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四月のすき間  作者: くさき いつき
第2章 四月一日の寂寥
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26

 帰省した時には2つあった紙袋は、1つに減ったまま、部屋の片隅にある。

 本当なら今日の遠出した帰りにでもお土産を買うつもりだった。

 海岸沿いの道に沿って歩いていくと、商店街があったのだ。夏場しか開いていないか、もしくは寂れているのか、と考えたけど、人通りも多少はあってシャッター街になっているわけではなかった。海辺だからか海鮮が安くてお土産にも手頃そうだった。

 買うとしたらサークル用、バイト先用、そしてお父さん……。と考えた所でお土産を買うのは保留にしていた。

 お父さんはこの地域に関わるものを見たいとは思わないかもしれない。そんなこと気にしていないと思う一方で、掴みどころのない態度を思い出すと、何とも言えない気持ちになったから。

 大丈夫だよ、と言ってくれたナツの言葉は柔らかかったけど、まだ私の中で実感を伴っていなかったのだ。


 そして、それはナツに対する気持ちにも言えることだった。

 ナツはちゃんと考えて、自分の進路を決めていた。もし私が隣にいたら選ばなかったんじゃないか、そんな傲慢な思いが過ってしまう。だけど、私がそばにいない方がナツのためになるという思いは、どうしたって深まる。ナツにきちんと確かめたわけでもないのに。

 好きだけど、好きだからこそ、言葉にしちゃいけないこともあるのだと考える。

 明日、2日早い誕生日プレゼントを渡した後は……。

 物思いに耽っていると、玄関の方で音がした。


「おかえり」


 今日もお出迎えをしてみる。お母さんは嬉しそうに笑顔を見せる。


「ただいま」


 そんな何気ないやり取りが気持ちを落ち着かせてくれた。そして、今日も2人並んで夕飯の支度をする。長年、主婦業をしているだけあって、やっぱり手際が良い。娘として、学ぶべき点はあると思う。

 食卓には、肉じゃがにポテトサラダ、ビシソワーズ。特別手の込んだものはないけど、慣れ親しんだ味である。


「てか、なんでじゃがいもばっかりなの?」


 一緒に作っていた時から気になってはいたけど、他にも何かあるのかと思ったのだ。


「安かったからつい買いすぎちゃったのよ」


 今は3月の終わりで、一般的な収穫時期からは外れているから、安さにつられた気持ちは分からないでもない。普段、そんなに食べるわけじゃないのに、スーパーで10円安いのを見ると妙にお得に感じて買ってしまうのよね。分かる。分かるけども!


「綿実も好きでしょ? じゃがいも」


「まぁ、嫌いじゃないよ」


 何かと使い勝手の良い野菜だしね。


「じゃあ、食べましょう」


 微笑まれて、私達は手を合わせた。いただきます、の声が二人きりの部屋に響く。口に含んだ肉じゃがは、よく味がしみ込んでいて美味しかった。


「今日は夏衣くんと出掛けてきたの?」


 お茶を一口飲んで、思い出したように聞かれた。


「え、昨日言ってたっけ?」


「言われなくても分かるのよ」


 勝ち誇ったように言われて、思わずじっと見ていた。


「いやね、そんな怖い顔しないでよ。単なる勘よ」


 18年間、一緒に過ごしてきたのだ。娘の行動パターンなんてお見通しなのかもしれない。私は小さく溜め息をついてから頷いた。


「まぁ、一緒に出掛けたわよ」


「そう。良かった。この1年会っていないみたいだし、心配していたのよ?」

 これも親心なのかな。なんと返して良いか分からず、曖昧に頷くしかない。お母さんから見ても、私達にとっての1年は長いように見えたのかな。

 この1年、そうだ、私はこの1年、ろくに連絡もしなかったけど、同様にお母さんからも連絡はあまりなかった。お母さんの方こそどうなんだろう?


「ねぇ、トモキさんとは今もちゃんと会っているの?」


「トモキくん? 会うには会っているけど?」


「今も結婚の話とか出てないの?」


 まるで確認するみたいな言い方で、嫌みっぽかったかな。言葉にして、すぐに後悔した私に対して、お母さんはきょとんとしていた。


「結婚? しないわよ?」


 こともなげに言われて、二の句が継げなかった。お母さんは詳細な説明をするわけでもなく、ポテトサラダを口に運んでいる。それを咀嚼して飲み込むのをじっくりと見つめてから、私はようやく口を開けた。


「本当に結婚しないの?」


「突然どうしたの?」


「どうしたのって……もう2年近く付き合っている訳だし、そういう話も出ているかと思っただけよ」


 私個人の感情で言えば、お父さんとやり直して欲しいと思う気持ちはある。だけど、それとは別にお母さんにはちゃんと幸せになって欲しい。心に想う人がいるのであれば尚のこと。

 だけど、お母さんは困ったような笑みを見せる。


「綿実も高校を卒業したんだし、結婚の話なんてしないわよ」


 言われたことが分からなかった。瞬きしても、お母さんの表情は変わることなく、更に言葉を足されることもなかった。

 私が高校を卒業したから結婚の話もない。どういうことだ?

