

亮と同じ大学に玲奈がいることも、みのりの気がかりではあった。



だがさすがに予想もしていなかった。

亮を見送りに行ったその日、駅のホームで。

遠距離の難しさを経験するまでもなく、あっけなく終わりを告げられようとは。



『今日でもう終わりにしよう。みのりはみのりで、大学生活楽しめよ』



玲奈の存在が脳裏をちらつきさえしなければ、何故と問えたかもしれない。

責めることも縋ることも出来ないまま、新幹線のドアは無情に2人を遮断した。



3年8組から、玲奈と同じ大学に進んだのは亮1人だ。


渦中にいる玲奈に変わって元クラスメイトへの連絡係を務めているだけ――そう考えて納得しようとした。


けれど、ざわつく心中はなかなか治まらなかった。



ベッドの上で何度も寝返りを繰り返し、母が夕食の呼びかけに来ても寝ている振りをしてやり過ごした。


ようやくみのりが起き上がり行動を開始したのは、メール着信からゆうに3時間は過ぎた後である。



長い事眠っていたパソコンの電源を入れ、H高校校長死亡のニュースを検索した。


それが今すべきことなのか、したところでこの心の粟立ちが消えるのかなど分かり様もない。


ただ彼女はそれ以外に、気を紛らわせる術が思い付かなかった。



検索結果は違う意味で彼女を凍り付かせた。



ニュースの概要はこうだ。


故人は公務でオーストラリアの姉妹校を訪れていた。

海岸から緊急搬送、搬送先の病院で死亡。

その時既に、予定されていた公務は終えていた。

遺族の希望により死因は公表されず。



オーストラリア、公務、海岸。

それ以外の詳細は何も書かれていない。


にも拘らず、そこから掲示板に飛ぶと、第三者の悪意が渦巻いていた。



また隠ぺいですか


公務員だろ情報開示しろ


世間に顔向けできない死に方なんだろ


公務なのに何で海?


波乗りも公務の一環ってことでしょう


この真冬に…って馬鹿オーストラリアは今は夏!


どうせ女だろ


腹上死w


いや海だからさすがにそれはw


隠す遺族も遺族だな


公務出張中なのに公務に支障はなかったって支離滅裂


学校側の責任逃れ?


遺族責めちゃ可哀相でしょう


隠したら同罪


搬送されたの1人じゃなかったらしいですよ。現地友人情報


女だ女確定


っていうかクリスマスイブですよ。家族おいて何やってんだか


遺族可哀相


相手の女も公表すべし


本当に女なんですか?


続報:一緒に搬送されたのは高校生くらいの女の子


世も末だな


高校教師がJKに……公表できねえわそれは。


確かな情報ですか?公表されていない事実ですが


ロリコン死すべし


もう死んでる


確かです。目撃した本人から聞きました



――なんだ、これは。



『隠ぺいか』


確かにそれは、みのり自身も思った。

だがそれだけだ。


所詮赤の他人のことに、そこまでムキになる必要もない。

元より興味もない。



人が死んでいるのだ。

名も知らぬ死者を、こんな風に冒涜できるものだろうか。

否、名も知らぬ相手だからか。



故人とは全くの無関係ではなかった。

直接の関わりはないに違いないが、それでも庇いだてする気が起こったのは、少なからず知っている人間の親だからだろうか。



『遺族も同罪』


喪主は玲奈の母親だろうし、死因を公表しないよう希望したのもそうなのだろうが――遺族というひとくくりの言葉のもと、批難されているのは玲奈でもある。



可哀想、と擁護する者もいた。

不確かな情報を流さないよう苦言を呈する者も。


だがネットの匿名性に乗じて悪意を撒き散らす者たちは、それらの言葉により一層ヒートアップしていくようだった。


冷静な者は途中で姿を消し、残った者たちがひたすらに延々と死者を貶めている。



増え続ける書き込みの中に、玲奈の父親を庇う言葉はひとつもなかった。



そもそも旧友の父親が死んだことを、わざわざ当時の仲間たちに拡散する必要があったのか、という微かな疑問は解消された。


亮が玲奈に肩入れしすぎ――連絡を受けた時には僅かに、だが確かに湧いた、そんな嫉妬じみた感情は霧散していく。



この批判のせいだ。

亮が本当に知らせたかったのは、父を亡くした上にその死に方を批判されている玲奈の現状に違いないと、少なくとも1年彼の隣で過ごしたみのりには理解できた。



死んだことを、死に様を、その裏にまつわる全てを暴かれなければならない人がいる。

一方では――。



命の重さ。

尊厳。


治まっていた震えが、再びみのりを襲ってくる。



深夜だった。

既に日付が変わりクリスマスを迎えていたが、彼女が気にしたのは時間だけだった。

そうやって時計を見ることすら、酷く久しぶりだった。



震える指が、携帯を起動させる。



亮との空白の時間。

閉ざされていた自身の時間。

誰かに連絡するには遅過ぎる、今の時間。


静かな部屋に聞こえるのは、パソコンがあげる微かな唸りと、時を刻む針の音だけだった。



玲奈の父親は、本当にネットで叩かれるような、責められなければならない死に方をしたのだろうか。

それともそう思うのは、友人の父だからか。


まったく交わりのない本当の赤の他人だったら、自分も同じように感じていただろうか。



――『隠ぺいか』



疑いは持った。

詮索する気など起きなくても、確かにみのりはそう思った。


声に出して批判しないだけで、同じだ。

正義面して醜い悪意を撒き散らす掲示板上の住民と、同じだった。



別れを告げられたあの日から途切れていたはずの亮との繋がりが、起動を終え待ち受けを表示する携帯の画面の向こうにある。



今からしようとしていることは、彼に連絡を取ることは、それは本当に玲奈を慮るだけの善意だろうか。


罪悪感だろうか。

打算だろうか。

それとも贖罪、なのだろうか。



指先の震えが止まらない。


夜中の2時だった。

非常識だ、駄目だ明日にしよう、迷っている内に時間だけが過ぎる。


震えが止まらない。

それはつまり、彼女の衝動も、止まらないことを意味していた。



心が泣いている。

随分久しぶりに、感情が激しく波立っていた。



title:Re:【訃報】

to:廣岡亮


本文:


久しぶり。連絡ありがとう。

ニュースと、ネット掲示板の書き込みを見ました。

玲奈は大丈夫かな。

良くない書かれ方をしていたから、心配。



なんとかそこまでを打ち込んで、指が止まった。


通夜や告別式については触れなかった。


そもそも参列すべき間柄なのかが微妙なところである、というのもあったが、それ以上に、『行く』と言ってしまえば必然的に亮と顔を合わせる可能性が出てくる。



会うのは怖かったし、会うために行くと思われるのも嫌だった。


そして、そんなシチュエーションでも会いたいと望んでいる自分の浅ましさに気付くのが、何よりも嫌だった。



『玲奈を支えてあげてね』



最後の一文を、入れては消しを繰り返し、結局その文面は付け足さずに送信を押す。



躊躇えばメールを送らずに終わりそうだった。

だから最後のボタンを押す瞬間だけは、それまでにかかった時間が嘘のような勢いだった。

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