四月二日の懊悩 3
服装はどうしたものか。食事会の目的が分からないのが厄介だった。娘さんをください的な挨拶だったなら、間違いなくスーツなんだけどさ。そんな予定はない。今はまだ。
そもそも相手はおばさんとトモキさんだもんな。
案外、2人の方がやっぱり結婚しますって言ってきたりして? となると、少しは畏まった格好の方がいいんだろうか。うーむ。
悩んで綿実に相談してみたら、
『普段着でいいと思うよ』
と、あっさりとしたメッセージが返ってきた。
そんな訳で、七分丈のシャツにジーンズというラフな服で、今ドアの前に立っている。季節柄、もう1枚くらい羽織ってもいい気がしたけど、同じ団地の建物だからな。肌寒さは気にならない。
でも、左手の重みは気になっている。
出掛けに母さんに渡された手土産。高級な肉である。母さんは何か知っているんだろうか。そして、そんな相談ができるくらいに仲は戻っているんだろうか。
色んな意味で気になる重みだった。
とはいえ突っ立っているだけでは何も分からない。おれは意を決してインターホンを鳴らした。
すると、何の確認もなくドアが開いた。
「いらっしゃい」
微笑む綿実がいた。
「……確認してから出ろよ」
思わずつっけんどんな言い方になってしまった。不意打ちの笑顔はずるい。
「ごめん、ごめん。とりあえず上がってよ」
「おう」
おざなりな謝罪だったけど、今、そこまで注意する必要もないことだったので、促されるまま靴を脱ぐ。
「なぁ、今日って何の集まりか分かったか?」
リビングへと向かっているらしい綿実に、小さな声で尋ねる。
「それが分からないのよね」
肩をすくめる綿実は、あまり気に留めていないようだった。まぁ、自分家にいる綿実はまさしくホームだもんな。いや、おれも今までの付き合いからしてアウェイな訳ではないと思うけども。
「まぁ、そんなに固くならなくてもいいんじゃない?」
さらっと言う綿実は余裕があるように見える。おれも彼女の家に招かれただけで変に緊張するより余裕を持ちたいな。そもそもおばさんもトモキさんも知らない仲じゃないんだし。
「それもそうだな」
溜め息混じりに頷いたところでリビングの前に着いた。普段ならドアは開けっ放していることが多いのに、今日はきっちり閉まっている。
微かな違和感を覚えつつもドアノブを回した。
パンッ! と耳を刺激する破裂音。ドアを開けた姿勢で、思わず足を止めてしまう。見開いた目に映ったのは、やけにスローモーションで落ちてくる色とりどりの細長い紙。おばさんとトモキさんの手元には円錐の形をしたもの。
……クラッカー?
「大人の仲間入り、おめでとう!」
重なる男女の明るい声。大人の仲間入り……二十歳?
ああ、なるほど。と一瞬納得しかけたけど、すぐに眉をひそめてしまった。
「いや、まだ誕生日迎えてないよ?」
今日は3月29日。おれも綿実も誕生日を迎えるまで、まだ数日ある。
「あら、だって誕生日には2人揃わないんでしょ?」
「そうそう。数日くらい誤差だよ」
明るく言う2人は何だか楽しそうだ。まだ酒入ってないよな?
今年の誕生日を一緒に祝えないのは、確かに事実だ。綿実も3回生になるということで、新入生関係関連のあれこれが忙しいようだ。おれが通っている大学と違って、綿実の所は4月1日からガイダンス等が始まるのだ。
「何かこそこそしてると思ったら誕生日会だったの?」
どこか呆れた様子で、でも嬉しそうに綿実はおばさんの向かいに座る。
「誕生日会って言い方、いいわねぇ。何年ぶりかしら?」
おばさんの目がきらきらしている。おれの記憶にある限り、小学生くらいまではやっていたはずだ。それ以降は、まぁ、色々あったし、高校生にもなると友達と過ごしていた。春休みの体のいい集まり文句だった。
「あの、母からです」
何となく中学からしていないとは言いづらく、代わりに手土産を差し出していた。
「ありがとう、嬉しいわ」
「おや、中身は何だろうね?」
「肉よ」
「ああ、すき焼きは肉がなきゃ始まらないからいいね」
2人のまとう雰囲気は夫婦に近い気がした。ちらりと隣に座る綿実を見るけど、柔らかい表情をしている。
それにしても母さんは、おばさんたちとどこまで話せたんだろう。肉を用意したのは偶然ではないのだろう。そこまで話せるなら母さんと父さんも参加すればいいのに、と思ってしまう。今までの態度のことを思えば簡単ではないのかもしれないけど。
「葉子ちゃんに、お礼を伝えておいてね」
屈託なく母の名前を口にするおばさんを見ていると、近い内にまた交流できるようになる気がしてくる。楽観だろうか。
「はい、伝えておきます」
頷けば、1歩前進に繋がった気がした。
「さぁ、まずは乾杯かな?」
「あ、2人はまだジュースよ? 二十歳の祝いだけど」
「分かってるわよ」
トモキさんも、おばさんも、もちろん綿実も笑顔で、完璧というには色々と足りないけれど、でも確かに幸せの空気があふれ出してきていた。
今は無理でも、来年、家族が揃えばいい。来年が無理なら再来年でも構わない。
まぶたを閉じれば、その光景を思い描くことができ、叶うと信じられた。




