四月一日の春暁 3
ナツが京都に滞在するのは1週間。4月2日までだ。今年は4月1日が土曜日ということがあってか、私の通う大学も入学式は4月3日になっている。
おかげで、ゆっくりとできる。4回生ともなればサークルの新入生歓迎行事にも深く関わることはないしね。ナツも同様だ。今年3年生に無事進級できるというナツは、天文サークルに入ってはいる。ただ3年生からすでにほぼノータッチになるらしい。というのもナツの大学はいわゆる理系。3年生からは授業の方がより忙しくなるため、ほぼほぼ活動に参加できなくなってしまうのだ。4回生でも就職活動が一段落したらサークルに顔を出すことが多いうちとは大違いだ。
とにもかくにも誕生日まで一緒に過ごすことができる。
しかし、1週間、まるっとバイトを休むわけにはいかない。シフト的にも、来月の生活的にも。3月の前半に帰省した時に、すでに1週間休みもらっていたしね。
そんな訳でバイトに勤しんでいるのだけど……。
「うまっ」
目の前のカウンター席でオムライスを頬張るナツがいる。
「でしょ? ここ軽食もすっごく美味しいんだから!」
隣で胸を張るのは、マスターでも清子さんでもなく瑠美ちゃんだ。
「あんまり綿実のバイト先に寄らないようにしてたからなぁ」
清子さん辺りにあれこれ聞かれる気がして、それは気恥ずかしく思えて、何だかんだと回避していたのだ。清子さんは、今、とても良い笑顔をしている。
「あら、もっと寄ってくれていいのよ?」
「ええ。これからはそうします」
「いい返事! いい子ね」
顧客をゲットできたことで、清子さんはとても嬉しそうだ。ナツ、長期休暇の時くらいしか来れませんけどね……。
「ところで鴨井くんは綿実ちゃんの彼氏なのよね?」
「あ、はい、そうです」
「幸せ?」
「はい。幸せです」
ん? 話の方向が何だか……。
「その幸せのお裾分け、ぜひとも聞きたいわ!」
「清子さん!」
マスターと深い絆で結ばれている清子さんは、他人の恋愛話も大好きだ。幸せな話を聞くだけで、とても満たされた気持ちになるのだそうな。でもね、目の前で自分の話を繰り広げられるのは恥ずかしすぎるから!
「もう、綿実ちゃんたらいけずね」
唇を尖らせる清子さんは、でも柔らかい瞳をしている。
「良かったわね、幸せって断言してもらえて」
確かにナツはノータイムで答えていた。今さらにその力強い言葉を意識して、頬が熱くなるのを感じる。鏡を見なくてもどんな顔になっているのか分かる。他にお客さんがいない時だったのが、せめてもの救いだ。
ふふふ、と優しく微笑んで清子さんは奥に引っ込んでいく。
「清子さん、相変わらずパワフルですよねー」
瑠美ちゃんは感心したように呟く。一見すると小柄で華奢な雰囲気のある清子さんだけど、たぶん、この職場で1番強い気がする。
「それにしても、今日、2人で来たからびっくりしたよ」
仕切り直すように小さく咳払いしてから2人を見る。ナツと瑠美ちゃんは顔を見合わせる。
「綿実先輩、もしかして嫉妬してます?」
「いや、してないけど」
さくっと返すと瑠美ちゃんは、つまんなーい、という。瑠美ちゃんも大概強いと思う。一方のナツは苦笑している。
「瑠美が何か話あるからって呼び出されたんだよ」
「そうなの?」
頷く瑠美ちゃんの顔は、少し赤くなっている。やっぱりまだナツのことを……なんて思えたら嫉妬の1つもしたのかもしれない。
でも瑠美ちゃんの視線の向かう先は、この2年で1度もぶれていない。
だから、ただ照れているのだと分かるのだけど、どうしたのだろう。
「その、さ、夏衣くんが私たちのライブ聞いたの、この前が初めてじゃない? だから率直な感想を聞きたいと思ったのよ」
「それ電話で良くね?」
「いいから!」
