四月二日の自覚 1
綿実より先に学生時代を卒業することになる。
そのことに気付いたのは、合同企業説明会に参加した帰りだった。ショーウィンドウに映ったスーツ姿の自分に、何故かショックを受けた。
「どうかしたのか?」
隣を歩いていた俊雄が、訝しげな視線を投げかけてくる。俊雄も当然、スーツだ。
「いや、なんでもない」
「そうか?」
「ああ、ただちょっと……」
言いかけたものの上手く言葉にならなかった。もう1度、なんでもない、と言って歩き出せば、俊雄も特に気に留めた様子もなく歩き出す。春という言葉が似合わない冷たい空気が頬をかすめて、少し落ち着きが戻ってきたように思う。
「しっかし、この間大学に入学した気でいたのに、あと1年しかないんだよなぁ」
まるでおれの心を見透かしたように俊雄は嘆息してくる。苦笑いが浮かぶ。
「でも3年経ってるんだよな。高校だったら、もう卒業してるとか実感沸かないな」
「それな」
軽く頷いてくるが、本当の所、お互いに深く実感していることが分かる。スーツを着て歩いていることが、何だか滑稽に思えてくる。
「来年の今頃は社会人か……」
「言うなよ! なんか空しくなるだろ!」
俊雄、涙目になってないか? 気のせいだよな? 見なかったことにする。
「やり残した青春がいっぱいある気がする!」
妙に気合のこもった声に、彼女と喧嘩でもしたのだろうか、と一瞬考えたが深く追及してはいけないと自制する。聞いたが最後、朝まで飲みコースになりそうだ。それは今の精神状態では避けたい。黒歴史は生み出したくない。
結局、駅の乗り換えで別れるまで、愚痴のような後悔のような、でも当たり障りのない話を聞き続けることになるのだが……。
それだけで俊雄の精神状態は、別に病んだりしていないことは分かる。そのぐらいには長い付き合いになっていることを知る。
高校生の頃からだから、もう6年。気づけば7年目に突入しようとしているのだ。進学した大学は別だったから、そこで縁が切れてもおかしくはなかったのに、今でも連絡を取り合って合同企業説明会にも一緒に参加しているのだから不思議なものだ。
「ただいま」
帰宅すると母さんが、リビングでニュース番組を見ていた。
「あら、おかえり。説明会どうだったの?」
興味のわかないニュースだったのか、視線をおれの方に向けてくる。
「うーん、まだ何とも言えないかな」
「そう? まぁ、じっくり考えなさいね」
気にはしつつも深くは絡んでこない。それが母さんの選んだ息子の就職活動に対する距離らしい。なんとなくほっとしている自分がいる。
正直なところ、まだピンときていないのだ。説明会なるものに参加してみたものの、果たして自分はこの業界、業種で働いていきたいのか。複数の企業の話を聞いてみたが、カチッとはまる感覚はなかった。
より深く研究したいから、と周りのやつは大体が大学院への進学を希望している。それもあって俊雄と一緒に合同企業説明会に行くことになった部分もある。おれも大学院への希望がなかったわけじゃない。でも、それよりも習ったことを働くことに活かしたいと思っちゃったんだよな。入社したての新人がすぐに会社に役立てるのは難しいだろうけど、学んだことを無駄にしたくはなかった。
じゃあ、どこだったら活かせる職に就けるのか。
まだ判然としていない。社会の入り口のドアノブに、やっと手をかけたところなのだから。扉の向こうの景色を知らない。
溜息を1つこぼして自室に入ると、タイミングを見計らったかのように、軽快な音が鳴った。何かメッセージが届いたらしい。
スーツの上着だけ脱いで、ベッドに腰掛けると、鞄から携帯電話を取り出す。
『説明会終わった?』
綿実からだった。思わず頬が緩むのを感じる。
『終わったよ。今帰宅したとこ』
『おかえりー。いい所あった?』
母さんに答えたのと同様、まだ分からない旨を返信しようとして、胸が妙にざわめいた。
綿実はおれとの未来をどう考えているんだろう。就職活動の先がほんの少し見えかけて、でも手につかむより前にかき消えてしまう。
『まだ分からないかな』
一拍置いてから、メッセージを返す。電話だったら声が震えていたかもしれない。文章のやり取りで良かった。
綿実が返信してくるまでの時間が、妙に長く感じられた。
『そっか。お疲れさま』
だけど、返ってきた言葉は何の変哲もなくて、それなのに労いに心が温かくなる。
『今年は少し長めに帰省できそうだよ』
続けざまに、そんなメッセージが届く。綿実はもう大学院への進学を決めているからな。時間に余裕があるのだろう。そう頭で理解させながら、気持ちではどうしようもなく嬉しい。
『日時決まったら教えろよ』
素っ気ないというか、横暴な感じになってしまった気がする。気持ちを素直に伝えるのは文章でも難しいようだ。慌てて言葉を付け足す。
『駅まで迎えに行くからさ』
今度は気障な感じになってないだろうか……。いや、彼女を迎えに行くなんて当然のことなんだから、普通なはずだ。
『ありがとう。バイトのシフトが決まったら連絡するね』
返ってきた綿実の言葉に、柔らかな気持ちに包まれる。
『帰ったら色々話そうね』
……続いて届いた言葉にも含みはないよな? 純粋に会えることを喜んでいるだけだよな?
おれの迷いや戸惑いなんて、綿実には筒抜けのような気がしてくる。でも、それならそれで構わないように思えた。
どんな理由があったって、会いたい気持ちには変わらない。にやけた気持ち悪い自分の顔がディスプレイに映らないように気を付けながら、その会いたい気持ちを綴る。
『待ってる』
何度か打ち直したら、とてもシンプルな言葉になった。




