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四月のすき間  作者: くさき いつき
第3章 四月二日と四月一日の明日

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四月一日の春暁 4

「誕生日おめでとう」


 朗らかに告げる顔は父親をしていた。娘の成長を確かに喜んでくれていると思う。

 けれど、そのままそそくさと出かけてしまった。大学院の博士課程の後期になってからというもの、お父さんはますます忙しくしている。ちょっと寂しいところはあるけど、お父さんが自身の道を邁進しているのは喜ばしいことだと思う。私も大学院を目指すことになった今、お父さんの進路を否定することは難しい。学びたいという気持ちが分かってしまうから。

 二十歳も過ぎた今となっては、中学生の時のように傷つくこともない。


「おじさん、もう出かけたのか?」


 玄関からキッチンに戻ると、ナツが起きてきたところだった。なかなかに個性的な髪形になっている。


「うん。今日は泊まりになるみたい。とりあえず顔洗ってきたら?」


「おう」


 眠そうに目をこすりながら、洗面所に向かうナツの背中を見て、今夜2人っきりなんだ、としみじみ思う。付き合って2年。それなりのステップアップはしてきた。今までも2人きりになることはあった。だから、今さら慌てることもないのだけど……。


――誕生日だからと言ってお父さんが気を利かせた?


 なんて考えてしまうと、なんとも気恥ずかしい気持ちになるのも事実だ。親に、しかも父親にそんな気を遣われていたとしたら、何とも言えない気持ちになる。

 信頼されているということなのか、どうか。うーむ。

 とりあえずナツの朝食を用意することにした。

 しかし、気持ちを取り繕う時間稼ぎにはあまりならなかったようだ。


「何、考え込んでんだ?」


 イチゴジャムのついたトーストをかじりながら、ナツは訝しげな視線を寄こしてくる。今晩のことについてあれこれ考えていました、とは言えない。余計な誤解を生む予感しかしない。


「今日はどうしようかな、と思って」


 とりあえず考えていた範囲を広げて答える。今日はバイトもないので、時間に余裕はある。

 すると、食べかけのトーストを置いて、ナツは少し居住まいを正した。


「綿実、誕生日おめでとう」


 真面目な、だけど優しい瞳で突然言われて、ぱちくりと瞬く。あ、さっきの言葉、誕生日の催促と思われた? ナツの耳の辺りが少し赤くなる。清々しさのある朝の景色に真面目な言葉は、甘く響いた。


「ありがとう」


 笑みがこぼれたら、ますます甘さが溢れる気がした。

 それから、せっかくの誕生日だから、と私たちは出かけることにしていた。行先は特に決めない。2人で京都の街を宛てなく歩くのも悪くない。考えてみたら、長期休暇の限られた時間で過ごすから、あまりゆっくりとすることはなかったかもしれない。つい、何かしらの予定を立ててしまうのだ。

 そんな私たちの行動を歓迎するかのように、天気も上向いてきた。どんより曇り空が、気づけば青空を覗かせていた。八坂神社の方面へ足を延ばそうかとも思ったけど、きっと人混みですごいことになっているはずだ。市内に出てきた時点で、すでに人が多いからね。

 のんびりとショッピングを楽しむのだって悪くない。


 そんな私の向かう先は書店だった。卒業論文に必要な資料となると図書館の蔵書が手助けになることが多いけど、大型書店となれば専門書の取り扱いも多く興味深い文献に遭遇することもある。高校生の頃なら見向きもしなかったコーナーなんだけど。なんだか惜しいことをしていた気がしてくる。