 しばし逡巡するも、答えが出そうにない。


「どういうことなの?」


 結局、お母さんに尋ねていた。何だかきまり悪そうだ。でも黙ったままじゃ何も分からない。私はお母さんをまっすぐに見つめて先を促す。やがて、お母さんは観念したかのように小さく溜め息をついた。


「お父さんと離婚した時、綿実はまだ中学生だったでしょう」


「うん、中2の時だったね」


「思春期に父親がいないのもどうなのかな、と思ったのよ」


「離婚しなければ良かったんじゃない?」


 思わず呆れた声が出てしまった。お母さんは苦笑を浮かべたものの、否定はしなかった。


「本当にそうね」


 静かにお箸を置いたお母さんは、少し考えた顔になる。


「うん、でも、そうね。離婚したこと自体は後悔していないわ」


「どうして?」


「お父さんが学生に戻って勉強し直して希望する道を目指したいという気持ちは、応援したいと思った。けど、それは夫としては、父親としてはどうしても許容できなかった。友人ならできたけどね」


「だから離婚?」


「ええ、私自身も働いていたし、綿実1人なら育てられるけど、2人はさすがに無理だったから。自分のしたいことをするんだから自分1人で責任を取りなさい、いい大人なんだからって別れたのよ」


 私のことを色々と考えてくれていたんだな、と思えて嬉しくなる一方で、何だかちょっとずれている気もしてモヤモヤする。


「離婚自体は2人で納得したことだから後悔はないけど、綿実から父親を取り上げてしまったみたいで、そこは悩んだわ」


 悩むらなら、もう少し離婚せずに済む道を選んでほしかったと思うけれど、生理的に受け入れられないことは誰にだってあるよね、と一応頷いてみる。


「悩んだ結果が父親捜しなの? 随分若い恋人もいた気がするけど……」


 トモキさんを初めとしたお母さんのかつての恋人たちが、私の新しい父親候補だとするなら、やや首を傾げる人もいた。トモキさんは30代半ばだったはずなので、まだ納得できるけど、確か大学生くらいの人もいたはずなのだ。


「若い? まぁ年下は多かったかな」


「いや、大学生が父親ってさすがに無理があるでしょ!」


 とぼけたことを言うので、思わず突っ込んでしまった。だのに、お母さんは相変わらず首を傾げている。


「大学生? さすがにそんな若い人はいないわよ?」


「離婚して最初に付き合った人は大学生くらいの人でしょ?」


 紹介された人ではなかったから正式な年齢は分からない。でも団地の公園で落ち合っているところを何度か見かけた。その頃からナツのお母さんからの当たりが強くなったので、きっと目撃したのだと思う。私だけが目にしていたわけじゃないはずだ。


「もしかして黒木くんのこと言ってる?」


 やっぱり思い当たる節があるんじゃないか! と思っていたら、お母さんはころころと笑い出した。


「黒木くんが彼氏? それは黒木くんが可哀そうよ!」


 腹筋を抱えるように笑われ、言葉が途切れがちになる。唖然としていると、しばらくして持ち直したようだけど、目尻に涙が光っている。笑いすぎでは?

 ようやく落ち着いた所で説明された話をまとめると、黒木くんというのは、お母さんが事務職員をしている中学校に教育実習で来ていた大学生。比較的、中学生とも年が近いこともあって父親が不在になる娘について相談していたらしい。そんなデリケートなこと、見ず知らずのほぼ他人に相談するなよ! とも思ったけど、他人に近いからこそ相談しやすかったのもあるのかもしれない。

 とはいえ、そんな人と自分の住まいのある団地の公園で相談することでもないだろう、と思わないでもないけれど……。仕方ないな、と思ってしまったのだ。


――自由気質な人達なんだから、おれらが凹んでいる内に笑っているよ。


 1年前、ナツにもらった言葉が過る。子供のことを色々と考えているようで、どこかずれている人たち。


――綿実も大丈夫だよ。


 本当にその通りだったと思う。

 結局のところ、お母さんもお父さんも自分勝手だけど、娘の私のことも確かに大切に想ってくれているのだ。

 仕方ない人たちだ、と思ったら、私まで笑いがこぼれてしまった。

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