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四月のすき間  作者: くさき いつき
第3章 四月二日と四月一日の明日

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四月二日の自覚 2

 綿実が帰ってきて、開口一番。


「あれ、スーツじゃないの?」


 何故か首を傾げられてしまった。駅まで出迎えたからと言って感動的な抱擁があるわけではないと分かってはいたが、それにしても何か違う。


「今日は就活してないからな」


「それは知ってるけど、でも、ほら、ね?」


 何やら期待を込めた眼差しを向けられるが、スーツを持ち歩く趣味はないので、応えようがない。


「そのうち、着ることもあるだろ」


 今回は就活のこともあって、京都の方へおれが出向く時間は作れそうになかった。代わりに綿実が、実家に2週間帰省しているのだ。その間、全く就活をしないとはできなかったから。


「じゃあ、その時は写真撮らせてね」


 明るく告げる綿実の瞳は一点の曇りもなく、邪な気持ちはないのだろう。いや、瑠美辺りに見せてそのまま拡散されてしまいそうな気は少しするけど、綿実自身に悪意はないと分かる。

 ただあまりに純粋な目なので、彼氏の普段と違う姿を期待しているというより、七五三の写真を撮るような生温かしさを感じてしまう。

 え? おれ、彼氏と思われてるよね?


「あのさ……」


「うん? 何?」


 おれは無垢な刃を突き立てられる予感を覚えて、戦略的撤退を取った。


「いや、就活はあるけど、色んな所に行こうな」


「うん。でも、あんまり無理はしないでね」


「おう」


 頷きながら、考える。この帰省の間に、おれの彼氏力をいかにして上げるか。

 ……付き合ってもうすぐ3年になるというタイミングで考えることではない気もする。大丈夫だ、泣いてはいない。

 肌を撫でる風が一層冷たく感じる。でも、だからこそ、左手に触れる温度がとても優しくて、安心できる。2人の気持ちに揺るぎはないのだと信じることができる。

 写真の1枚や、2枚、構わない。むしろ格好良すぎてびびるくらいに決めてやる。決められる……かな。


 心の内でさえ締まらない自分に、苦笑する。そんな少し弱気になった心の隙を突くように、現実はやってくる。

 綿実の手が強張ったのを感じた。

 視線を前方にやると、母さんがいた。買い物にでも行く所だったのか、ママチャリに乗っている。ただ母さんも驚いているのか、運転を止めたものの言葉を発さずに呆けたような顔をしている。


「母さん、買い物?」


 とりあえず無難な言葉を紡ぐ。


「え、ええ、そうよ。牛乳がなかったから」


 ちらりと綿実の方に視線をやるものの、曖昧な笑みを浮かべる。ここ3年、遠回しなやり取りはあったし、おもねるような様子はあった。でも、直接的な話し合いなどはないまま時間は流れてしまっていた。

 結局、上手く言葉が出てこなかったようで、母さんは中途半端な会釈をして自転車をこぎ出そうとした。


「あの!」


 だけど、綿実の声が止めた。左手にぐっと力がこめられたのを感じる。


「……何かしら」


「また今度話すことはできますか?」


 語尾が震えている。励ますように、勇気づけるように、握る手に力をこめ返す。綿実の強張りが少し取れた気がする。

 母さんはそんなおれ達の手を見るように視線を落としたかと思うと、ぎこちないながらも笑顔を浮かべた。


「ええ、もちろんよ」


 言葉は短い。だけど、確かな決意が宿っていたように思えた。

 それから言葉を重ねることはなく、母さんは自転車をこいで行ってしまった。遠くなる背中を見送りながら、ぽつりと言葉が響く。


「いい加減、腹をくくらないとね」


 男前なことを言う綿実の顔は、でも繊細でたおやかな雰囲気を漂わせていた。日の光を受けるまつ毛が、一際綺麗に映った。


 見惚れた。


 同時に、優しく強く抱きしめたい衝動に駆られる。何者からも守るように。一方で、綿実は庇護されるだけの存在ではないことを知っている。おれ達はともすれば微妙にずれてしまう歩調を合わせるようにして21年近くを共にしてきたのだ。今さら、片足じゃ歩けない。

 何より母さんはおれの実の親で、綿実にとっても近しい人のはずだ。2人の未来に確かにいる人なのだ。幸せになるために何ができるのか、今1度真剣に考えたい。

 おれ達は視線を絡めて頷き合うと、一緒に家路へと歩き出した。


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