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四月のすき間  作者: くさき いつき
第3章 四月二日と四月一日の明日

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四月二日の懊悩 4

 誕生日会もとい食事会は終始和やかな雰囲気だった。


「2人はキスはしたの? それとも、もっと……」


 などという酔っ払いどもの言葉は笑顔で封殺すれば良い。……隣の綿実の顔は見られなかったが。

 ともかく穏やかに過ぎた。呼ばれた理由が誕生日会というのは意外だったけど、想像していたようなおばさんとトモキさんの結婚宣言のようなサプライズはなかった。

 そんな2人は、トモキさんを見送るため団地下までおばさんもついていったため、今はもういない。きっと団地内の公園で酔いを醒ましてくるのだろう。ぽっかりと空いた空間を見ると、賑やかな2人だっただけに、妙な寂しさを感じさせた。


「さて、じゃあ、先に後片付けしよっか」


 お茶を飲んで一息ついた綿実が、笑顔を覗かせる。


「そうだな。せっかく用意してくれたんだし、後片付けくらいするか」


 同意すると、皿を何枚か重ねて持って立ち上がる。そのまま洗い物を始めた綿実の隣に立つ。手際よく洗われた皿を受け取り、軽く拭いて水切りカゴに入れていく。いや、拭くなら水切りカゴに入れなくてもいいのか? と首を傾げたけど綿実も何も言わないので、そのまま隣で手伝うことにする。

 無言なのに、息詰まる感じがない。

 ……ふむ、新婚の夫婦っぽいのか、熟年の夫婦っぽいのか。

 いやいや、どっちにしろ夫婦って、何結婚したこと前提で考えてんの、おれ。ちょっと恥ずかしいな。そっと耳の辺りが熱を持つような気がした。

 すると、隣から笑みを漏らす声が聞こえた。


「ナツ、さっきから何、百面相しているの?」


「え? そう?」


「うん。コロコロ変わってた。新婚みたいだなー、とか妄想した?」


 図星過ぎて、ぐうの音も出ない。言葉に詰まるおれを見て、綿実はまた笑う。


「そっか。そっか」


「何、納得してんだ。別に妄想なんてしてないから」


「そう? 私は新婚の想像したよ?」


「え?」


 思わず否定したら予想外の返事が来て、また言葉を見失ってしまう。楽しそうにする綿実を見ると、否定はもちろんからかうこともできず、今更嘘でしたとも言えず、おれはますます顔が熱くなることを感じるだけだった。


「でも、夫婦ってよく分からないね」


「分からない?」


 綿実から悲観しているような様子は見受けられない。軽く口角が上がっており、笑顔のままだ。


「うん。お母さんとトモキさんを見ていたら、仲いいな、って思ったの」


「そう、だな」


 皿を受け渡す手は震えていない。ふきんを持つおれの手には少し力がこもる。


「でも、結婚はしないんだよね。お母さんはお父さんのことがまだ好きなのかな、って思う。別れたけどね」


「うん。おじさん、今日のことも知っていそうだもんな」


「多分ね。さっきスマホ見たら、二十歳おめでとうって来てたからね」


 綿実もおれもまだ誕生日は迎えていない。なのに、今日この日にメッセージを送ってきたということは、つまりそういうことなのだ。


「夫婦ってよく分からんな」


「ね?」


 綿実は小鉢についた泡を綺麗に洗い流していく。するすると排水口に吸い込まれていく泡。こんなふうに現実も綺麗に流せたら良いんだけどな。

 それからリビングとキッチンを何往復かして、食器類を片付けていく。夫婦のカタチについて、綿実が改めて口にすることはなかった。落ち込んだ様子はない。言葉以上の重みはないのかな。心からの笑顔でいてほしいと願うのは、わがままかもしれない。傲慢、あるいは無責任だろうか。せめて寄り添える存在でありたい。


「あ、泡、ついてるよ」


 え? 泡? どこに? 不意にかけられた言葉に、おれの視線は自然と下を向いていた。受け取った箸に泡はない。


「綿実?」


 どこについてる? と聞こうとしたおれの口がふさがれていた。柔らかい感触。鼻腔をくすぐる甘い香り。

 キス? 認識した時にはもう離れていた。白昼夢、ではない。確かに触れ合った感触があるし、綿実の顔は真っ赤だ。


「え。今、キスした?」


 思わず確認した言葉に、綿実はますます顔を赤くする。爆発寸前だ。


「何だか考え込んでいたから、出来心?」


 そんなふうに茶化す綿実ですら可愛い。いや、いつも可愛いか。てか、キス? このタイミングで? 良かったのか?


「ファーストキスなのに」


 こぼれ出たのは乙女チックというか女々しいというか、傷ついているみたいな言葉になってしまった。違う。嬉しいんだ。フォローしないと、と思えば、思考は慌ただしくなって適切な言葉を弾き出してこない。


「えっと、その……」


 慌てるおれに対して、綿実はきょとんとした目で見てくる。


「ファーストキスじゃないよ?」


「え?」


 熱かった顔が急激に冷えていくのが、触れずとも分かる。いや、ずっと一学年上だったしな、おれの知らない所で彼氏がいてもおかしくはない。ないんだけど、今言っちゃう?


「ほら、小学生の頃、したじゃない」


「ん? 小学生? おれと?」


 いつのことだ? 思い当たる節がない。


「覚えてない? ドラマで見たとか言って」


「ドラマ?」


「そうそう。タイトル何だっけ。バレエダンサーの男の子を拾って暮らし始める話だったと思うけど」


 あ、小学生って低学年の頃? 何か思い出してきたぞ。

 ……うん、ドラマを見てしてみたいって、ちゅってやった。確かにやった。幼き頃の無知さ、強さって怖くない? そんなの想いをはっきりと自覚した後では悶絶ものの黒歴史で、しっかりきっちり蓋を閉めてしまっていたのだ。


「すみません」


 うな垂れるおれに対して、綿実は笑顔を見せる。


「驚いたけど嬉しかったから大丈夫だよ?」


「そう?」


 嬉しかったならいいのかな。

 でも、この数分の間のおれってどうなの? 彼氏として色々ダメじゃない? 彼女に不意打ちキスされてうろたえた挙句、幼少時のファーストキスを忘れていたのを、つるっと誤爆するってひどくない?

 ここは仕切り直すしかないだろう。

 手に持ったままの箸をきちんと拭いてから、綿実に向き直る。


「キスしていい?」


 もうストレートにいくしかない。綿実はためらうことなく頷いてくれる。その柔らかい頬に手を添えて、唇を近づける。そっと触れるだけのキス。多少ぎこちないのは見逃して欲しい。

 綿実の笑みがまぶしい。

 これもきっとおれたちなりの関係なんだろう。いまいち決まらないけど、幸せなんだから構わない。

 ああ、でもこんな風に綿実のぬくもりに触れちゃうと、もっと一緒にいたいと思ってしまう。やっぱり今年の誕生日も京都へ行こう。綿実は忙しいのだろうし、あまり時間は取れないのかもしれない。でも、おれの方はまだ大学が始まる前だし、大丈夫。時間の融通は利く。

 2人が過ごした20年の記念なのだ。おめでとうと直接伝えよう。

 そんな密やかな決意を込めて、もう1度、口づけを落とした。


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