「なんか高そうな本がいっぱいだな」


 ナツにしても当然寄ることのない場所だったようだ。


「ここなら物理系の本も色々取り扱っていると思うよ?」


「いや、今はいいかな」


 専門書ってなかなかの重さだったりするからね。持って帰るとなると、少し考えるところはあるだろう。


「でも、本当に楽しそうな顔するよな」


「え?」


「いや、高校生の頃と違って、本当に文学少女って感じになったんだなって」


「少女っていう年齢じゃないと思うけど」


「おじさんも、変な所が遺伝したのかなって苦笑していたよ」


「何の話しているのよ」


 思わず呆れ声が漏れてしまう。ナツとお父さんが2人で話す時間はそれなりにあったと思うけど、まさかの娘の愚痴とは。


「おじさん、嬉しそうだったよ」


「そう?」


「こっちでの綿実の様子も色々と教えてくれたしね」


 色々の辺りに妙な含みを感じる気がする。


「その色々って?」


「おじさんの料理の腕が意外と良いもんだから、綿実が対抗意識を燃やして料理の腕を上げたとか?」


「別に対抗意識なんて燃やしてないけど……」


 思わずがっくりと項垂れてしまう。本当に2人は何を話しているんだろう。


「味噌汁もすっかりおばさんの味になったらしいじゃん? 美味くできた時の顔が微笑ましかったとかって聞いたけど」


 お父さんがナツ相手に親バカを炸裂していた。

 なんだろう。別に悪いことじゃない。お父さんはちゃんとお父さんだったっていうだけで。でも、それを本人ではなく幼馴染みであり彼氏でもあるナツを介して知るという、言葉に出来ない気恥ずかしさ! だって、今までお母さんとお父さんのことで愚痴めいたことを聞いてもらったこともあるのだ。そんなナツに、お父さんが悪意なく披露する親バカ。居たたまれない気持ちにもなろうってもんですよ。


「わかめでも今度口に突っ込んでおこうかしら」


「わかめ? 味噌汁の?」


 思わずこぼした小声を、ナツの耳はきっちりキャッチしていたみたいだ。首を傾げるナツに、私の文系心が刺激される。


「ナツは『枕草子』って読んだことある?」


「春はあけぼのくらいなら」


 古典の授業でしか読む機会がなかったら、そんなものだろう。

 私は手近の棚にちょうどあった『枕草子』の本を取り出して、該当のページを開く。


 清少納言は一部の人にだけ居場所を伝えて宮廷を離れていた時があった。そんな清少納言の居場所を知ろうとした宰相の中将の藤原斉信ふじわらのただのぶは、清少納言の元夫の橘則光たちばなののりみつにしつこく尋ねるのだ。清少納言と橘則光は離婚していたけど夫婦同然のように見られていたので、居場所を知っていると思われたのね。しつこい様子の藤原斉信に対して笑いそうになったのをこらえるために、橘則光はわかめを口に入れてごまかすわけだけど……。藤原斉信の問い質しはその後も厳しくなる一方で、橘則光はもう居場所を伝えていいか、と清少納言に伺いを立てる。対して清少納言は、そのまま黙っていてね、という意図でわかめの切れ端を返事として送り返したことがあったのだ。


 私の説明を聞いたナツは感心したように頷いていた。


「平安時代でもコントみたいなことやってたりするんだな」


「コントって」


 苦笑がこぼれる。でも、わかめの切れ端の意味は橘則光には通じなかった辺りはオチとしてはありなのかな?


「離婚しても仲良い夫婦って千年前にもいたんだなって思ってさ」


 そう言われると微笑ましい気もしてくる。お母さんとお父さんが離婚した後も程よい関係を続けているのも、千年前からよくあることなのだと思うと、家族にも色んな形があって良いのだと大らかな気持ちにもなる。

 ……まぁ、清少納言と橘則光は、その後、禁忌扱いになっていた橘則光の嫌いな和歌を贈ったことで縁は切れちゃうんだけどね。

 どう関係を続けていくかは、本当にそれぞれということなんだろう。それは両親だけじゃなく、私とナツにも言えることだ。


「ずっと一緒にいようね」


 唐突に聞こえただろうか。だけど、ナツは頷いて手をつないでくれた。

 そのまま離れることなくショッピングを続けた。


 帰宅すれば2人きりでささやかに誕生日を祝った。2人でいれば、それだけで十分に幸せで、優しく夜の帳を落としていく。

 翌日、目を覚ましたのは、軽い音が耳に聞こえたからだ。

 ベッドの枕元にある携帯電話を手に取ると、瑠美ちゃんからメッセージが届いていた。プレスCDの方向で話がまとまったらしい。テンション高そうな文面は、瑠美ちゃんの決意の表れのようにも思えた。楽しみにしている旨を返信する。そして、真白の優しいメロディを思い浮かべながら、隣で眠るナツを見る。


「誕生日、おめでとう」


 呟いて、携帯電話を置いて、もう1度ベッドにもぐりこむ。少し手を伸ばせば、温かい体温に触れることができる。

 この想いがずっとずっと続くことを願いながら、目を閉じた。

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