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四月のすき間  作者: くさき いつき
第2章 四月一日の寂寥

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23

 目を覚ました時に見えた天井は、慣れ親しんだ白。うっすらと灰色がかっているような、年月を感じさせる色合いだ。2、3度、瞬きすると頭が覚醒した。

 そうだ、昨日から実家に帰ってきたんだった。

 あえて思考することで、意識はよりクリアになる。

 それと同時に溜め息がこぼれてしまったのは、きっと仕方のないことだ。

 お母さんは本日も仕事のようで、ダイニングではもう出かける準備を終えた所だった。


「おはよう」


「おはよう、もっと寝ていても良かったのよ?」


「京都でもそんな遅くまで寝てないよ」


「そう? もう仕事行くけど、帰ったらまた色々話しましょ」


「うん」


 ダイニングを横切り玄関に向かうお母さんの背中に頷く。また、と言われても昨日もそんなには話せなかった。きっと私の両親に対する気持ちが、まだきちんと定まっていないせいだ。


「いってらっしゃい」


 それでも言葉を投げかける。お母さんは振り向くと笑顔で頷いた。ドアが閉まっても残像のように残った。

 私は1度瞳を閉じて、頭を切り替えることにする。親のことは私1人で考えても、また空回りするだけだ。夜に、考える。

 そうして、私はもう一つの難問に向き合うために朝食を手早く済ますと、身支度に取り掛かる。

 時刻は朝の7時半。

 ナツとの待ち合わせは10時、と昨日の夜に電話で話した。


――どこか行きたい所ある?


 水族館、映画館、遊園地……。デートらしいスポットはいくつか浮かんだ。でも、今は2人でゆっくりと話す時間が欲しいと思ってしまった。

 春先、人があまり出掛けない、でもお出掛けっぽい場所。


――海に行きたい。


――海?


 ナツの戸惑った声が耳に響く。この時期の海は多分何もない。その上、まだ寒いはずだ。足をつけるだけでも躊躇われるだろう。


――ナツが行きたい所があるなら、そこで大丈夫だよ?


 思わず譲歩していた。別に絶対海に行きたい訳じゃない。


――いや、分かった。海に行こう。


 だけど、ナツははっきりと告げていた。その力強い声は、耳を熱くする。

 私は、私達は、幼馴染みの境界を飛び越えることはできるのかな。それも、やっぱり1人では答えが出せないものだった。

 でも私は隣にいたいと願ってしまう。


 まず私はお弁当を作ることにする。今の季節、海の家なんて営業していないだろうし、近隣に飲食店がないかもしれない。女子力の見せ所ってやつだ。

 1年前、結果的に私はナツの気持ちを拒否してしまったから。それに今もナツの気持ちが一緒とは限らないから。私から態度で示していくべきだとは思うんだよね。

 そうは言っても、海に行くのは昨日突発的に決まったことだ。作れるお弁当は、今の冷蔵庫の中身次第だ。卵焼きにたこさんウィンナーに、彩りにもなるブロッコリー。十代男子の腹持ちを考えると唐揚げも作りたい。後はおにぎりの具でヴァラエティ感を出すしかないかな。

 10時までそんなに時間はない。この1年で料理の手際は良くなっているから大丈夫……なはず。

 ナツは、卵焼きは甘いのが好きなんだよね。そんな記憶が過れば、不思議と心にゆとりも出てくる。ナツが美味しそうに食べてくれる姿を想像すると、穏やかな気持ちにもなった。

 急ぎつつも丁寧さを心掛け、何とか待ち合わせの30分前にお弁当を詰め終えることができた。


 結局、結構ギリギリだ。

 身だしなみはどうしよう……女子力、女子力と考えた所で、ナツの好みの恰好をよく知らないことに気付く。今まで幼馴染みの距離でいた弊害かもしれない。

 とはいえ、せっかく一緒に出掛けるのだ。多分、デートだ。

 行き先は海だからパンツスタイルの方が無難かな。春先の海は寒いだろうし、とロングカーディガンを合わせる。

 髪の毛をまとめずにそのままっていうのは、ナシだろう。じっと化粧台の鏡を覗き込んだ私は、髪の上半分辺りを手に取り編み込みハーフアップにして、更に残した部分にストレートアイロンをあててゆるく巻いていく。

 それに合わせるように化粧も施していく。以前ならすっぴんでも会えたのに、今は化粧をしないと無理だな。綺麗であることの努力を怠りたくないのだ。

 姿見で全体を確認してみた。割とかわいく、かつ上品な感じになった気がする。

 少しはいつもと違うところにナツは気付いてくれるかな……。

 ドキドキと胸が高鳴り、顔にチークが追加されたみたいになった。1度息をつくと、私は待ち合わせに向かった。


 団地に取り囲まれたようにしてある公園は、子供を連れた母親の姿はいくらかあるものの、割と閑散としている印象だ。今は朝の家事を終えて、まだ一息入れている時間帯なのかもしれない。私が卒園時に大泣きした公園と違って、遊具が鉄棒と滑り台くらいしかないせいもあるのかな。子供の遊び場というより団地の憩いの場としての性格が強い。

 それ故にとても視線が多い場所だということを私は知っている。たとえ公園内に人が少ないのだとしても。ふと、住んでいる階の1つ下、2階に目を向ける。人影はなくて、ちょっとほっとしている自分がいる。


――大丈夫、もう気にしていないから。


 ナツはそう言っていたのに。疑り深い自分がいて、それはきっとナツのお母さんと同じ穴の貉なのだ。

 公園のベンチにナツは座っていた。手持無沙汰な様子で景色を眺めているだけなのに決まっているように見えてしまうのも、惚れた弱みだろうか。

 私は深呼吸をしてからナツの元へと歩き出した。


「おはよう」


 私に気付いたナツが声をかけてくれる。それはとても懐かしい言葉に聞こえた。


「おはよう」


 挨拶を返して、こんな当たり前の日常でさえ随分久しぶりなのだと実感してしまう。


「今日は……」


 何かを言いかけてナツが口を閉じてしまう。


「何?」


「いや……」


 歯切れが悪い態度に首を傾げると、視線を逸らされてしまった。でも、耳の先が少し赤くなっている。やがて意を決したように口を開く。


「なんだか、いつもと雰囲気が違うな」


「……そう? どんなふうに?」


 ドキリとする。期待と不安がない交ぜになったようで、落ち着かない気持ちになる。それでも表情は平静を装っている、はずだ。


「いつもより、その……綺麗だな」


 私の全女子力が報われた瞬間だった。顔がにやけそうになる。けど、ぐっとこらえたら、声が小さくなってしまった。


「あ、ありがとう」


 続きの言葉が出てこない。今までの幼馴染みの距離ではなかったことだ。

 でも、沈黙はほんの一瞬のことで、散歩中の犬の鳴き声がしたと同時に、ナツは弾かれたように立ち上がっていた。


「じゃ、じゃあ行くか」


「うん」


 隣を歩く距離はまだ人1人分ある。気持ちを、想いを告げられたら、この距離はなくなるのかな。頬をかすめていく風が、熱を伝えた。

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