四月二日の自覚 3
母さんと綿実が話す機会は、なかなか作れずにいた。
会うのを嫌っているわけじゃない。ただ気まずいのだ。年を経て降り積もったわだかまりは、簡単には掃き散らかせない。ここ2、3年、うっすらとした歩み寄りはあったけど、根本的な解決には程遠いのかもしれなかった。
何かしらお膳立てした方がいいんだろうけど……。食事会なり何なりを用意してみても、今の距離じゃ却って気まずくなってしまいそうだ。
どうするべきか、と思案しながら今日もスーツを着て電車に揺られていた。窓にうっすらと映る自分は、スーツに着られている感がありありとある。違和感がなくなれば、もう少し大人に近づけるのだろうか。そうしたら、もう少し上手く立ち回れるのだろうか。
考えても詮無いことだと結論づけた所で、降車駅に着いた。そのタイミングを見計らったように、携帯電話がメッセージの受信を告げた。
綿実だろうか、と思って確認すると、俊雄からだった。
『今日はいい所あったか?』
おれは駅構内のベンチに座り、ちょっと逡巡しながらも端的に返す。
『微妙』
『俺もピンとこないんだよなー』
テンポよく返ってくる言葉は、高校の教室にいるような錯覚を起こした。卒業して3年。もう、とも言えるし、まだ、とも言える。ついこないだ、卒業して3年なんて実感沸かないなんて言い合っていたが、その気持ちは数日で変わるものではないらしい。
何度か他愛無いやり取りをしていると、返信に少し間ができた。そろそろ帰るか、とベンチから立ち上がろうとした所で、言葉が投げかけられた。
『京都の方で就職は考えてたりするのか?』
どきりとした。
全く考えていないと言えば、嘘になる、だけど、どこかで考えてはいけないことのように思っていた。頭の片隅に追いやっていた。
俺は返す言葉が思い浮かばなくて、
『わからん』
と、そのまま返していた。俊雄は既読のアイコンをつけただけだった。
団地まで帰ってくると、公園の方に綿実がいた。トモキさんと一緒に。おれに気付いたらしい綿実は、ベンチから立ち上がって駆け寄ってくる。
「おかえり」
その柔らかな笑顔は、安心感を与えてくれる。
「ただいま」
自然と漏れ出る言葉は、思った以上に安堵したものになっていた。けれど、綿実はいたずら気な瞳を覗かせる。携帯電話を構えて。
「じゃあ、今日の1枚もいいよね?」
その嬉しそうな声音に、おれはもう抵抗することはない。ここ数日、スーツ姿を見ると、綿実の中のカメラマンの血が騒ぐらしい。最初はあーだこーだと言っていたけど、今じゃ何も言う気にならないのだから、諦念という単語を噛みしめている。
「うん、夕焼けをバックにするのもいいね!」
綿実が楽しそうならいいか、と思えるのだからおれも大概だ。
「何だか僕もスーツを着たくなってくるね」
……トモキさんの存在を忘れていた。ニコニコと笑顔満開で、これまた怒りにくい。トモキさんまで撮りたいと言い出さない辺りマシか。
綿実による撮影会が終わるまで5分少々要した。
「で、2人してこんな所で何してるんすか?」
「ここで待ってたらおばさんと偶然会えないかなって思って」
それは偶然なのだろうか? と思ったがぐっと言葉を飲み込んだ。
「トモキさんも?」
「僕こそ偶然だね。華子さんに会いに来たら、たまたま見かけてね。華子さんが帰ってくるまでご一緒していたってわけさ」
それこそ必然だろう、と思ったが、これまた飲み込んだ。ここに更におばさんが加わることになるのは明白で、たとえ見かけても母さんは顔を出しにくいだろう。今の状況は母さんの自業自得とも言えるけど、ここまで迫られるのは同情もした。
「母さんには会う機会作るよう、おれからも言うよ……」
食事会なり何なりの場を設けた方が気まずくないと、おれは判断した。
「ありがとう」
綿実は本当に嬉しそうだ。それだけでもう十分な気持ちになる。
「そこには僕も同席できるのかな?」
「えっと……それはもう少し落ち着いたらで……」
「分かったよ」
気まずさは仕方ないにしても、カオスな食事会は可能な限り回避したい。
でも、いつかトモキさんも同席できると良いな。受験勉強でお世話になっているから、母さんも悪感情だけを持っているわけじゃないと思う。
ふと思い出す。トモキさんは自分の専攻の先輩でもあるのだ。大学院に進まず就職を選んだおれのことに、思う所はあったりするのだろうか。トモキさんを見やると、穏やかでいて理知的な瞳が瞬く。
「トモキさんは、研究職を選んだこと、後悔したりしますか?」
瞬きを1つして、笑みを落とされる。
「おや、進路相談かい?」
「相談っていうか……確認?」
上手く言葉にできない。だけど、トモキさんには通じたようで頷かれた。
「そうだね。所謂一般企業に就職した友人とは時間を合わせずらくなったのは、少し残念だったね」
「少し、ですか」
「そうだよ。人間関係は常に変わっていくものさ。そして、変わっても案外慣れていくものだ」
断言されて、少し怯む。そんなおれの気持ちを見透かすように、笑みを覗かせる。
「だからこそ、大切に思うものを大事にして選べばいい。就職はそのための手段の1つだよ」
きっぱりとした言葉は力強い。それは迷いを払拭してくれるようだ。
「ありがとうございます」
礼を述べれば、あたたかな瞳で見つめ返された。それは父親ではなくとも、綿実のことを近くで見てきた人の瞳だった。大切なものをちゃんと選んでいるのだ。
「何だかすごく通じ合っている気がする……」
そばで見ていた綿実が唇を尖らせる。そんな拗ねた表情も可愛い。
「また詳しい相談するよ」
「絶対だからね」
約束を交わせば、笑顔になる。おれは、この笑顔を誰よりもそばで見ていたいのだ。




