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四月のすき間  作者: くさき いつき
第1章 四月二日の黄昏
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 旅行の話に母さんはもちろん、父さんもあまり良い顔はしなかった。高校生、というのは親の視点からすればまだまだ子供であるらしい。やはり旅行費用のことも重くのしかかる。

 まぁ、当然と言えば当然か。と納得する一方で、もっと融通が利いてもいいのに、と思ってしまう。正直なことを言えば、是が非でも旅行に行きたいわけじゃない。

 だけど、旅行の日取りを聞いた時にピンと来るものがあった。おれが参加することに意義がある、というのは言いすぎにしても、何かしら小ネタが仕込まれていることは予想がつく。そう思えば、俊雄が親戚のつてを借りてまで旅館を手配していたことも、春を強調したことも、なんとなく納得がいった。

 とはいえ溜め息がこぼれる。


「どうしてこの時期に旅行なの?」


 母さんの眉間の皺が濃くなっている。どうして、と言われても。


「もう受験生でしょ? 旅行なんかに行っている場合じゃないでしょう」


「受験が本格的になる前に旅行に行こうってことになったんだよ」


「本格的って、もう3月でしょ?」


 テーブルの上の湯のみに入った番茶が、熱い湯気を立てている。すぐ隣に座っている父さんは、おもむろに胸ポケットから煙草を取り出す。


「ちょっと、お父さん。今、話の途中でしょう」


「ああ、悪い」


 母さんに謝りながらも父さんは煙草に火をつけていた。むわっと目をしばたたかせる煙が立ち込める。1つ、煙を吐き出した父さんの目は鋭かった。


「夏衣、この旅行が終わったら受験に専念できるか?」


「まだ部活もあるから専念っていうのは難しいかもしれないけど」


 つい正直な言葉がこぼれてしまう。


「部活は学校のことだから構わない。ただ自分の将来のことについて考えていけるか、と聞いているんだ」


 将来、という言葉は、今もおぼろげだった。将来の夢なんて何もない。ただ大学に行くのかもしれない、と何となく思っている。その先に綿実の姿はあるのだろうか。

 笑顔。脳裏に一瞬浮かんだ、蜃気楼のように。


「ああ、考えていけるよ」


 思いがけず力強い声が出た。父さんは更にもう1度深く煙草を吸ってから頷いた。


「そうか。分かった」


 母さんの目が神経質な色を帯びる。父さんも気付いて、嘆息をぐっとこらえる表情を作る。少し親近感を覚えた。


「まぁ、いいじゃないか。無理に反対して勉強に集中できなくなっても困るだろ?」


「そうだけど……」


 納得しきるのはなかなか難しい様子だった。それでも、勉強も頑張るからさ、と根気強く言うと渋々頷いてくれた。こんなに説得してまで旅行に行きたいんだろうか、と苦笑してしまう。気付けば番茶はすっかり冷えていた。でも、乾いた喉にはちょうど良かった。


「ところで行き先は決まっているんだろう?」


 父さんが固い雰囲気を和らげるためにか、ことさら明るい口調で言った。おれも合わせてみる。


「ああ、京都だよ」


「京都か。修学旅行みたいだな」


 発想するところは同じらしい。だけど、隣から不穏な空気が流れてきた。母さんの眉が歪む。


「夏衣。旅行の日程は31日から2泊3日だったわよね?」


「ああ、そうだよ」と気圧されながら頷く。


 見る間に鬼のような形相になった。指先が小刻みに震えている。大丈夫? と声をかけようとした時、鋭い声が飛んできた。


「友達と旅行なんて嘘ね! あの女の娘と行くんでしょ!」


 一瞬、言っていることが分からなかった。あの女の娘? 母さんが毛嫌いしている人って……綿実のこと? でも、どうして突然綿実の話になっているのか理解できない。


「何言ってんだよ?」


「嘘ついたって分かるわ。誕生日に京都だなんて!」


 ああ、そっか。京都は綿実の進学先だった。綿実のお父さんがいる所でもある。

 でも、勘繰りすぎだ。そんなことがある訳がない。


「綿実のこと言っているなら、考えすぎだよ」


 一応、反論はしたが投げやりな感じになってしまった。


「白々しいわね。正直に言いなさい」


「正直に言っているよ。母さんが勝手に疑心暗鬼になっているだけだろ」


 じっと睨んでくる。異論を許さない凄みがある。


「なんてことを言うんだろうね。全く、この子は」


 母さんに嫌気が差した。父さんも、母さんが佐野家に関わるとヒステリックになることは、ここ数年で理解しきっていたので、あえて口は挟まない様子だった。

 一方で母さんの口はどんどん滑らかに攻撃的になっていくようだった。今はもう何を言っても無駄なのだろう。

 時計の時を刻む音が、反響する声の向こうで、苛立たしく聞こえる。


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