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天気予報によれば、京都の桜は今日満開になるそうだ。でも、夜明け前から降り始めた雨で早々に散ってしまいそうで、ちょっと心配になる。せっかくの入学式も何だか暗い雰囲気になってしまった。
幸い、午後過ぎには雨も上がったので、サークル勧誘自体は問題なかった。まぁ、「考える紙の会」と聞いて大抵の新入生は引いた顔をしていたけどね……。みんな「考える神の会」って脳内で変換するよね。渡したビラを見て興味を持ってくれる人がいることを、そっと祈るしかない。
サークル勧誘は今日だけでなく、前期の講義のガイダンス期間である1週間程の間、続くことになる。そして、ガイダンス最終日の翌日は新入生歓迎祭だ。「考える紙の会」はステージ上で部長がサークル紹介するだけなので、あちらこちら見て回ろうかと思う。斎藤くんのバンドの成果も気になる所だし。
つらつらと先の予定を思い返してしまうのは、何も考えないでいると緊張してしまうからかもしれない。
今、私は1年前と同じ道を歩いている。
昨日、京都駅でナツに会った時、言われたのだ。
――明日、4月1日に円山公園に行かないか。
私も、と言いかけて口を閉じた。明日?
――えっと、伝えたいことって……?
――明日、明日伝えたいんだ。
じっとナツの瞳を見ると、とても真剣だった。でも瞳が重なると、どこか決まり悪そうに視線を逸らす。
――その、1年前のやり直しをしたい。
絞りだされた一言に、私の鼓動が高鳴った。結果として振った形になってしまった、あの日。ナツにとってもやり直したい日だったのかな。
とは言え、ここは京都。何の準備もなく新快速に飛び乗ってしまったナツが泊まる場所を用意していた訳もなく、一緒にお父さんのいる部屋に帰ることになってしまったのだけど……。ナツはネットカフェにでも泊まると言っていたけど、その状態で4月1日を迎えるなんて、それこそ締まりがないように思えた。
後はやっぱりナツのお母さんのことを考えてしまった。態度は軟化しているらしいことは聞いたけど、きちんとした第三者がいる所に泊まったと分かった方が、何かと安心だろう。ナツの通う大学の入学式は4月3日だということだけど、その直前で失踪なんて騒ぎになったら目も当てられない。
尚、お父さんはナツのことを大歓迎だった。もともと仲は良いのだ。加えて、ナツはこの1年のお母さんの様子も知っている。私の2泊3日の土産話より余程喜んでいたように思う。
本当に仕方のない人たちなんだね……。
視線を上げると、朱い建物が目に入る。八坂神社だ。
京都に住んでいたこの1年、訪れることはなかった場所。もしかしたら今日を逃したら、もう2度と訪れることはなかったのかもしれない。
あの時は単純にナツの誕生日を祝えることが嬉しかった。慌てて誕生日プレゼントも用意した。よく考えたら部活仲間と旅行に来ていたのだから、リストバンドはプレゼント被りしていたかもしれない、と後でちょっと落ち込んだ。
だって、もう10年以上の時間を共有していたのに、今ナツが欲しいと思っているものが分からなかった。
ナツのお母さんの視線が厳しくなる中で、自分でも気づかぬ内に距離を取るようにしていたのか。個人に踏み込まないようにしていたのか。
1歩踏み込んでしまえば、もう後戻りできない気持ちがあることを知っていたから。
今はもう躊躇しなくても大丈夫なんだよね?
ふと私の足が立ち止まる。深呼吸をして、髪に触れる。昨日、ナツにプレゼントしてもらったバレッタに触れる。指先が温かなもので包まれた気がした。
もう1度、深呼吸をして歩き出す。
八坂神社を抜けて枝垂桜が見えてくる。
朝の雨のせいか満開の割に人は少ないように思える。そうは言っても、十分に人通りは多く、ぶつからないように気を付ける必要がある。
一筋、強い風が吹いて枝垂桜の花びらが舞い上がった。まるで雪のよう。淡く視界が色づく。そうして花びらの向こう側に、ナツがいた。
誘われるようにして、私の足が動く。
真面目な顔をしていたナツは、私の顔を見て柔らかな笑みを浮かべる。おもむろに右手を伸ばしてきたかと思うと、髪の毛に触れる。
「ナツ?」
「花びら、のってた」
ナツの指先で、1枚の花びらが揺れる。
「バレッタ、つけてくれたんだ」
「うん」
改めて指摘されると、何だか気恥ずかしい。でも、視線はそらさない。鼓動は高鳴るのに、不思議と落ち着いた気分。
ああ、そうか、と次の瞬間には腑に落ちる。そばに、隣にいられるから穏やかになれるんだ。
ふ、と顔が近づく。
「綿実、好きだ」
ささやくように落とされた言葉に、笑みが深まるのが分かる。
「私も……夏衣が好きだよ」
もう1度、枝垂桜が揺れる。まるで祝福してくれるかのように。桜の花びらが2人のすき間を埋めるように舞った。
本編完結しました。
次回より第3章という名の後日談となります。




