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四月のすき間  作者: くさき いつき
第3章 四月二日と四月一日の明日

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四月二日の懊悩 1

 おかしいな、と思ったのは別に今に始まったことじゃない。

 それでも自分を納得させようとしていたのだ。おれと綿実は遠距離恋愛ってやつなんだから、仕方ない、と。

 しかし、1年だ。付き合い始めて、もうすぐ1年になるのだ。それにも関わらずキスもしていないっておかしくないか?

 ゴールデンウィークに夏期休講に冬期休講、綿実の成人式と、遠距離にしてはそれなりの頻度で会っていた。特に夏期休講の間は地元で1週間、京都で1週間と計2週間ほど一緒だったのだ。機会ならたくさんあったはずなのに、一体何故。

 そして明日からは、後期授業を終えた綿実が帰ってくるというのに、これまた全く仲が進展するイメージが湧かない。


 幼馴染みとして長らく過ごした弊害だろうか?

 地元にしても京都にしても、家族が近くにいるというのもあるかもしれない。いや、関係ないか。昨年の夏に初彼女ができたと喜んでいた俊雄は、サクッと関係を進めているようだし。


 つまり、あれか。おれがヘタレなのか?


 いやいやいや、違う。そうじゃない。綿実との関係は大切なものだ。2人のペースで進んでいけば大丈夫だ。たとえゆっくりでも、それが2人の絆を深めることになるはずだ。


 ……あれ? でも、そうするとおれは綿実にまだ男として見られていないとか?


 うん、あんまり考えないことにしよう。2人の時間を大事にすれば大丈夫だ。多分。

 傾いでいきそうになる気持ちを振り払うように歩くスピードを上げた所で、前方に見知った顔があった。

 団地内の公園のベンチに座る男は、自分より一回り以上年上のはずなのに、不思議と年齢差を感じさせない。向こうもおれに気付いたようで、屈託のない笑みを見せる。


「やぁ、夏衣くん。どこかに出かけていたのかい?」


 軽い足取りで、隣に並んでくる。綿実の父親候補であったはずのトモキさん。


「ええ、ちょっと髪切りに行ってました」


 三寒四温で肌寒い日はまだあるとはいえ、2月の頃のような厳しさを感じなくなった。すると長くなってきた髪の毛が気になったのだ。


「そうか、明日は綿実ちゃんが帰ってくる日だったね。身だしなみは大事だもんな」


 確かに綿実が帰ってくることも意識したけれども。こう明け透けに言われてしまうと、どう返したものか考えてしまう。……うん、スルーしよう。


「えーと、トモキさんはどうしてこんな所に?」


「華子さんに会いにきたんだけど、仕事が長引いているみたいでね」


 おばさん、綿実の母親と会う約束をしていたのか。でも部屋で待たずに公園にいることに、2人の距離を感じる。綿実の父親になることはなくなったらしいけど、今でも恋人ではあるのかな。相変わらず不思議な関係だ。


「ああ、大丈夫。君たちの邪魔をする相談をする訳じゃないからね。安心してくれたまえ」


 そんな心配は全くしていなかったのだが……。あえて言われると気になってしまうもので。


「あ、はい、ありがとうございます?」


 とりあえず、よく分からないままお礼を口にしていた。トモキさんは嬉しそうに微笑むので、おれも曖昧ながら笑みを返せていた、と思う。

 おばさんが帰るまで公園で待つというトモキさんに会釈をして別れたものの、何だか気持ちにまとわりつくようなものがある気がした。


 トモキさんは悪い人じゃない。

 それは高校3年の時に初めて会話してから変わらない印象だった。

 とはいえトモキさんの存在を最初に認識した時は、何となく警戒したものだった。綿実の部屋を訪れた時に、団地の公園で談笑するおばさんとトモキさんを見た。綿実から母親の新しい恋人だと説明された時、真っ先に浮かんだのは母さんがどう思うかだった。1ヶ月前に聞いた恋人とは明らかに違うのだ。それに、今にして思えば1番の地雷だったけど、トモキさんは学生には見えないものの大分若そうなのが気にかかった。母さんはきっと良い顔をしないだろう。そして自分が目撃したのだから、母さんが2人のことを知っていても不思議じゃない。

 綿実との関係に悪影響がないよう警戒するのは当然のことだった。対策は何1つ思い浮かばないくせに。


――おや、もしかして夏衣くんかい?


 だから、綿実が高校を卒業してしばらくして、今日みたいに公園で声を掛けられた時は驚いた。


――え、あ、はい。


――びっくりさせたかな? 華子さん、綿実ちゃんのお母さんに写真を見せてもらったことがあってね。僕はトモキっていうんだけど、聞いているかな?


 人好きのする笑顔を浮かべてズカズカと土足で踏み込んでくるようでいて、不快に思うことはない絶妙な距離感。戸惑いはあったはずなのに、気付けば公園で見かければ声を掛けるようになっていた。


――へぇ、物理学科のある大学に進学するんだ。文系クラスなのに?


 夏休みになっても当たり前のように学校に行き、大体へろへろになって帰ってくるおれの様子を不思議に思ったらしいトモキさんに現状を説明すると、興味深そうな目をした。


――ええ、正直きついです。


――だろうね。もし分からないことがあれば教えようか?


――え?


 世間話の延長からの突然の申し出に目が点になった。

 聞けばトモキさんは理工学部から大学院に進んで、今は研究職についているらしかった。言わば自分の進路の大先輩だった。

 学校の補講に塾に加えてトモキさんの的確な解説。それらのお陰で無事に第1志望の大学に入れたと言っても過言ではない。

 合格発表の後、お礼として菓子折りなるものを初めて用意したら随分と驚かれたものだ。トモキさんにとっておれは恋人の娘の幼馴染みという他人も同然なのに、本当に厚意で教えてくれたらしい。何でも後進が増えるのは喜ばしいことだと言って。

 ちなみに菓子折りの選択には母さんのアドバイスもあった。昔のようにとはいかないまでも、母さんとおばさんの関係は少しずつ修復しているようだ。


 それにしても、おばさんの好みはインテリなんだろうか?

 綿実のお父さんは文系、トモキさんは理系という違いはあれど、どちらも知識量の豊富な人たちだ。

 インテリか……。

 帰宅したおれは手を洗いがてら、鏡に映った自分の顔を見る。髪型を整えて小ざっぱりとはしたが、インテリっぽさはない。

 おばさんの遺伝子は綿実にどの程度受け継がれているものか。

 考えても詮無いことに溜め息をこぼした時、耳がかすかな電子音を捉えた。急ぎ足で部屋に戻ると、携帯電話に綿実からのメッセージが届いていた。

 大丈夫だ。インテリじゃなくても、付き合って1年経ったのにキスしてなくても、大丈夫だ。おれは1人で大きく頷いていた。

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