語気を強めた瑠美ちゃんの頬がさらに赤くなる。元同級生にはちょっと聞きづらいことだったのかもしれない。
ナツはレモンティーを一口飲んで喉を潤す。
「ボサノヴァとかジャズって普段聞かないんだけど、なんかそんな雰囲気がしたな。でも、耳に馴染みやすいというか、聞き心地が良かったな」
「そう?」
「高校の頃、瑠美とカラオケ行ったことなかったもんな。あんなに歌が上手いとは知らなかったから、びっくりもしたし」
「じゃあ、CDが出たら欲しいと思う?」
「CD?」
「うん、綿実先輩もどう思います?」
瑠美ちゃんの顔は真剣だ。私は顎に手をあてて考える。最後にCDを買ったのはいつだろう。ダウンロードで気に入った曲を買うことはあっても、アルバムまるごととなると、ここ最近では思い当たらない。
だけど、先日聞いたライブの音が胸に蘇る。真白の音楽なら手元に置いておきたい。
「私は、欲しい」
「おれも出たら買うかな」
ナツも真面目な顔をしている。瑠美ちゃんは、少し安堵したように息を漏らす。
「実はね、真白の音源を1度形にしようっていう話になってるのよ。でも、CD‐Rに焼くかプレスCDにするか迷ってて、意見を聞きたかったの」
「斎藤くんや城之内さんとは意見が分かれているの?」
3人で一丸となって音楽に向き合っている印象があったから、少し意外だ。そりゃあ、音楽性の不一致で解散なんていうのはバンドではよく聞く話だし、真白にも私の知らない部分はあるのだろうけど……。真白の結成が、そもそも斎藤くんのバンドの解散がきっかけだ。2年前まで斎藤くんが組んでいたバンドは、学内のサークル活動だけで十分と思っていたらしい。でも斎藤君自身はライブハウスでも活動したいと考えていて、解散。結局、2年前の新入生歓迎の時のライブでしか見ることはなかった。
そんな音楽性の不一致を脱して結成したバンドだったから、方向性は3人一緒なんだと単純に考えてしまったのだ。
「もう3回生と4回生だし、どれだけ活動できるかなぁ、って考えちゃうんですよね」
ぽつりとこぼれた言葉は、時の重みを感じさせる。
斎藤くんだって、今就職活動をしている。それが終われば、またバンド活動も活性化できるのかもしれない。でもその頃には瑠美ちゃんと城之内さんが就職活動になるだろうし、斎藤くんは社会人だ。学生の時とは時間の流れも変わるだろう。
プレスCDとなれば予算の兼ね合いから最低でも500枚コースだ。果たしてそんなに捌けるほど活動を継続できるのか。それならCD‐Rで、となるけど、最初で最後になるならきちんとしたものにしたいというこだわりも出てきて、結局堂々巡りになってしまうそうだ。
そこでリスナーである私たちの意見、という訳らしい。単純に欲しいと思ってしまったけど、バンド側に立ってみると確かに悩ましい。
「てか、瑠美と斎藤って付き合ってるんじゃねーの?」
突然の爆弾投下に、瑠美ちゃんの顔がたちまち真っ赤になる。さっきまでの照れの赤みの比じゃない。
「は? はぁ? いきになり何言っちゃってんの!」
「いや、付き合ってんなら、最悪2人体制になっても続けられんじゃね? と思っただけだけど」
「シロちゃん、勝手に脱退させんなし!」
シロちゃんというのは城之内さんのことだ。
「てか、私たち、別に付き合ってないからね!」
「マジで?」
ナツが素で驚いている。でも、マジなのだ。この2年、瑠美ちゃんの斎藤くんへの想いは確かに感じるのだけど、2人はバンド仲間の境界を越えることはない。
こんなに瑠美ちゃんは可愛いのに、と真っ赤になっている顔を見つめる。斎藤くんは本当に気付いていないのかな。不思議だ。
いや、19年ほど幼馴染みを貫き通した私が言ったところでブーメランでしかないので、口には出さないけどね。
人の心とは、本当に摩訶不思議なのだ。




