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四月のすき間  作者: くさき いつき
第3章 四月二日と四月一日の明日
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四月一日の微笑 3

 何もない部屋は広々としている。

 フローリングに大の字になって寝転び、見上げた天井は高い。この真っ新な部屋で新しい生活が始まるのかと思うと、感慨深い気持ちになる。

 一方で、現実もぐっと押し寄せてくる気がした。私もナツも家族の元を離れて暮らすのは、初めてのことだ。つまり、お互い生活に必要な家具を何も持っていない。一緒に暮らすことを決めてからのこの1年、2人でお金は貯めていたけど、瞬く間になくなりそうだ。

 引っ越し祝いと称して私の母が冷蔵庫、ナツの家が洗濯機を贈ってくれると言われた時は、申し訳なくもありがたかった。

 そして、お母さん達はもう大丈夫なのだ、と思えた。

 同棲する報告をする時も、一悶着あるかもしれないと身構えていたけど、蓋を開けてみればあっさりとしたものだった。隣に座っていてもピリピリすることはなかった。


――次は結婚報告かしら? 赤ちゃんかしら?


 なんてお母さんが軽口を叩いた時には、ひやりとした。けれど、おばさんは笑った。


――一緒に報告されるかもしれないわ。


――できちゃった婚なの? 授かり婚なの?


――本人達の前で言いすぎよ!


 ごもっともである。でも、その女友達のノリで話す2人を見ていると、安堵するものがあったのだ。照れ臭いけど。


――ちゃんと気をつけるんだぞ。


 咳払いして一応注意するおじさんが、1番気まずそうだったのが少しおかしかった。

 いつか、本当に家族になる日が待ち遠しくなった。


「綿実、何してんだ?」


 声がした方を見ると、ドアの所にナツが立っていた。


「これからのこととか、ちょっと考えてた」


「寝転びながら?」


「そう。こんなに何もない部屋もなかなかないでしょ?」


「たしかに」


 頷いたナツは、私の隣まで来て同じように寝転がった。息を吸うと、胸が上下するのが分かる。掃除されたばかりの荷物も何もない部屋は、とても静謐で、それでいて窓の外から生活音が流れてくる。幼い子供の声や犬の鳴き声が近いはずなのに、遠かった。

 ただ、握った手のひらからナツの体温を感じた。


 やがて、引っ越し業者のトラックが着いて、慌ただしい時間が始まった。

 空っぽだった部屋は、瞬く間に2人の荷物で埋められていく。1つ、2つと生活の色がついていく。2人の今までが混ざっていた。見たことあるものもあれば、記憶にないものもある。生まれた時からの幼馴染みだけど、案外、知らないことって多いのだと思う。プライベートの壁は存外高かったんだと、今更に知った気分。


「ナツって緑色のものが多いね」


 目覚ましに使っている時計も、整髪料などの小物類が入っているカゴも、何よりカーテンも緑だから印象が強くなっている。普段使っている物や服装は、特に緑色にこだわりはない感じだったから、少し不思議だ。


「あー、大学受験の時にな、疲れ目には緑色がいいって聞いてから、インテリアは何となく緑色の物を選んじゃうんだよな」


「なるほど」


 1番疎遠だった頃の変化だったようだ。そりゃ知らない。おばさんのこともあって、ナツの部屋を訪れることは避けがちになっていたしなぁ。


「受験、がんばったんだね。よしよし」


 少し背伸びしてナツの頭を撫でてみる。少し驚いて照れ臭そうにしながらも、手を払いのけられない。


「子供扱いするなよ」


 唇は尖らせるのに、頬はほんのり赤くなったまま引くことはなくて、なんだか可愛い。ひとしきりナツの柔らかい髪を堪能した。

 荷解きは日が暮れる頃には、一段落した。もちろんまだ開けられていない段ボールはあるけど、一先ず生活できる状態にはなった。

 引っ越し初日ということで、夕飯はそばにした。本来は引っ越し先の隣近所に挨拶の印として配るものだけど、そばはアレルギーのことも気になるし、それ以前に嫌いかもしれないので、避けたんだよね。かと言ってタオルなどの日用品も他人からもらっても使いにくい人もいるかもしれず、結局ギフトカードを渡して回った。とりあえず怪訝な顔で見られることはなくて良かった。

 きゅっと蛇口をひねると水が出て、コンロのスイッチを入れると青い炎が着き、添えるねぎとかまぼこは冷蔵庫でちゃんと冷えていた。

 あ、新しい場所での生活が始まっているんだ、と不意に実感した。

 そば以外にも何か簡単なものを、と思った所で、電子レンジはまだないことを思い出す。お母さんから買わなくていいと言われていて、そのままになっている。


「どうかしたか?」


 手の止まった私を、ナツが覗き込む。


「ううん。そばだけより冷凍食品でも何かあった方が、って思ったんだけど……」


「ああ、電子レンジはまだないもんな」


「うん。とりあえずそばだけでいいかな?」


「おう」


 ダイニングテーブルに向かい合って座ると、懐かしい気持ちになった。初めての場所での食事なのに。


「綿実とこうして一緒に食べると、いつも通りって感じだな」


 ナツも同じことを感じたらしい。ナツと一緒にご飯を食べるのは、幼い頃から続く日常なのだ。離れた時があっても、それは変わらなかったんだ。

 胸の奥がくすぐったいような、温かさを覚えた。


「そばも美味しいね」


「素朴な美味しさって感じかな」


 引っ越し初日だから調味料や薬味といったものが揃っているとは、まだ言い難いから仕方ない。その分、素材の良さが引き立っているとも言える。2人で笑みを交わし合えば、更に美味しく感じられた。

 まだまだ荷解きは続くけど、2人でする作業なら苦にならない。


「そういや、俊雄も今日引っ越しだったみたいだ」


「俊雄くん?」


「おう、さっきメッセージ来てた」


「確か地元じゃなかったっけ?」


「毎日通勤するには微妙な距離らしくて社員寮に入ったんだよ」


 社員寮と聞いて、何故か体育会系のイメージが出来上がった。ナツと同じバスケ部だったからかな。でも2人は今は別々の場所で生活を始めている。


「みんな同じようで変わっていくんだね」


「そうだな」


 頷くナツに寂しさや憂いは感じられない。2人の間には揺るがないものがあるのかもしれない。直接聞いても否定されるだろうから尋ねないけどね。

 私はどうだろう。

 電子レンジが置けるスペースがある場所を見やる。ぽっかりと空いた空間は、ただ静かだった。

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